東北お遍路(こころのみち)巡礼2015 (24 結願[ゴール]) 青森県八戸市「蕪島」
岩手県洋野町から青森県八戸市に入りました。
自然の芝生が海際まで覆っていて、どこか外国の海岸のような種差海岸、2、3km白い砂浜が続く美しい大須賀海岸を経由し葦毛崎展望台に。
ラブラドールのジョン君を連れた地元の人に出会いました。「所沢」ナンバーを見て声をかけてくれたのですが、今は展望台周辺もきれいに整備されましたが、震災前までは草ぼうぼうだったのだという。このあたりは津波の被害はありませんでしたが、八戸港は被害がありました。
その蕪島はすごかった。葦毛崎から八戸に向かってくると、突然前方に島が見えますが、遠くからでも島がウミネコに覆われているのがわかります。
とうとう最後の、結願(けちがん)の巡礼地です。でも、この東北お遍路は、宗教色をなるべく出さない、という趣旨でもあるようなので、「ゴール」と呼んだほうがいいかもしれませんが。
「結願(ゴール)」と書きましたが、実際はここが「一番」にはなっているんですが。俺は逆からたどってきたのです。ただ、関東の方から来ると、ここが「一番」というのはちょっと違和感があります。
東北を巡礼するなら、最初に厳しいところを見る、現状を見る、つまり原発の被災地のことですが、そこから始めて、徐々に気持ちが楽になる、という方がいいような気がするのです。あくまでも関東に住む人間の感じ方ですが。
ブログ上では24回(24日)目ですが、実際は20日かかっています。長かったといえば長かったし、あっという間といえばあっという間。興味のあることをやっているときは、時間は短く感じるものです。棚田百選のときもそうでしたが、何かを「探す」ことが好きなんですね。いまさらですが。俺にとっての「巡礼」は「探す」ことと同じ意味です。
それにしても最後の巡礼地は強烈なインパクトがあります。
ウミネコ繁殖地である蕪島は、国指定天然記念物に指定されています。3月上旬から8月上旬まで、約4万羽のウミネコが乱舞する様は、さながらヒッチコックの『鳥』です。いや、蕪島神社の境内に上ったら、もっと『鳥』を実感します。人間が近づいても逃げないのです。それどころか、こっちの頭上を舞って糞まで落とします。傘をさして上ってくる観光客もいるほどです。俺も帽子はかぶっていたのですが、カメラにしずく(小便? ウミネコは小便するのだろうか?)をたらされました。
震災では島が津波に飲み込まれ、防波堤は決壊し、観光案内所なども使用できなくなりました。周辺一帯がガレキの山となりましたが、復興支援活動が行われ、観光地として再出発を果たしているところです。
☆
巡礼中に各地で見た津波の碑。ただ、記憶が語り継がれていないところもありました。碑は遺跡になってないけないのですね。それがよくわかりました。
地震があったら津波から逃げる。言うのは簡単ですが、いざ、その場になった時、ちゃんと逃げる行動を起こすのかどうか、自分でも自信がありません。
そんなことじゃぁだめなんですけどね。いっそ「逃げる」行動を、遺伝子的に組み込まれればいいのにと思います。
でもそうなるためには、何万年、何十万年かかるかわかりません。人間は他人の体験からでも学習することができます。それが「記憶の共有」。
生き延びるために、人間が獲得した能力。それを使わない手はありません。みんなで津波の記憶を共有するのです。巡礼という枠組みを使えば、いつまでもその記憶が生のままで語り継がれるということに役立つ、この巡礼地の意義のひとつはこんなところにもあるのではないでしょうか。
それと東北を理解するガイドとしての巡礼地であってもいいのかなと思いました。ただ「被災地を観光する」なんて不謹慎な、と思う人も実際いるでしょう。現実問題として、原発周辺は立ち入ることさえできないところがあります。
でも「不謹慎な観光客」がたくさん足を運んでくれることで、東北の復興の速度が上がるという側面もあるのは事実です。
とは言え、「不謹慎な観光客」から、人が亡くなった現場や慰霊碑の前で、ピースサインをされるのを見るのは耐えられないと、巡礼地になることを拒否する人たちもいます。もちろんそういった人たちの気持ちは察してあげなくてはなりません。
だからこの「東北お遍路」の場合は、同意を得たものだけです。ただし、1ヶ所、実際に訪ねて住職さんと話をしたら問題があったので、そこは割愛しました。それと「福島第一原発」も巡礼地ですが同意を得ていないそうですが。
津波で破壊され、放射能に汚染され、すべてを失ってしまったことは耐え難い苦痛です。でも、前には戻らない。辛いですが、それが現実です。
ならば、被災者に寄り添うにはどうしたらいいのか、今の現状をどんな風に良いほうに持っていったらいいか、そもそも東北とは「何」なのか、巡礼しながら少しでも考えることができるなら、巡礼する価値はあるのではないでしょうか。
個人的なことを言えば、被災地から見ると、オリンピックという国家的イベントが違って見えてきました。(それについては後日書きます)
こういう災害や不幸は、いつ自分に降りかかるかわかりません。東北を考えることは、「同情」ではなくて、自分の問題でもあるんじゃないかなと思います。
東北を巡礼しながら、俺はおかしな既視感にとらわれました。それは「沖縄」です。福島の原発と、沖縄の米軍基地。ふたつは似ているような気がします。
沖縄で聞いたこんな言葉は、東北(福島)にも言えるのかもしれません。
「私たちが米軍基地の県外移設を主張しているからといって、県外の人に嫌なものを押し付けるつもりはありません。ただ、あまりにも基地問題に無関心なので、県外の人に腹が立つときもあるんです」
自分の問題であれば、関心はなくならないと思うのです。
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