核兵器(原爆)が初めて人間に使われて70年
核兵器(原爆)が初めて人間に使われて70年。
この原爆投下について、アメリカ人は戦争を終結させたから正しかったと主張しています。これはアメリカ政府公式の説明でもあります。最近の若いアメリカ人の考えは変わってきているようですが。
まぁアメリカ人だって、原爆投下で大量に人を殺しておいて、平気な顔をしていられるはずがなかった。その罪悪感を抱えながら生きることなんてできなかったはずです。だから、「これ以上犠牲者を出さずに済んだので原爆投下は正しかった」と思い込むことが罪悪感から逃れる方法でもあったし、政府の説明は都合が良かったと言えるでしょう。
「犠牲者を出さずに済んだ」のはもちろんアメリカ人の犠牲者のことです。日本人の犠牲者のことなんて考えていません。だから、日本人の中にも「原爆投下は正しかった」などと発言している人もいますが、まったくの勘違いだと思いますよ。
そもそも原爆なんか使わなくても、日本は戦争に負けていたし、戦争は終わっていたでしょう。だから原爆が唯一戦争終結のための必要条件だったわけではありません。原爆は絶対的悪なのです。
そして原爆はアジアの国だから落とせたということもあるでしょう。アメリカ本土からの距離(遠さ)もそうですが、「人種」の違う国だからです。
あのタイミングを逃せば原爆を実際に使ってみる機会を失うと恐れた、はっきり言って関係者の中には、「使ってみたい」と考えていた人間はいたでしょう。これからのソ連との戦争を想定して、原爆の被害がどうなるか知りたかったのかもしれません。実際アメリカは広島と長崎で原爆被害の詳細なデータを取っていました。
ベトナム戦争のときの映像でしたが、ベトナム人(敵)を同じ人間だと思わないように訓練していたアメリカ軍の新兵訓練教官のインタビューは衝撃的でした。
「同じ人間だと意識すると殺せなくなるので、ベトナム人は人間ではないと徹底的に教え込んだ」というのです。目隠しして殴り合いをさせる訓練もありました。相手(人間)の目を見ないと殺すことにも躊躇しなくなる「兵器」を作りあげるには効果的な訓練方法だったようです。
原爆投下の指令を承認したトルーマン大統領や、実際原爆を投下したB-29エノラ・ゲイ号の兵士がとくべつ残酷で非道な人間だったのかといったら、まったくそんなことはありません。家庭ではいい夫であり、優しい父親であり、犬なんかとじゃれて遊ぶ「普通の人」だったと思います。
問題はここなのです。
人は、「人が見えない」あるいは「人に見えない」と、相手に何でもやってしまうものなんだなということが、アメリカ軍新兵訓練の話からもわかるし、前に書いたフィリップ・ジンバルドの監獄実験、やミルグラムの服従実験(教師役が命令に服従し、生徒役に電流を流して罰を与える実験)の結果から明らかですが、状況によって人は何でもやってしまうんだということなのです。
「特別な人」ではなかったところが怖いのです。頭が悪いからとか、残忍な性格だからとか、相手を憎んでいたからなどというのではなくて、まったく利害関係も無い、普通の市民が、ある条件化では、命令に服従し、残酷なこともやってしまうというものです。
「性格」よりも「状況」の影響力ははるかに大きいのです。人はそれに気がついていません。
だから結論はこれしかありません。
核兵器を使わないようにするためには、核兵器を根絶する以外にないということです。核兵器を持たないようにするしかありません。
民主主義だの人権主義だの人道主義だのを標榜して世界の警察きどりでいるアメリカさえ、ある状況下では核兵器を使ってしまうのです。
核兵器を持っていたらいずれ使う。第二次世界大戦後も使いそうになった危機はあるそうだし、これからも必ずあるはずです。
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