「大英博物館展---100のモノが語る世界の歴史」 なぜ人間は美しいモノを作るのか
東京都美術館で開催されている「大英博物館展---100のモノが語る世界の歴史」。
英国・ロンドンにある大英博物館の所蔵品から、100の「モノ」たちを厳選し、200万年前から現代に至る人類の歴史を読み解こうという企画展です。
東京展は6月26日までですが、その後、7月14日~9月6日は福岡で、9月20日(日)~2016年1月11日は神戸で開催されます。
「モノ」が語りかける壮大な歴史の旅という、おもしろい切り口の展示ですが、全体を見終わって感じたのは、なぜ、人間は、こんなにも美しいモノの形を生み出せたのか? 生み出してきたのか?という疑問が、ますますわいてしまいました。
その答えのヒントになりそうな最初のモノは、タンザニア・オルドヴァイ渓谷で出土した140万〜120万年前の「オルドヴァイ渓谷の握り斧」です。
長さ23.8cm、左右対称のしずく状の石製の握り斧です。
「左右対称にしても、道具としての性能が上がるわけではない」という解説文には思わず納得。
考えてみればそうですね。じゃぁなぜそこまでやるのかというと、公式HPには、「単なる道具の域を超えた芸術性、「美しいものをつくりたい」という人類の願望の萌芽を見出すこともできます。」とあります。
当時の人間にならない限り正確にはわからないのですが、美を求めることは腹の足しになりません。「生存」という適応からは、まったく無駄なのです。でも、無駄でも美しいものを追求してしまう。それが人間なのかもしれません。
それがなぜなのかを知りたいのですが。
HPでは、言語の発達との関係にも触れられています。斧の完成形をイメージして石を削っていく作業と、言葉を発する作業とは似ているかもしれません。
何か言葉で意味を伝えたいときは、まず言葉の完成形をイメージして単語を並べるわけです。(言語学者のフロムキンによると発話まで6段階の過程があるそうです) もちろん、これは一瞬にやっていることで、意識できないものですが、たしかに似ている作業のようにも見えます。
だから計画的なモノ作りのときと言語を話すときは、脳の同じ部位が活性化するという話は、わかるような気がします。
話は前後しますが、会場に入ってすぐにあるのが、紀元前600年ごろの古代エジプトのミイラの入った棺と、2003年ガーナで作られたライオンを象った棺桶。
時代は離れていますが、棺にかける執念がみごとに同じです。棺は単に、「死体の入れ物」ではないことがわかります。
俺はアジア各地で葬式を見ていますが、地味な棺桶は日本くらいで、どこでももっと派手でした。中国雲南省、インドネシア・バリ島、スラウェシ島、ベトナムなどなど。
そのほか、紀元前2500年頃イラクの「ウルのスタンダード」は人気で、人だかりがしていました。
そしてなんと言っても1150年~1200年、イギリス・ルイス島(おそらくで制作されたのはノルウェー)「ルイス島のチェス駒」は映画『ハリー・ポッターと賢者の石』で出てきたもので、大人気です。大きくしたレプリカと記念写真を撮れるようになっています。
個人的に印象に残ったのは、ギリシャ・カルパトスで発見された前4500~前3200年の「カレパスト島の女性像」。
日本の縄文時代の土偶の女性像を大きくしたような形ですが、顔の部分には鼻の突起、胸のところには乳房の突起、股のところには性器の割れ目がついただけのシンプルな形。
鼻はわかりませんが、ほかの二つのシンボルによって女性(母)を表現していますが、シンプルだからこそ母性を強烈に訴えかけてきます。日本の土偶同様、これは信仰の対象であったかもしれません。古今東西、女性(母)に対しては、同じようなイメージを持ち、像が作られています。
ただ女性(母)は、人間を包み込んでくれる優しさのイメージと同時に、人間を包み込んで放してくれないという負のイメージもあります。世界各地の昔話やおとぎ話にも、「魔女」や「山姥」から逃れるという自立をテーマにした話が多いというところからも、このふたつの面を持った「女性(母)」のイメージは普遍的なようです。
「カレパスト島の女性像」の形からも、「優しさ」と「怖さ」、その両方のイメージが感じられます。このイメージは「自然」に対するイメージへと繋がります。
そしてもうひとつ、アイルランドで発見された、前2400年~前2000年の「金製の半月型装飾」は、形の世界同時発生説を思わせるものでした。
ラテン語で「ルヌラ」と呼ぶそうですが、「小さな月」という意味です。これを見たとき、中国貴州省のミャオ族の装飾品を思い出しました。
ミャオ族の装飾品は、金製ではなくて、銀製でしたが、母親から娘に代々受け継がれる家宝です。それを祭りのときに美しい民族衣装とともに付けて踊ります。
当然このルーツだとかいう話ではなくて、「月」という目だった自然物、しかも「月」と「女性」は関係が深いということもあって、どこにでも同じ形の装飾品が考え出されるということなのでしょう。
美しい芸術作品は、最初は自然物の模倣から生まれるとも言えるでしょう。自然物に対する思いが形に表れていると言い換えることもできると思います。
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