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2015/06/30

セクハラ、パワハラ、モラハラ、マタハラ、カジハラ、トシハラ、オワハラ、エイジハラ・ ・ ・そしてブラハラ

150630(夢で見た採血シーン。痛くはありませんでした)
 
 
「××ハラ」花盛りの昨今、セクハラ、パワハラ、モラハラ、マタハラ、カジハラに加えて、以前、「トシハラ」について書きましたが、内館牧子脚本、武井咲主演のドラマ『エイジハラスメント』というのが7月から放映されるそうです。

これをハラスメントと捉えた内館さんの感覚には共感できます。でも、ドラマは観ないでしょうが。

ただ俺の言う「トシハラ」と「エイジハラスメント」では、同じ年齢の嫌がらせでも意味が違います。「トシハラ」は「年齢を聞かれる」そのこと自体がハラスメントだと思っているので。

最近は、「オワハラ(就活終われハラスメント)」といのも現れたそうです。
 

そして「錯覚の科学」を読んでいて「ブラハラ(ブラッドタイプ・ハラスメント)」という言葉を知りました。

これは血液型性格判断の「血液型嫌がらせ」です。これについても以前書いたことがあります。

 日本では、どうして血液型で診断する性格で盛り上がるのか? それは「信仰」と考えると理解しやすい(2010/01/25)

血液型性格判断を、たんなる「お遊び」として笑っていたのですが・・・。

いや、「お遊び」として笑って見過ごすところにこそ、差別のやっかいさがあるのかも、と「錯覚の科学」を読んで気づかされました。

現在、血液型と性格には、科学的には関係は無いと判断されています。にもかかわらず、日本では、約4割ほどの人が「関係がある」と信じているという結果です。これは疑似科学というものです。

ただ、俺は「疑似科学」ではなく「信仰」や「宗教」と考えた方が理解しやすいのでは?と思っています。

1900年、ラントシュタイナーによってABO型(当時はABC型)血液型が発見されました。日本でもこの科学的知識が紹介され、1927年には古川竹二氏によって『血液型による気質の研究』という本がでて、一種のブームになりました。血液型は最先端科学的知識だったからです。

昭和初期の新聞見出しには、「外交官に血液の資格「O型に限る」と建白書」とか「履歴書の一項に「血液型」を追加」なども見られたくらいです。

19世紀前半、「骨相学」というのが欧米で大いに流行しました。頭蓋骨(アタマの形)で、人間の気質や精神といったものが判断できるという説です。

いまでは、何を馬鹿なと思うでしょうが、たぶんみんなまじめに信じていたんだと思います。「骨相学」は当時は最先端の「科学」だったのだから。つまり、このときの血液型と同じ状況です。

その後、軍部が兵隊を適所に振り分けるために血液型性格学が研究されましたが、結論として、血液型と性格には関係が無いと結論されました。

でも、1971年に能見正比古氏によって『血液型でわかる相性』という本が出て血液型性格学がブームになり、この影響が現在まで続いているようなのです。

ちなみに血液型と性格に関係があると思っているのは、東アジアだけだそうで、世界的にはまったく興味をもたれていません。

俺も以前は、××型だろうと思って聞くと当たっていた経験もあって、関係があると思っていました。でもそれは当たったときだけ覚えている錯覚だと気がついたのでした。

そんなこともあるので、俺もえらそうなことは言えないのですが、この血液型性格学が、お遊びとしてなら、実害はないのでしょうが、実際に、とくにB型、AB型は嫌な思いをしている人が多く(A型もO型も同じだと思いますが)、友人関係や就職や職場の配置転換にも影響している例もあるそうで、こうなると、「嫌がらせ」と言うより「差別」と言ったほうがいいかもしれません。

笑って済まされる話ではなくなります。いや「笑って済まされる」レベルに見えるからこそ、ここに「差別」があるとは気がつきにくいのです。

いかにも血液型という科学的なものを使って、科学を装っているので、騙されやすいのでしょう。これは過去の「骨相学」もそうだし、もしかしたら現在の「DNA」などもそうかもしれません。

Wikiには、「骨相学の志向は、ロンブローゾの生来的犯罪人説のような犯罪の素質論(犯罪を犯すか否かは当人の素質に左右される)から、優生学や人間改良思想へと展開していく。これは断種論(特定の人種を断つことを目指す)の背景にもつながる危険を持っていた。」

頭蓋骨の形、血液型、DNAといったものは、人間を「分類」「差別」するにはいい(便利な)道具です。使われているのが「科学的」な指標だからです。でも、それを使う人間が「科学的」な判断をしなくなったとき、これは恐ろしい方向へと向かっていくということなのでしょう。
 
 
 
 
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2015/06/27

今日は「夏至」の次候「菖蒲華(あやめはなさく)」

150627

菖蒲は「アヤメ」とも「ショウブ」とも読みますが、七十二候「菖蒲華」は「あやめはなさく」と読みます。

草地に咲くのがアヤメ、水辺や湿地に咲くのがショウブだそうです。またカキツバタというのもありますが、見た目の違いがよくわかりません。

でも、この候の時期に咲くのはハナショウブなのでハナショウブでいいのかもしれません。「アヤメ類の総称としてハナショウブをアヤメと呼ばれることも多く、間違いにはあたらない」とwikiにはありました。

掲載の写真は、狭山市の智光山公園の花菖蒲園にあった「舞扇」という品種のハナショウブ。園内には、150種類2600株植えられています。花菖蒲祭りが先週まで行われていました。
 
 
 
 
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2015/06/26

『福井昭夫作品展 ---植物を描く---』 2015年7月6日(月)~11日(土)

Fukui_akio2015
 
 
友人の絵描き、福井昭夫の個展情報です。大阪近辺の人はどうぞお立ち寄りください。今年のテーマは「植物」です。
 
 
 
『福井昭夫作品展 ---植物を描く---』

2015年7月6日(月)~11日(土) 11:00AM~7:00PM (最終日5:00PMまで)

マサゴ画廊
〒530-0047 大阪市北区西天満2-2-4 (裁判所西側の筋小山医院角入る)
06-6361-2255

なお福井昭夫公式HPが公開されました。

福井昭夫WEB画廊
 
 
 
マサゴ画廊の地図

より大きな地図で マサゴ画廊の地図 を表示
 
 
 
 
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2015/06/25

ミャンマーや首都ヤンゴンの生の情報を発信するサイト「Enjoy Yangon」

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ミャンマーに移住した友人たちが運営するサイトです。

「平均ヤンゴン滞在歴約10年の面々が、本当に「いいと思ったもの」「面白いと思ったもの」だけを集めたヤンゴン情報サイトです。」(HPより)とあります。

http://enjoy-yangon.com/ja/

「平均ヤンゴン滞在歴約10年の面々」? すごいですね。

友人が移住したのは3年前ですが、昔から何度もミャンマーに行っていたし、週刊誌のグラビアでミャンマーの写真を発表したりしていたミャンマー通です。そんな彼のような通が何人かわからないですが、集まって作ったサイトですからね。面白くないわけがない(と思います)。これからを期待します。

久しぶりで電話で話しました。最近のミャンマーのヤンゴンは物価高で、特に市内中心部はバンコクを追い抜き、日本と変わらないような家賃だそうです。

そしてたとえば、卵10個パックで160円、鶏肉100gが60円。「すごく安い」という物価ではなく、これも日本とそれほど変わらない感じです。

「ずいぶん変わったんだね」というと、「ミャンマーにはいつ来たの?」と聞かれたので、「10年前」と答えると、「10年前じゃぁ、いろんなことが変わっている」ということでした。それはそうですね。「だから最近はミャンマーも普通の国のようになってきたね」という。

イギリス植民地時代の古色蒼然とした町の様子や、撒きスカートのロンジーをはいた人の服装など、鎖国状態で伝統文化が色濃く残っていた10年前のヤンゴンでしたが、ビルの建設ラッシュだし、若者のロンジー姿が少なくなり、もう昔のイメージとは変わってしまったようです。

とにかく今ミャンマーは活気があって、面白いらしい。行ってみたい。と、言うよりまだミャンマーの棚田をちゃんと撮影していないので、いずれ行かなければならないのですが。
 
 
 
 
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2015/06/24

山形県産さくらんぼ「小さな恋人」の季節

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さくらんぼが送られてくると、6月下旬なんだなぁといつも思います。味覚で感じる季節です。

さくらんぼは明治元年日本に輸入され、全国で栽培されましたが、実績をあげたのが山形県だったそうです。

それ以来山形県ではさくらんぼの生産地が広がって、現在全国のさくらんぼ生産量の約75パーセントを占めるほどの産地に発展してきました。
 
 
 
 
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2015/06/23

野町和嘉氏写真展 『地平線の彼方から----人と大地のドキュメント』

150623

FUJIFILM SQUARE 企画写真展
『野町和嘉 地平線の彼方から ― 人と大地のドキュメント』

開催期間: 2015年6月26日(金)~7月15日(水)
開館時間: 10:00~19:00 (入館は18:50まで) 期間中無休
会場: FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)
入場料無料

FUJIFILM SQUAREホームページ

野町さんの写真展です。

1972年のサハラ砂漠以来、ナイル源流、アラビア半島、チベット高原など長年にわたって地球規模で撮影してきた野町さんの、最新作アンデス高地も含んだ写真展です。

写真に興味を持ったのは写真家、野町さんでした。野町さんの『シナイ』(シナイ半島の風景)という写真集がフランス語版で出版されていたのを、パリでウェイターのアルバイトしているとき、偶然本屋で見たのがきっかけです。

もちろんそのときは旅の資料として写真集を見ていただけだし、奥付を見るまで、この写真集が日本人写真家の作品だとも気がつきませんでした。

そんなことがあり、漠然とですが「写真というのは世界共通語になるんだなぁ」と、写真に少し興味が出ました。「旅」に「写真」がくっついたのです。

もっとも今から思えば、「旅」と「写真」の相性はもともと良かったわけですが。

だから俺が95年に『メコン河』『Mekong, the Last Riner』の写真集を出したのは、とくに野町さんのナイル河の写真集『バハル』の影響が大きかったかもしれません。ひとつの大河を源流から河口まで撮影する(見る)という作業は「民族の文化」を知る面白さにも繋がっていったのでした。

人の人生を狂わす(?)ような力を野町さんの写真は持っていたということですね。人生を狂わされたことで、野町さんに感謝しているのは言うまでもありませんが。
 
 
 
 
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2015/06/22

今日は二十四節気の「夏至」で、七十二候は「乃東枯」

150622(「靫草(ウツボグサ)」、別名「夏枯草(カコソウ)」)

夏至(げし)は、二十四節気の第10番目。一年で最も昼が長い日です。

ヨーロッパを中心に、夏至祭というものが行われるようです。

日差しが貴重なヨーロッパ(とくに北欧)では、よく公園で裸で寝てたりするのを見かけます。日本ではこの時期、紫外線対策やら熱中症対策やらで、むしろ嫌われる日差しの強さかもしれません。

夏至は恋人とめぐり合える「愛の季節」でもあるそうで、ウィキペディアには、こんなことも書いてあります。

「北半球では、性欲をかきたてる日とされており、スウェーデンの民俗学者によると、夏至を祝うミッドサマーの祝日から9ヶ月後に生まれる子どもが多いという。」(Wiki

果実もこの時期の太陽光線をいっぱい浴びて、秋には実をつけます。「愛の季節」というのは妙に納得できますね。

そして夏至の初候は「乃東枯(なつかれくさかるる)」ですが、「乃東」というのは、「靫草(ウツボグサ)」のことだそうです。「靫(うつぼ)」というのは、武士が矢を入れて持ち歩いた用具のこと。

別名「夏枯草(カコソウ)」です。夏に花が枯れて黒褐色になるからですが、利尿剤や消炎剤として使われているそうです。

上に掲載の写真がウツボグサですが、近くの公園の「薬草園」の花壇にありました。花の後ろにボケて入っているのが枯れかかっているウツボグサです。
 
 
 
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2015/06/20

デンマークのサスペンスドラマ 『THE KILLING/キリング』 シーズン2

150620

デンマークで総選挙が行われました。開票結果は野党陣営の勝利だそうです。

「デンマーク4年ぶり政権交代へ 総選挙で野党陣営勝利」(47NEWS)

ちょうど、『THE KILLING/キリング(原題:Forbrydelsen)』シーズン2を観終わったところです。デンマーク史上最高視聴率を取ったドラマの続編です。(今、シーズン3を観ています)

シーズン2は、まさしく「テロ法案」や「反移民政策」をめぐっての政府内のごたごたと、一連の殺人事件が同時進行していくサスペンスドラマです。

連続殺人は最初イスラム過激派の犯行だと思われますが・・・。「テロ法案」の成立を急がせたい勢力と、真実を突き止めたい勢力のせめぎあいもあります。

ドラマでは敵は意外なところにあったわけですが、現実世界では、フランスのパリで週刊新聞「シャルリー・エブド」が襲われたテロの後、今年2月、デンマークの首都コペンハーゲンでも風刺画をめぐってのテロが起きています。比較的「安全」というイメージの北欧でテロが起こったことは、ちょっと衝撃的なニュースでした。

もともと2005年にもデンマーク紙によるイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画掲載があって、中東などでは反デンマーク運動が広がっていたらしい。そういえばそんなニュースもありました。だからデンマーク人にとって、テロに対する危機意識は高いんですね。

正確な台詞の言い回しは忘れてしまいましたが、ドラマでは首相がこんな意味のことを言います。

 「テロの危機は待ったなしだ。だから国民を守るためには法律から外れた行動もしかたがない」

なんだか、どこかの国の総理大臣が言っていることを連想させます。

 「国民を守るために、憲法の解釈を変えてもしかたがない」

ドラマのラストはショックでした。真実を追究する中で首相とも対立を深めていく大臣が、最後に取った態度が、今のデンマーク人の気持ちを代弁しているのかなと。今回の選挙で移民排斥を唱える極右デンマーク国民党が躍進したそうで、結果的に、その方向を暗示するような内容になっていました。


ところで、主人公、刑事のルンドは、どことなく『ホームランド』の主人公、CIA捜査官キャリーを思わせます。

どちらも女性ですが、仕事熱心です。いや、熱心すぎるのです。

しかしこういう仕事に向いている人というのは、ある意味社会性が無い人でもあるかもしれません。自分の嗅覚で敵を追い詰めていく姿にはすさまじい執念と動物のような一途さを感じます。病的といっていいほど鼻が利きます。

これがかえって日常生活ではあだとなる。母親や息子からさえ疎まれてしまいます。社会生活には向かない人たちです。

でも、そこが共感できるところでもあるし、魅力的でもあります。この『キリング』が高視聴率をとったのも、主人公ルンドの「不器用な生き方」に負うところが大きいのかもしれません。

一方の、日本の刑事ドラマの、特に「美人刑事」のリアリティの無さ。俺たちが30年前の「素朴な視聴者」だったころなら許されるでしょうが。「こんな刑事いるわけない」というところから入ったドラマで、どうやって楽しめばいいと言うんでしょうか?
 
 
 
 
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2015/06/19

俳優の榎木孝明氏が30日の「不食」に挑戦したというニュース

150619(インドネシア・バリ島)


榎木孝明、30日間「不食」生活中!摂取水だけ
Yahoo NEWS http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150617-00000055-sph-ent

榎木さんは、古武道とかやっている人らしいので、これは「精神鍛錬」や「修行」の流れからのものだと思ったら、そうではなさそうです。

本人も言っていましたが、決して「宗教」や「ダイエット」の話ではないとのこと。「榎本さんは何の宗教ですか?」とよく聞かれたといって笑っていました。「しいて言うなら榎本教ですかね。教祖、信者ひとりだけですが」

「食べなくても生きられることを自分の体で科学的に調べてみたかった」と言っています。いろんな研究分野が関係してくると思いますが、これは心理学者も興味がある「人体実験」ではないでしょうか。科学的には貴重なサンプルになると思います。

「不食をやりはじめてから一度も空腹感を覚えなかった」といいます。自分の食欲をここまでコントロールできるのはすごいというしかありません。

「危険だから真似しないように」といっていましたが、しようと思っても普通の人はできないでしょう。

俺には1日でも耐えられません。「飢餓恐怖感」は人よりも強いかもしれない、という自覚があるし。これは「いつ食べられなくなるか」という恐怖で、たぶん俺のDNAに刻み込まれた狩猟民の記憶なのではないかなどと勝手に想像しています。普段は意識していませんが。

榎木さんの姿は、何十万円もかけて悲壮感漂わせながら行っているダイエットの姿とは雲泥の差です。すごく冷静で、美しく見えます。野生動物的といってもいいのではないでしょうか。

今回の件があって、公式HPを覗いてみたら、榎本さんはアジアが好きで何度も旅をしていて、絵も描いているそうで、アーティストでもあったんですね。なんだか親しみを感じてきました。
 
 
 
 
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2015/06/17

「大英博物館展---100のモノが語る世界の歴史」 なぜ人間は美しいモノを作るのか

150617


東京都美術館で開催されている「大英博物館展---100のモノが語る世界の歴史」。

www.history100.jp

英国・ロンドンにある大英博物館の所蔵品から、100の「モノ」たちを厳選し、200万年前から現代に至る人類の歴史を読み解こうという企画展です。

東京展は6月26日までですが、その後、7月14日~9月6日は福岡で、9月20日(日)~2016年1月11日は神戸で開催されます。

「モノ」が語りかける壮大な歴史の旅という、おもしろい切り口の展示ですが、全体を見終わって感じたのは、なぜ、人間は、こんなにも美しいモノの形を生み出せたのか? 生み出してきたのか?という疑問が、ますますわいてしまいました。

その答えのヒントになりそうな最初のモノは、タンザニア・オルドヴァイ渓谷で出土した140万〜120万年前の「オルドヴァイ渓谷の握り斧」です。

長さ23.8cm、左右対称のしずく状の石製の握り斧です。

「左右対称にしても、道具としての性能が上がるわけではない」という解説文には思わず納得。

考えてみればそうですね。じゃぁなぜそこまでやるのかというと、公式HPには、「単なる道具の域を超えた芸術性、「美しいものをつくりたい」という人類の願望の萌芽を見出すこともできます。」とあります。

当時の人間にならない限り正確にはわからないのですが、美を求めることは腹の足しになりません。「生存」という適応からは、まったく無駄なのです。でも、無駄でも美しいものを追求してしまう。それが人間なのかもしれません。

それがなぜなのかを知りたいのですが。

HPでは、言語の発達との関係にも触れられています。斧の完成形をイメージして石を削っていく作業と、言葉を発する作業とは似ているかもしれません。

何か言葉で意味を伝えたいときは、まず言葉の完成形をイメージして単語を並べるわけです。(言語学者のフロムキンによると発話まで6段階の過程があるそうです) もちろん、これは一瞬にやっていることで、意識できないものですが、たしかに似ている作業のようにも見えます。

だから計画的なモノ作りのときと言語を話すときは、脳の同じ部位が活性化するという話は、わかるような気がします。
 
 
話は前後しますが、会場に入ってすぐにあるのが、紀元前600年ごろの古代エジプトのミイラの入った棺と、2003年ガーナで作られたライオンを象った棺桶。

時代は離れていますが、棺にかける執念がみごとに同じです。棺は単に、「死体の入れ物」ではないことがわかります。

俺はアジア各地で葬式を見ていますが、地味な棺桶は日本くらいで、どこでももっと派手でした。中国雲南省、インドネシア・バリ島、スラウェシ島、ベトナムなどなど。
 
 
そのほか、紀元前2500年頃イラクの「ウルのスタンダード」は人気で、人だかりがしていました。  

そしてなんと言っても1150年~1200年、イギリス・ルイス島(おそらくで制作されたのはノルウェー)「ルイス島のチェス駒」は映画『ハリー・ポッターと賢者の石』で出てきたもので、大人気です。大きくしたレプリカと記念写真を撮れるようになっています。

 
個人的に印象に残ったのは、ギリシャ・カルパトスで発見された前4500~前3200年の「カレパスト島の女性像」。

日本の縄文時代の土偶の女性像を大きくしたような形ですが、顔の部分には鼻の突起、胸のところには乳房の突起、股のところには性器の割れ目がついただけのシンプルな形。

鼻はわかりませんが、ほかの二つのシンボルによって女性(母)を表現していますが、シンプルだからこそ母性を強烈に訴えかけてきます。日本の土偶同様、これは信仰の対象であったかもしれません。古今東西、女性(母)に対しては、同じようなイメージを持ち、像が作られています。

ただ女性(母)は、人間を包み込んでくれる優しさのイメージと同時に、人間を包み込んで放してくれないという負のイメージもあります。世界各地の昔話やおとぎ話にも、「魔女」や「山姥」から逃れるという自立をテーマにした話が多いというところからも、このふたつの面を持った「女性(母)」のイメージは普遍的なようです。

「カレパスト島の女性像」の形からも、「優しさ」と「怖さ」、その両方のイメージが感じられます。このイメージは「自然」に対するイメージへと繋がります。
 
 
そしてもうひとつ、アイルランドで発見された、前2400年~前2000年の「金製の半月型装飾」は、形の世界同時発生説を思わせるものでした。

ラテン語で「ルヌラ」と呼ぶそうですが、「小さな月」という意味です。これを見たとき、中国貴州省のミャオ族の装飾品を思い出しました。

ミャオ族の装飾品は、金製ではなくて、銀製でしたが、母親から娘に代々受け継がれる家宝です。それを祭りのときに美しい民族衣装とともに付けて踊ります。

当然このルーツだとかいう話ではなくて、「月」という目だった自然物、しかも「月」と「女性」は関係が深いということもあって、どこにでも同じ形の装飾品が考え出されるということなのでしょう。

美しい芸術作品は、最初は自然物の模倣から生まれるとも言えるでしょう。自然物に対する思いが形に表れていると言い換えることもできると思います。
 
 
 
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2015/06/12

イスラム教徒も安心して飲食ができるハラール対応のカフェ SEKAI CAFE

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浅草に、イスラム教徒も安心して飲食ができる「ハラール」(ハラル)対応のカフェがオープンしたと聞いていたので、打ち合わせで都内に出たとき、寄ってみました。

http://sekai-cafe.com/

「食のおもてなし 世界中の人が同じテーブルを囲んで楽しむカフェ」とHPではうたっています。ハラール料理、ベジタリアン、アレルギー対応、オーガニックを提供しているようです。

雷門から50mほど仲見世通りを進んで、左の路地に入ったところにあります。表通りの騒々しさが嘘のようで、意外と静かです。Wi-Fiも自由に使えるし、アジアのどこかのカフェのような開放的雰囲気もあって、落ち着けるところでした。

店員さんに伺ったところ、ハラールをうたっているのは、ラムステーキなど肉料理はすべて、それと店内で販売されている商品もハラール対応だそうです。

日本に来る外国人は年々増えていますが、その外国人の中でもイスラム教徒が多いらしい。でも、彼らが困るのが、宗教上の理由から、日本の一般的飲食店ではほとんど食事ができないということ。何を使っているかわからないので、念のために、自国からカップ麺など食料を持参してきているほどです。

イスラム教徒が口にしていい、イスラム教に則って手続きを踏んだ食品は「ハラール・フード」と呼ばれます。このハラール対応がちゃんとしてないと、イスラム教徒は食事を安心してできないのです。

この感覚は何でも食べてしまう非イスラム教徒の日本人にはわかりにくいのですが、これを日本人的な感覚に置き換えてみて、たとえば、外国人が土足のまま家に上がった時、ちょっと許せないですよね。そんな感じでしょうか。(例えが悪い? 宗教の教義なので、こんな甘い感覚と比べたら怒られるかもしれませんが)

今後東京オリンピックもあるし、日本を訪れるイスラム教徒はますます増えるだろから、ハラールにちゃんと対応した飲食店も増えていくことだろうと思います。これはビジネスチャンスです。

いや、対応していないと商売できない時代が来るかもしれません。特にここ浅草のような観光地では。
 
 
 
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2015/06/10

映画 『永遠の僕たち』 を観て。「生」から「死」へのガイド役として加瀬亮が好演

150610(道に落ちていたセミの抜け殻。去年のもの?)

『永遠の僕たち』という映画を観ました。

不思議な映画だなぁという感想です。そして戸惑いも感じました。

「『永遠の僕たち』(えいえんのぼくたち、原題: Restless)は、ガス・ヴァン・サント監督、ジェイソン・リュウ脚本によるアメリカ合衆国の映画である。不治の病に冒された少女と、死に取り憑かれた青年の恋の物語。物語のキーとなる青年のただひとりの“友人”役で加瀬亮が出演。(Wiki参照)

俺たちは自分の都合のいいように解釈してこの世界を理解しようとしています。それは「自分の物語」と言ってもいいでしょう。

なるべく客観的に理解しようとしていますが、俺たちの周りの世界・宇宙 ・森羅万象などの物理的世界の、ごく一部しか知ることができません。

たとえば目に見える世界だって、蝶やミツバチが紫外線が見えるのに、人間にはそういう世界は見えていないし、ニワトリやエビなどは人間よりも多くの色がわかっているし、犬が匂いで知っている世界も人間にはわかりません。人間は知らないことだらけです。 

そんな中でも俺たちは世界をなんとか理解したがります。ほとんどは「そうかもしれない」という可能性に過ぎませんが、それを「自分の物語」と呼ぶのでしょう。間違ったことも偏ったこともいっぱいありますが、それしか今のところ、理解の方法はないのです。

だからこの映画のように、「自分の物語」にはなかったものが入ってくると、最初は身構えます。それが映画に感じた「戸惑い」です。

まず、「葬式に参加する」のが趣味の主人公イーノックの設定、死にかけたあとに現れ、唯一の友人でもある日本の特攻隊員の幽霊・ヒロシなど。

ガン末期患者のアナベルとの短いけれども濃厚な愛の時間や、ふたり(と一人の幽霊)でいっしょに死を受け入れていく姿はあまりにも自然過ぎます。

死については永遠の謎です。どのようにして死を迎え入れたらいいか、今まで真剣に考えたこともないし、むしろ考えないようにしてきました。

この映画に表現されていた「死」は「生」と境目がない感じがしました。ここまですんなりと「死」を受け入れられたらいいのですが、俺にはまだ難しいと言わざるをえません。まだ「生」と「死」にははっきりとした断絶したイメージしかないので。

世界の解釈の違いを見せ付けられることは、戸惑いもありますが、いいことでもあります。「なるほど」とか「そういう解釈もできるのかぁ」といった気づきを与えてくれるからです。そしてそれによって「自分の物語」も少し変わってきます。それが心地いいことでもあります。昔、ヨーロッパやアフリカやアジアに行って、それまでの「自分の物語」が大きく変わったときと同じような快感です。

そういう意味で、衝撃はないのですが、「良さ」が後になってジワ~ッと染み込んでくるような映画です。俺の「自分の物語」にも死へのガイド役としてのヒロシのような友だちが現れる日がいつかくるのでしょうか。
 
 
 
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2015/06/08

2016年サミット会場に近い伊勢神宮の「初穂曳き」は日本の稲作の象徴的な祭り

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「稲作」の写真を撮り続けている俺にとって、伊勢神宮は特別の場所です。

一昨日のブログに「日本のこころ」に近い場所と書いたのは、日本人には、「稲作」がたんなる「穀物の生産」という意味だけでなく、「象徴」としての意味もある(良い意味も悪い意味もありますが)ということです。

コメの年間消費量が60kgを切ってしまい、今や日本人が「稲作民族」と呼べるのかさえ危ういと言われますが、それは「量的」な見方であって、「質的」にはまだ稲作民族といっていいのだと思います。

ここがサミット会場に近いというのは、外国人にとっても、「日本人」を知るいい機会になるのではないでしょうか。

10月中旬に神甞祭があります。神様に新穀をささげ、豊穣に感謝する祭で、これこそ日本の稲作の象徴的な祭とも言われています。

1日目は、外宮への初穂曳き。車の上には、俵や初穂がおかれ、2本の白い綱をもった何十人、何百人が、勇ましい木遣り唄と、「エンヤ、エイヤラ」という掛け声をかけながら、綱を上下に揺らし、外宮まで引っ張っていきます。そして初穂を五丈殿に奉納します。

伊勢では、その年の新穀を神様に召し上がっていただくまで、人々は新米を口にしなかった、という話も伝わっています。

2日目は、内宮まで川ゾリでの初穂曳きです。勇壮なホラ貝の音や、木遣り唄が響く中、五十鈴川をさかのぼっていきます。

前日と同じように、2本の白い綱で引き、時々、左右の人たちが川の真ん中でぶつかり合い、水を掛け合います。滑って転ぶ人もいて、観客の笑いを誘っていました。
 
 
 
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2015/06/06

2016年のサミット開催地に、伊勢志摩決定のニュース

150606_1(横山展望台から賢島方向を望む)

150606_2(海苔ひび)

150606_3(漁港)

2016年の主要国首脳会議(サミット)が三重県志摩市で開催されることになりました。

安倍首相は「日本の美しい自然、豊かな文化、伝統を世界のリーダーたちに肌で感じてもらえる場所にしたいと考え、三重県で開催することを決定した。伊勢志摩サミットです」と話したそうです。

伊勢神宮も近くにあって「日本のこころ」に近い開催地と言えるでしょう。それと会場予定のホテルが賢島(かしこじま)にあるので警備もしやすいというメリットもあります。最近の世界情勢を考えると、妥当な選択かなと思います。

横山展望台というところに上ったことがあります。南側には賢島も見えました。入り組んだ地形の英盧湾の様子。雄大な眺め。真珠の養殖場が点在していました。会場予定のホテルはどこでしょうか。

ここは、あおさ海苔の養殖も盛んに行われています。
 
 
 
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2015/06/05

水鏡に映るイオンと養鶏場の写真

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狭山市の入間川の両サイドには田んぼがありますが、今日は、水鏡に映るイオンと養鶏場の写真です。

特に養鶏場は気に入ってます。日中は、たまごを販売している、なんてことはない建物なんですが、明かりが灯るとまるで別世界です。

しかも今の時期だけ、田んぼの水鏡に映り、なおさらシュールな感じになります。

国道16号線のイオンも、遠くから見ると、暗くなった水田のなかに忽然と現れた不夜城のようにも見えます。
 
 
 
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2015/06/03

写真絵本:日本一周犬ヴィーノが見た風景 [Kindle版]

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『写真絵本:日本一周犬ヴィーノが見た風景』をKindle版として自主出版しました。今までもブログなどで掲載してきた「ヴィーノと日本の風景」の写真ですが、それを電子写真絵本として1冊にまとめました。

フォーマット: Kindle版
ファイルサイズ: 35344 KB
販売: Amazon Services International, Inc.
言語: 日本語
ASIN: B00YG1YXB6

Ya_2Amazonの販売ページ
 
 
 
妻とヴィーノといっしょに、約1年かけ、車中泊しながら北海道から沖縄県まで日本一周の車旅をしたのは、もう数年前です。

時間が経つのは速いものです。ヴィーノも「中年」を迎え顔に少し白さが目立つようになりました。

日本一周の旅では、犬連れだと「犬禁止」「ペット禁止」など制約も多かったですが、逆に犬連れでなければ見ようとしなかった風景にもたくさん出会うことができました。「忠犬」や犬にまつわるゆかりの場所も訪ねました。

ヴィーノはいっしょうけんめい周りの匂いを嗅いで、風景を見ていました。

「何を考えているの?」

と、思わず問いかけたくなるほど、長い間じっと見つめているときもあります。ヴィーノにならなければ、本当のところはわからないのですが、何を感じているのか、俺なりに想像力を働かせてみました。

この本は、ヴィーノの目線で日本の風景をとらえた写真絵本です。ヴィーノといっしょに美しい日本の風景を旅した気分を味わってもらえたらうれしいく思います。

なお、写真は127点使用しています。
 
 
 
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2015/06/02

狭山市の田んぼで愛でる「田毎の月」

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埼玉県狭山市にも田んぼがありますが、年々減っているのがわかります。宅地になったり、畑になったり。

田植えは数日前に終わっている田んぼで「田毎の月」を鑑賞しました。昨日は旧暦四月十五日で、満月の二日前です。(おとといは曇ってだめでした)

風が強く、水面には小波が立って、映る月の光も揺れています。

近くは国道16号線も通っているし、住宅もあるのですが、暗くなっていく田んぼで月を見ると、なぜかぞくぞくっとします。怖さを感じます。

昼の世界から、夜の世界への変わり目だからなのかもしれません。それまで明るくて見えづらかった月は、だんだんはっきりと姿を現すのがこの時間帯なのです。

妖怪が現れるのもこんな時間帯ではないでしょうか。たまに通り過ぎる学校帰りの学生や、散歩する近所の人さえも、あの暗がりで見ると、一瞬身構えてしまいます。街灯が無いところなのです。(だから月の写真を撮りやすいのですが)

「田毎の月」は、田んぼの水に月が映ったことを見て、美しいなぁ(たぶん美しさの中には、怖さも含まれますが)と思う感性にあるのでは?と、今まで何度も書いていますが、だから「田毎の月」の「すべての田んぼに同時に複数の月が映る」ことを、あまりにも強調しすぎると本質を見誤まるような気がします。

フランスの画家、マルク・シャガールは、現実ではなくて想像上の物を描いていると言われるのが嫌いで、「心的現実を描いている」と反論したそうです。

「田毎の月」を、歌川広重は絵で、松尾芭蕉は句で表現しましたが、彼らも「心的現実を描いている」のでしょう。

これを日本人の無意識にあるイメージを意識化したもの、日本人の心象風景と考えることもできるのではないでしょうか。
 
 
 
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2015/06/01

犬と見詰め合うのは、威嚇ではなく、愛情という研究結果のニュース

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犬に関しての興味深いニュースがありました。

愛犬と見つめ合ったら…… 愛情ホルモンで絆が深まる
(Nifty Newshttp://news.nifty.com/cs/magazine/detail/diamond-20150529-71661/1.htm参照)

この記事によると、

「従来、犬の社会性の基本は、共通の祖先種にあたるオオカミに似た「順位付け」にあるという説が有力だった。しつけ本でも「飼い主をボスと認識させ、服従させる」ことを勧める記載は多い。しかし近年、犬=オオカミというイメージは間違いで、むしろ犬の「心のありよう」はヒトに近いことがわかってきた。たとえば、一般的に動物のアイコンタクトは「威嚇」のサインであるのに対し、ヒトと犬の見つめ合いは「愛情」のサインだ。お互いが相手の目に浮かぶ感情に応えることで、一方的な支配-被支配関係とは違う双方向の絆を生みだす。」

だそうです。

俺も前から、「飼い主をボスと認識させ、服従させる」というしつけに疑問で(失敗しているだけなんですが)、本当にそうなのかな?と思ってきました。

そもそも、犬のしつけの仕方が、西洋的すぎるのではないかなという思いもありました。「動物を支配する」という考え方ですね。(この「動物」には、ある種の「人間」も含まれるんですが、その話はおいといて)

明治期に日本に来た外国人が、日本人の動物(家畜)に対する態度を「甘やかしている」と表現しています。動物(家畜)は、人間がちゃんと支配し、管理するもので、人間とは完全に区別されるものだ、という考え方は、キリスト教的と言ってもいいんでしょうか。

とにかく、この思想が輸入され、犬のしつけの仕方についても、西洋式が疑いも無く続けられてきたということなのでしょう。

俺がビーグル犬ヴィーノと暮らし始めたのは、今から7年ほど前で、しかも、当初は、消極的に暮らし始めたということがあって、けっして犬については詳しい人間ではありません。(咬まれるなど、マイナスのことでは詳しいですが)

そんな俺でも、ヴィーノと暮らし始めてみると、いろいろわかってきます。しつけの本を参考に試してみたり、ドッグスクールにも3、4ヶ月通ったこともあります。でも、なぜかうまくいかなかったし、違和感も覚えました。いつのまにか自分自身に「しつけができない駄目な飼い主」という意識が芽生えました。

半分は当たっているでしょう。でも、半分は間違いかもしれません。自分が試行錯誤する中から感じてきたものは、正しかったのではないか、と、この記事を見て思ったのです。

しつけの本には「目を合わせたとき下位のものが目をそらす」とあったのですが、ヴィーノは、目をそらさないのです。子供のころからそうでした。俺はこの本を信じていたので、「ヴィーノが俺の上位だと思い込んでしまったんだろう」と考えました。

だから、ヴィーノと目が合ったときは、なるべくそらさないで、ヴィーノがそらすまで見続けようとしました。それが俺が上位になるためのしつけだと思っていたからです。

でも不思議だったのは、いつもヴィーノの目から感じるのは、「上位・下位」とか「服従」とか「威嚇」とかいう感情ではないのです。

妻からも「二人で見詰め合ってどうしたの」などと言われることも多いのですが、ヴィーノと見詰め合うのが、むしろ、「いい感じ」であり「気持ちがいい」のです。

記事には、「見つめ合うと、愛情ホルモン「オキシトシン」の分泌が双方で高まり、絆が強まるようだ。」とあります。俺の今までのヴィーノとの暮らしの中から体験的に思うに、この研究結果はすごく説得力がありますね。

そして肩の荷が下りたような気もします。けっしてしつけに失敗したわけではないと。西洋式しつけが、もしかしたら間違っていたのかもしれない、とさえ思います。

もっと日本人に合った犬のしつけ(「しつけ」というのがそもそも上から目線ですが)があってもいいのでは?と思います。

新しい犬との付き合い方が始まるような予感がします。
 
 
 
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