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2015/05/04

東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (23) 岩手県野田村「大鳥居と楓の木」&久慈市小袖海岸&洋野町「津波慰霊碑」

150504_1(野田村 大鳥居)

150504_2(野田村 大鳥居と楓の木)

150504_3(久慈市 小袖海岸 海女センターの屋上から)

150504_4(久慈市 小袖海岸の「津波襲来の地」の碑)

150504_5(久慈市 あまちゃん?)

150504_6(久慈市 「まめぶ汁」と豆腐田楽)

150504_7(洋野町 津波慰霊碑)


東北お遍(こころのみち)路巡礼も、あと3カ所になりました。

そのうち2カ所は、岩手県野田村の「大鳥居と楓の木」と、洋野町の「津波慰霊碑」です。

「大鳥居と楓の木」の「大鳥居」はすぐにわかりました。国道から左折して役場の方へ入っていくと愛宕神社に続く参道に見えてきます。間違えようがありません。

楓の木は一応確認しておこうと思って、役場に聞きに行きました。でも、わかる人がなかなかいません。親切にも職員が付いてきてくれることになりました。

結果的には、楓の木は、鳥居のそばにあって、その大木しかなったのですが。葉っぱも手のひら状で間違いありません。

この楓の木には、明治の津波のときに、枝にぶら下がって人が助かったという話があります。その後切られずに鳥居のそばに移植されていたものです。今回も多くの人が楓を目指して逃げて助かったといいます。

津波の記憶を継承するにふさわしいと、巡礼地に選ばれました。

NHK連続テレビ小説「あまちゃん」でロケ地になった久慈市の小袖海岸に寄りました。ここは巡礼地には選ばれていませんが、津波の被害があり、海女センターの建物は新しく再建されたものです。「津波襲来の地」の碑も立っています。

「まめぶ汁」と豆腐田楽を買って、港を見ながら昼食。「まめぶ」とは、中にクルミやゴマが入った団子のことで、キノコ、豆腐、ニンジン、ゴボウ、油揚げが入ったあんかけ風の汁に入っています。懐かしい味です。

次の巡礼地、洋野町で津波の被害か最も大きかったのが八木地区です。

港の方に降りていくと、おじさんが散歩していたので声をかけました。

おじさんによると、津波は国道に遮られましたが、一部は川をさかのぼっていって、周辺の住宅を浸水させました。港を見下ろす高さ15mほどの丘があり、そこに多くの人が逃げて、津波が押し寄せてくるのを見ていたという。

昭和八年のときには、鉄道工事関係者を中心に多くの人が津波で亡くなりました。だから「地震が来たら逃げろ」とは思っていたので、ここでは人的な犠牲者は出なかったそうです。

慰霊碑は郵便局の隣に立っていましたが、今回の津波で流され、今は200mほど離れた国道下に移動しています。碑は土台から外れて、そのままでは立っていられないのか、鉄パイプで固定されていました。

碑があるだけではだめで、大切なのは、津波の記憶が語り継がれていること。それを教えられる八木地区の津波慰霊碑でした。碑の表には、こう刻んであります。

「想へ惨禍の三月三日」

残るはあと1か所。青森県に入ります。
 
 
 
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