« 犬と見詰め合うのは、威嚇ではなく、愛情という研究結果のニュース | トップページ | 写真絵本:日本一周犬ヴィーノが見た風景 [Kindle版] »

2015/06/02

狭山市の田んぼで愛でる「田毎の月」

150602_1

150602_2

150602_3


埼玉県狭山市にも田んぼがありますが、年々減っているのがわかります。宅地になったり、畑になったり。

田植えは数日前に終わっている田んぼで「田毎の月」を鑑賞しました。昨日は旧暦四月十五日で、満月の二日前です。(おとといは曇ってだめでした)

風が強く、水面には小波が立って、映る月の光も揺れています。

近くは国道16号線も通っているし、住宅もあるのですが、暗くなっていく田んぼで月を見ると、なぜかぞくぞくっとします。怖さを感じます。

昼の世界から、夜の世界への変わり目だからなのかもしれません。それまで明るくて見えづらかった月は、だんだんはっきりと姿を現すのがこの時間帯なのです。

妖怪が現れるのもこんな時間帯ではないでしょうか。たまに通り過ぎる学校帰りの学生や、散歩する近所の人さえも、あの暗がりで見ると、一瞬身構えてしまいます。街灯が無いところなのです。(だから月の写真を撮りやすいのですが)

「田毎の月」は、田んぼの水に月が映ったことを見て、美しいなぁ(たぶん美しさの中には、怖さも含まれますが)と思う感性にあるのでは?と、今まで何度も書いていますが、だから「田毎の月」の「すべての田んぼに同時に複数の月が映る」ことを、あまりにも強調しすぎると本質を見誤まるような気がします。

フランスの画家、マルク・シャガールは、現実ではなくて想像上の物を描いていると言われるのが嫌いで、「心的現実を描いている」と反論したそうです。

「田毎の月」を、歌川広重は絵で、松尾芭蕉は句で表現しましたが、彼らも「心的現実を描いている」のでしょう。

これを日本人の無意識にあるイメージを意識化したもの、日本人の心象風景と考えることもできるのではないでしょうか。
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

|

« 犬と見詰め合うのは、威嚇ではなく、愛情という研究結果のニュース | トップページ | 写真絵本:日本一周犬ヴィーノが見た風景 [Kindle版] »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 犬と見詰め合うのは、威嚇ではなく、愛情という研究結果のニュース | トップページ | 写真絵本:日本一周犬ヴィーノが見た風景 [Kindle版] »