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2015/09/30

2015年秋の撮影旅(19)  長野県長野市西部の桜の棚田、中曽根の棚田、「鎧田」

150927_1(桜の棚田)

150927_2(「あらぎ島型の棚田」がここにも)

150927_5(中曽根の棚田)

150927_3(「鎧田」)

150927_4(シナノスイートの木と「鎧田」)


長野市西部は棚田が多いところです。桜の棚田、中曽根の棚田、「鎧田」などなど。

雑誌のインタビューを受けたのは、雄大な風景の「桜の棚田」を目の前にしながらでした。時間を決めてあったので、景色のいいところでと思って30分ほど前に行って写真を撮りながら電話が来るのを待っていました。

風景は人の言葉にも影響は与えるのではないかと思います。いい風景の中では、いい言葉が浮かぶと。

桜から北にある「浅川ライン」沿いの棚田で写真を撮っていると、「これ食べてみない?」と言ってリンゴをくれたのは、近くで仕事をしていたリンゴ農家の奥さんでした。

旦那さんと息子さんの3人で、リンゴの木の下に銀色のシートを敷いて、下からリンゴに色付けをするそうです。

リンゴもまもなく収穫ですが、その日は、棚田では稲刈りでした。

「これ持ってく?」と言って、さらに5個もリンゴを持ってきてくれました。大玉です。

長野県生まれの「リンゴ3兄弟(姉妹?)」と呼ばれるオリジナル品種、「秋映(あきばえ)」、「シナノスイート」、「シナノゴールド」というものがあるそうで、もらったのは「シナノスイート」でした。

こんな風景がまだあるんだなと嬉しくなってしまうほどの良い棚田でしたが、半分はまだ緑色。なんでも今年は事情があって田植えが遅れたとのこと。例年なら全部が真っ黄色で稲刈りするはずなんですが、と教えてくれた。

「あそこに青い屋根の家が見えるでしょ? 昔はお城だったらしいんです。それと関係があるのか、この田んぼを地元では「鎧田」と呼んでいます」

「掘ったら小判が出てくるんじゃないんですか」と冗談を言ってみました。

俺はお礼にと言って、「旧暦棚田ごよみ」を渡しましたが、

「お礼なんていらないですよ」

と言って受け取った奥さんは全く興味がなさそうで、本心からいらなかったようです。まるで押しつけたみたいになってしまいました。
 
 
 
 
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2015/09/29

満月「スーパームーン」も水鏡に映してみる

150929_4(直接月にカメラを向けた写真。シャッタースピードは約30秒)

150929_2(水鏡に映した月の写真)


おとといは「中秋の名月」でしたが、満月ではありませんでした。

満月は昨日の月です。

しかも月が地球に近づくので大きく見えるといわれる「スーパームーン」。(通常より30パーセント明るく、14パーセント大きく見えるとのこと by AFP通信) 実際、雲が切れると驚くほど明るく感じました。

世界の一部では、太陽、地球、月が一直線に並ぶ「皆既月食」も見られたらしい。

おとといと同じように水鏡に映して鑑賞してみました。「田毎の月」と同じ鑑賞の仕方です。ただ昨日の夜は風が強く、盆の水が鏡状態になるのは一瞬のことだったので、なかなか撮影はたいへんでしたが。

Wikiの「月見」のページにはこうあります。月見の慣習自体は中国から入ってきたものらしいのですが、

「平安時代頃から貴族などの間で観月の宴や、舟遊び(直接月を見るのではなく船などに乗り、水面に揺れる月を楽しむ)で歌を詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。」(Wiki

どうして直接見なかったのでしょうか。おとといもちょっと書いたのですが、月は「狂気」と結びついていて、見ることを忌むところも多いのです。

日本でも「『竹取物語』には、月を眺めるかぐや姫を嫗が注意する場面があり、月見を忌む思想も同時にあったと推察される。」(Wiki)とあります。

だから直接ではなくて、水に映して間接的に月を見るようになったのではないか、と勝手に想像してしまうのですが。

いや、そもそもなぜ月を見ると「狂気」を招き入れてしまうのか、そこから調べないといけませんね。
 
 
 
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2015/09/28

「中秋の名月」を猪口と盆の水に映して鑑賞

150927_a

150927_b


昨日の月は「中秋の名月」。

昔の人は、杯とか池とかに映して月を鑑賞するのが風流だったらしいと書きました。

それで俺も実際やってみました。その写真です。

猪口に映すと水面全部が光ってしまったので、今度は直径15cmほどのミャンマー製の盆の水に映してみました。

すると、昨日はちょうど薄く雲も流れていて、水に映った月は幻想的な雰囲気になりました。

やっぱり、これは「田毎の月」ですね。水に映して月を鑑賞するルーツは同じところから来ているのかもしれないと思いました。

そういえば、月は「映す天体」です。自分からは光りません。明るいのは太陽の光が反射しているからです。

だから水に映すのは、2重に映していることになります。まるで「合わせ鏡」のようです。

どうも世界中の言い伝えには、月は「狂気」と結びついているものがありますが、きっと月は見る人の心も映すからです。自分の深層心理を直視するのが怖いのかもしれません。

永遠と続きそうな「合わせ鏡」はそれだけでも十分に怖いですが。とくに合わせ鏡の間に立った自分の姿だけひとつしか映っていないときなんかは…
 
 
 
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2015/09/27

今日は「中秋の名月」。「東北お遍路フォーラム」での「死」の話との関係

150927_2(写真は昨日の十四日月)


いったん撮影旅の話は中断して、今日は「中秋の名月」(旧暦八月十五日)の話題です。昔は月を直接ではなく、杯や池に映して楽しむのが風流であったらしい。これって、「田毎の月」に通じるものがあるのでしょうか。

おととい「第4回 東北お遍路フォーラム」が仙台のメディアテークで行われました。

新しい巡礼地が9カ所発表され、お遍路マップがお披露目されました。こういうマップを見ると、「お遍路」としての「道」の様子が俯瞰できて、イメージしやすくなったのではないでしょうか。

基調講演は民俗学者、福島県立博物館館長の赤坂憲雄先生でした。

「震災と宗教」という重くて暗いテーマでした。いや、「重くて暗い」という表現自体が、俺を含めた今の日本人がこういった死に対するテーマを見ようとしない、避けようとしているということも意味しているのでしょうが。

たまたま昨日ラジオを聞いていたら、沖縄では戦争で亡くなった人の話とかはよくするそうで、「死」の話題もそれほど嫌われてはいないようです。

「命を大切に」などと子供たちに教育しても、「死」を見ないようにする「命」って何なのかなと思います。「命を大切に」ということがわかるためには「死」を意識しなければ。「死」が隠されているようなところで「命の大切さ」など説得力を持ちません。

先生は震災後の被災地を周りましたが、それは「巡礼」でもあったかもしれないというのが印象的でした。巡礼とは、人が鎮魂の思いで行動すると、そうなってしまうものかも、それを「型」にしたのが巡礼路と言えるのかもしれないなぁと感じました。

欧米からは「それは宗教ではない」とさげすまれてきましたが、たとえば、震災後「シシ踊り」などの芸能や祭りが復活したことを見て、日本人ほど宗教を大事にしている民族はいないのではないかと感じるようになったそうです。

「生きとし生きるもの、すべての生き物のために奉納する」という碑があるそうです。「命の思想」が語られているのではないかと先生は言います。東北の芸能、祭りは死者に対する鎮魂供養の意味があり、こんな大災害のときにこそ、やらなければならないものだったのです。

「死」が身近にあることを意識しながら暮らしてきたのが東北人であるようです。「死」が「暗い」とか「重い」などと言っているようではだめなんですね。

「暗さ」や「重さ」を消し去ってしまう、夜中でも煌々と照らされる都会の電力が東北で作られていたというのは、なんだか皮肉な話でもあります。

今日は久しぶりで「中秋の名月」を眺める人もいるでしょう。闇の中に立って、先祖や死者に思いをはせるいい機会でもあるかもしれません。

奇しくも死者・行方不明者63人に上った御嶽山の噴火から1年経った日でもあります。
 
 
 
 
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2015/09/26

2015年秋の撮影旅(18) 長野市(旧中条村)の棚田

150926_2(栃倉の棚田)

150926_3(栃倉の棚田)

150926_4(田沢沖の棚田)

150926_5

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旧中条村には、棚田百選に選ばれた棚田が3カ所。

そのうち、栃倉と棚田と、田沢沖の棚田の2カ所、今回周りました。それと、途中道に迷って出会った小さな棚田なども。

急な斜面に作られた集落と棚田。アワやヒエやソバ畑も多いところです。ネパールのコド(シコクビエ)」畑を思い出します。

いつもここへ来ると思うんですが、日本は山国なんだなぁと。そして同時に海の国でもあります。海と山。両方が近くにあることが文化にもバリエーションを生んでいるんでしょうね。
 
 
 
 
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2015/09/25

2015年秋の撮影旅(17) 赤塩の棚田 カミへの感謝の表現形「収穫祭」

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長野県飯綱町赤塩の棚田を探しに行ったとき、集落では祭りの最中でした。見たら寄らずにはいられない性分なので、当然、また祭り見物することにしました。

その前に棚田を撮影しておこうと、「赤塩の棚田はどこですか?」と聞いたら、

「そんなの聞いたことないですね」

と、40代くらいの男性は言いました。でも、他の人とあぁでもないこうでもないと相談が始まって、「あそこの段々になった田んぼじゃないかな」という結論になりました。

「先に棚田へ行って、あとで戻って来ます」と挨拶して、神社の奥の方へ入っていくと、確かに沢沿いに広がる段々になった棚田はありました。収穫間近です。

撮影後、集落に戻りましたが、太鼓と笛の音で、どこにいるかはわかりました。音を頼りに向かうと、ある家の庭先に人がたくさんいました。

見ると、家の中では獅子舞が踊られていました。この獅子舞は「男獅子舞」と「女獅子舞」の2種類があって、家ごとにどちらを舞うかは決まっているようです。同じ踊り手の獅子ですが、所作をみれば2つの違いは一目瞭然です。「男獅子舞」は剣を持ったりして荒々しい動きですが、一方の「女獅子舞」は柔らかくおっとりしています。

獅子舞が終わると、獅子は子どもたちの頭を噛む所作をしたりします。健康に育ってほしいという願いでしょうか。それと、お菓子がまかれる家もありました。それを拾おうとする子供たちが、獅子舞には冷淡だったのに、いっせいにテンションが上がります。

そうやって家々を訪ねては獅子舞を踊って、村を練り歩きます。

ところで赤塩のお神輿が面白いと思たのは(今まで見たことがなかったので)、お神輿を人が担ぐのではなくて、リヤカーに載せて、引くのです。(どうしてそういう形になったのか聞きそびれたのは残念です)

けっこう坂も多いので、簡単に引けるわけではありません。だから元気のある男衆が引いています。

この行列が黄色い田んぼを行く風景はいいですね。おそらく、日本各地で、まさに今日、同じような収穫祭が行われているんだろうなと思うと、なんだかジーンとしてきました。

収穫できる喜びをカミ様に伝えたい、感謝の気持ちを表したい。そういう感謝の表現形が秋祭りなんだと実感できました。カミ様に喜んでもらって、山に帰っていただき、また来年、里に下りていただく。そういうサイクルが毎年同じように滞りなく続くようにという願いを込めて。

伊勢神宮の「初穂曳」は、日本を代表する収穫祭ですが、こういった村々の祭りも素朴でいいですね。農民の嬉しさや、カミへの感謝が、素直に表現されていると思います。

ある家の人から「缶ビールどうですか?」と聞かれ、「車なので」と断ると、ちゃんと今の時代ノンアルコールも用意されていて、それは喜んでいただきました。

「今年は珍しく天気も良くて。いつも雨が降ったりしてたいへんなんですよ」と言いました。

そうか、今年は運が良かったんですね。雨が多い秋だと感じていましたが、この日に限ってはまさに「秋晴れ」でした。

夜の11時半から獅子舞が神社で奉納されるそうですが、夜通し踊りを見るというのは、インドネシアの影絵を思い出しました。
 
 
 
 
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2015/09/24

2015年秋の撮影旅(16) 新潟県上越市(旧安塚町) 上船倉の棚田

150925_2


上船倉の棚田は「棚田百選」にも選ばれています。選ばれた当初はよく訪ねていましたが、今回は10年ぶりくらいです。ほとんど変わったところは見えません。ただ、道は良くなっていましたが。

新潟から福島経由で宮城に移動です。明日のフォーラム出席のため。
 
 
 
 
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2015/09/23

2015年秋の撮影旅(15) 新潟県十日町市 儀明の棚田他、十日町市&柏崎市の棚田

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十日町市の儀明の棚田。

ここは春先桜が咲くことでも知られています。今は、全然表情が違います。

背景の民家に雨上がりの雲がかかり続けていましたが、一瞬だけ陽が射しました。

他、十日町市と柏崎市を周って見つけた棚田です。
 
 
 
 
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2015/09/22

2015年秋の撮影旅(14) 新潟県十日町市 蒲生棚田の霧と水

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霧が出ないと「出ない」と文句を言い、出たら「出過ぎ」と文句を言う。写真家というのはなかなか我儘な人間です。

さんざん自分のイメージにこだわるなと言いながら、やっぱり、こだわってしまうのは凡人のせいでしょう。それは自覚しています。

蒲生棚田は、普通多くのカメラマンが撮影する西側からでは見えないところにたくさん棚田があります。意外と大きな谷です。

その中に水が張られた棚田がありました。錦鯉の養殖でもしているんだろうかと思って、作業小屋で仕事を終えた農家の人に聞きました。

ここは山が深くなく、水が豊富というわけではないらしい。山古志村で錦鯉の養殖ができるのは、きれいな水が大量にあること。こことは違う。ただ、飲める湧き水程度は所々にあるという。俺も2カ所で水場を見つけ、ペットボトルに詰めさせてもらい、コーヒーを沸かすのに使っています。

水の張った棚田は、体調を壊した人のもので、来年の復帰へ向けての準備だそうです。

ところで撮影していると、「今日はダメですね。昨日の条件の方が良かったよ」とか解説するカメラマン、全国どこにでも出没しますね。

そんな情報聞いたからと言って「昨日」には戻れないんだし、せっかく「今」の写真を必死に撮ろうとしているのに、テンションが下がるので、解説(自慢)はやめてほしいと思う今日この頃です。

雑誌用のデータも無事に送信が終わり、ひと段落つきました。結局、新潟県内の棚田がメインになりました。有名、無名を含めて。

もう一度長野県に行って、そのあとは新潟、福島、宮城へと旅を続けます。(と、言っても、もうこのブログはリアルタイムではなくなってしまいました。いつものことですが。数日遅れています)
 
 
 
 
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2015/09/21

2015年秋の撮影旅(13) 新潟県十日町市 星峠の棚田 稲刈りの季節

150920_0(星峠の星空)

150920_1(霧の中を車が・・・)

150920_2(稲刈りが始まった)

150920_3(小雨の星峠)

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150920_5(風雨で倒された稲穂)


数日前から星峠でも稲刈りが始まりました。

たわわに実った稲穂が首を垂れた姿がいいですね。収穫の喜びも感じる季節です。

でも、最近は大雨や強風が多かったので、稲が倒されてしまったのも多いですね。
 
 
 
 
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2015/09/20

2015年秋の撮影旅(12) 長野県長野市 県道12号線沿いの棚田

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晴れの日を待って、新潟県からいったん長野県に日帰り撮影旅行です。

長野市の南西部に県道12号線というのが走っていて、前から何度も通っていますが、この時期は初めてです。

棚田百選に選ばれてる「塩本の棚田」ほか、名もない棚田が無数にあります。

山奥の棚田の中に、ぽつんと赤いポストがひとつ。とても印象的な光景です。たぶん、全国でもここだけではないでしょうか。

だれが手紙を出すのかな?

いや、ちゃんと画面で切れて見えませんが、隣に民家がたくさんあるんですが。写真に騙されてはいけません。写真家は「いかに見せるか」よりも「いかに見せないか」に力を注ぐこともある生き物なんですよね。人が悪いんです、基本的に。

ここから山越えして、千曲市の姨捨棚田に抜けることができます。
 
 
 
 
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2015/09/19

2015年秋の撮影旅(11) 新潟県・長野県 秋山郷

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新潟県津南町から長野県栄村まで撮影しながら南下しました。

中津川沿いの地域で「秋山郷」といいます。

いくつか棚田もありましたが、集落がいいですね。

「福島総本家旧宅」という江戸時代中期の、中門造りの農家が保存されていました。堅固な造りは、豪雪地帯の厳しさがつたわります。
 
 
 
 
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2015/09/17

2015年秋の撮影旅(10) 新潟県十日町市 星峠棚田の朝焼け

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星峠棚田の朝焼け。

最近は雨が多くて朝日が出ませんが、この日は少しだけ出ました。
 
 
 
 
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2015/09/16

2015年秋の撮影旅(09) 風景写真

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風景写真は、時間を撮影することでもありますね。「シャッターを押す」ことは一瞬ですが、そのためには、長い時間を待ちます。「今まで待った時間の集大成の一瞬」と言うこともできます。

待つのはあたりまえですが、何を待つかは大切です。たとえば、「ここで太陽が出てくれたらなぁ」とか「霧が流れてくれればなぁ」と思います。これは自分がすでに持っているイメージを待つことです。

そうなんですが、でも、なんとなく違和感もあります。どうなってほしい、という期待を持ちすぎると、実際の風景を目の前にしたとき、その期待のものしか意識できなくなって、予想外が見えなくなってしまうのではないかなと。人間は見たいものしか見ないという癖があるからです。

あまりにその気持ちが強いと、太陽や霧が出ないときは期待が裏切られたと感じるし、期待通り、出たときはそれで満足してしまうところがあります。

でも、風景というのは、自分の過去のイメージを越えて、とてつもない広がりがあって、俺が知らない風景だらけのはずなのです。期待が強いと、その広がりを取り逃してしまいそうで怖い。しかも自分ではそこに気が付くことが難しいのです。

もっと、自然体で自然に接し、目の前の風景をすべて受け入れる気持ちを持つ、つまり、期待しないということ、偶然の風景に「いい」と思えるかどうかも大切なんでしょうね。自然はすべて予想外かもしれないんです。過去と同じことは起こらないし、自分のイメージなんか、たかが知れてるはずです。俺もなかなか理想通りには行きませんが。

予想外の風景に偶然出会うことこそ、風景写真を撮る醍醐味だと思っています。そういう奇跡の風景に出会ったのは、今まで30年ほど写真を撮っていますが、数回あるかないかですね。
 
 
 
 
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2015/09/14

「第4回 東北お遍路フォーラム」 仙台市で2015年9月25日開催

150430_5_2(岩手県釜石市 こすもす公園)

120428_1_2(宮城県石巻市 日和山公園)

150418_1_2(福島県新地町 龍昌寺)


「東北お遍路フォーラム」が開催され、青柳もパネラーとして参加します。

事前申し込みが必要ですが、氏名、ご連絡先、メールアドレス、所属などをご記入のうえ、事務局宛のメールでも受け付けています。

開催日: 2015年9月25日(金)
時間: 18:00~20:30
会場: 仙台メディアテークス タジオシアター(7F)

■ 基調講演:「震災と宗教」

   赤坂憲雄氏(民俗学者・学習院大学教授・福島県立博物館館長)

■ パネルディスカッション:「被災者のこころにどう寄り添うか」

   パネラーは、あんべ光俊氏(シンガーソングライター)、山田政博氏(大蔵山スタジオ株式会社代表取締役社長)と青柳。コーディネーターは穴澤鉄男(東北お遍路プロジェクト理事)

お問合わせ:一般社団法人東北お遍路プロジェクト
TEL: 022-264-7890
Mail: info@tohoku-ohenro.jp
http://tohokuohenro.blog.fc2.com/blog-entry-61.html
 
 
 
 
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2015/09/13

2015年秋の撮影旅(08) 山形県朝日町椹平

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150913_2


昨日、山形県から新潟県に戻りましたが、途中朝日町の椹平の棚田によってみたら、りっぱな休憩所ができていました。

オープンしたのが数年前と言っていたので、前回訪ねた時はなかったと思うので(もしかしたら平日だったから覚えていないのかもしれませんが)、そんなに来てなかったかなと思いました。

「どうぞ、お茶飲んでってけらっしゃい」

と声をかけてくれます。お茶と漬物をいただきながら世間話をするのもいいですね。奥さんたちの山形弁も「おもてなし」のひとつではないでしょうか。

休憩所がオープンしているのは、9、10月の土日祝の日中です。

やっぱりこういう休憩所があると、観光客も立ち寄りやすい。しかも、ちょっとした土産も買うことができるし。個人的にはプルーンとワラビの漬物がおいしかったので買いました。

昨日はボランティアの人たちがハサ架けするための「稲杭」立ての作業をしていました。
 
 
 
 
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2015/09/12

2015年秋の撮影旅(07) 山形県河北町「かほく町民大学 ひなカレッジ2015」

150912_1(会場のどんがホール)

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150912_2(河北町で作っているイタリア野菜を使った料理)


昨日は、河北町で「旧暦のリズムで棚田を味わう」の公開講座を行いました。

時間切れで、「クリスマス」についての話を割愛してしまったので、ここで書いておきます。読んでくれる人もいるでしょうから。

ただ、これは俺の勝手な解釈であることを断っておきます。

北半球では一年のうちで昼が最も短く、夜が最も長くなる日が冬至です。

冬至を祝うところは多く、クリスマスも冬至祭が起源という説があります。新暦(グレゴリオ暦)の1年の元旦と、クリスマスが、冬至の日に近いことも偶然ではないそうです。実際、冬至を1年の始まりにした暦がありました。

クリスマスの起源を探っていくと、キリスト教以前の信仰や伝統があるのがわかるので、キリスト教徒ではない日本人がクリスマスを祝っても不自然ではないという理屈になるでしょう。 「クリスマス」ではなく「冬至祭」でもいいかもしれません。

アメリカでは多宗教の事情から最近は「メリークリスマス」とは言わず「ハッピーホリディ」と言うようになっているらしい。宗教に関わらず、祝うという意味で、昔の「冬至祭」に戻っていると考えることもできます。

キリスト教以前、冬至祭(クリスマスのルーツ)は、「死と再生」の儀式であったかもしれません。異界の国から異界の者が「煙突」を通ってやってきて、贈り物を届ける話なのです。

ここで「煙突」がキーワードではないでしょうか。狭くて暗い、すなわちこれは異界との通り道。「煙突」は比較的新しいイメージなので、昔は「洞窟」や「穴」だったかもしれないし、もっと言えば女性の子宮かもしれません。異界の者は神と解釈できるかもしれません。

古い年が死んで、新しい年がやってくる。冬至は太陽の光が一番弱く感じるときでもあり、太陽の活力を取り戻すのが「冬至祭」の意味ではないかな。

贈り物というのは、まさに活力のある新しい年なのではないでしょうか。

聖人ニクラウスがモデルになったサンタクロースはその後に作り上げられた話なのではないかなと思います。

以上、クリスマスの話です。
 
 
出身地ということで、小学校、中学校時代の同級生たちもやってきて、やりづらい面もありましたが、打ち上げのときに話すうちにだんだんと子供のころのことが思い出されてきました。

40年ぶりの人もいて、顔も変わっているはずなのに、どこかで見た顔だなぁと思うのは不思議ですね。(顔を判断するのは何なんだろうか?と、心理学的な興味が沸きましたが、このことについてはまたあとで)

ところで、町内に小学校は6つあって、そのうち3つの小学校の校長が、なんと同級生たちだと聞いて、びっくりしました。昨日はそのうちの2人と再会しました。

打ち上げで出てきた料理は、河北町で作っているイタリア野菜でした。

実は今、河北町は「イタリア野菜の産地」を目指しているそうです。河北町の気候と土がイタリア野菜との相性がいいらしいのです。町の活性化をはかるために、作り手である農家と使い手である飲食店が連携を図り、「かほくイタリア野菜研究会」が設立されました。

河北町もいろいろやっているね。「かほく冷たい肉そば研究会 」もそうですが。
 
 
 
 
 
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2015/09/11

2015年秋の撮影旅(06) 大雨の中、新潟から福島、山形へ

150911


今日は山形県河北町で公開講座です。

本当なら今日山形県入りする予定でしたが、関東から東北にかけて雨による被害が出ていること、県境の道路が通行止めのニュースを聞いて、何が起こるかわからないので、念のために昨日の夜、山形県に入りました。すごい雨でした。

今、朝の6:30。雨のピークは過ぎたようですが、まだ山沿いの集落では警戒が必要です。

上の写真は新潟県の長岡市の西部、山沿いの県道を走っているとき、大雨になってしばらく休んでいたら、西側だけ晴れ間が出てきて、もしかしたら虹が出るのでは?と思ったら、出ました。

「虹」と「棚田」の組み合わせの写真を撮ったのは初めてではないかと思います。
 
 
 
 
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2015/09/08

2015年秋の撮影旅(05) 室野の秋祭り

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この前の日曜日、星峠からまつだい駅へ帰るとき、室野集落で祭りが始まるようだったので、急きょ、予定を変更して、祭りを見ることにしました。

簡単な神事が行われてから、大人神輿と子供御輿が午前9時に神社から出発し、3時間半かけて集落内を巡りました。

何ヵ所か、休憩所があって、踊りも披露されました。本来は男の踊りだそうですが、女性の着物らしきものを着ていて、昔は化粧してやっていたらしい。女装して踊るのは各地で見ますね。ただ動きは男性的でしたが。

昔は200軒を越えていた室野集落ですが、今は80数軒。この前の新潟長野地震でも何軒かなくなったそうです。でも、これくらいの規模の村にしては子供も多く、賑やかな祭りで、きっとこの祭りのために里帰りしているんだろうと思って聞いたら、違っていました。ほとんど全員がこの村に住んでいる人たちでした。そのせいでしょうか、祭りが義務的な感じがしなくて、本当に村人自身が楽しんでいるのが感じられました。

部外者の俺も棚田米の栗入りおこわをもらったりして、久しぶりで祭りを楽しんでしまいました。これが年で一番大きな祭り、稲刈り前の秋祭り。
 
 
 
 
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2015/09/07

2015年秋の撮影旅(04) 越後妻有2015大地の芸術祭

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150907_2草間彌生作『花咲ける妻有』

150907_4手前の作品が、松田重仁作『円-縁-演』

150907_5松田重仁作『円-縁-演』

150907_3松田重仁作『円—縁』

150907_6ウラジミール・ナセトキン作『グーグルアース 十日町の田畑』

150907_7ウラジミール・ナセトキン作『グーグルアース 十日町の田畑』


『越後妻有 2015 大地の芸術祭』が開催中です。

そのため観光客は多いし、しかも若い人たちが多く、彼らの一部は、星峠の棚田の方にも見学に来ていました。

友人の彫刻家の松田重仁くんも木彫作品を出品しているので見に行ってみました。

ひとつは以前俺も写真を開いたことのある「農舞台」の外側にも展示してありました。

もう一カ所は「農舞台」から南に約1kmの棚田の中。

いろんなアート作品を田んぼの中に見つけ、宝物探しをしているような面白さがあります。

室野の廃校では、ロシアのアーティスト、ウラジミール・ナセトキン作の『グーグルアース 十日町の田畑』という作品が展示されていました。

俺もグーグルアースではお世話になっています。実際棚田を探しています。

グーグルアースで「棚田」という文字を見つけたらびっくりするでしょうね。棚田に「棚田」って書いてあるんだから。ナスカの地上絵よりも驚くかもしれません。

作品は全部でいくつあるのでしょうか。2,3日滞在しても全部見ることはできないほど、多くのアーティストの作品が点在しています。

越後妻有といってもエリア範囲は広く、当然歩いて周るのは限られるので、エリア周遊バス・タクシー"バスタク"や、バスツアー、マイカー&レンタカー、レンタルサイクルなどいろいろと手段はあります。
 
 
 
 
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2015/09/06

2015年秋の撮影旅(03) 新潟県十日町市星峠の棚田 

150906_1


そろそろ黄色くなった田んぼもあり、もうすぐ稲刈りです。

天気予報では「晴れ」となっていたので新潟までやってきましたが、夕方はちょっとだけ晴れて斜光が射しこんだ星峠の棚田を撮影しました。でも、夜中、怖くなるほどの豪雨。山崩れしないかなと心配になるくらいでした。

明け方1時間前にようやく雨が上がり、わずかばかりの陽光もありました。

1週間後に戻って来ます。そのときが本番です。
 
 
 
 
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2015/09/05

2015年秋の撮影旅(02) 新潟県十日町市 松之山町留守原の棚田

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群馬県から新潟県に入り、塩沢石打ICから、国道353号線で117号線に出て、そこから狭い山道の405号線で松之山町へ。

留守原の棚田はも、平成23年3月12日の新潟・長野地震で地滑りが発生するなど、被災しましたが、復活して「希望へのアート」の看板が立っています。

稲はまだ「真っ黄色」とまではきませんが、そろそろ収穫の時期を迎えました。稲刈りは中旬くらいでしょうか。
 
 
 
 
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2015年秋の撮影旅(01) 群馬県みなかみ町

150904_1(群馬県みなかみ町の赤谷湖)

150904_2(群馬県みなかみ町の棚田)

9月11日の山形県河北町での公開講座に向けて、その途中の撮影旅です。講座でも今回の写真はもちろん使うつもりです。

群馬県から新潟県へ抜ける途中に、雨上がりの棚田がありました。
 
 
 
 
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2015/09/03

何かに取り付かれたような盛り上がりが一番怖く映った東京オリンピックのエンブレム騒動

131223_1(選手村予定地の晴海ふ頭)


佐野氏デザインのオリンピック・パラリンピックのエンブレムが白紙撤回されることになりました。

また公募があるんでしょうか? でも、怖くて、誰も 応募しなかったりして。個人で世界中のデザインを確かめるのは無理で、同じような問題に発展する可能性があります。

いくらオリジナルデザインだと思っても、探せば絶対似たようなものは見つかるし、また、ネットという技術が発達したのでなおさらです。

佐野氏のエンブレムが白紙撤回になって、良かった、良かったと思っている人がいたとしたら、それはあまりにも単純な発想かと思います。

次に、公募されたエンブレムについては同じようにネット民が捜索能力を発揮するだろうし、エンブレムだけではないですよ。今後オリンピックまでには、大会ソング、大会マスコットなど、いろんなことが決められていきます。

これにいちいち「似ている」だの「パクリ」だのといちゃもん付けられて、対応していたら、いくら時間があっても足りません。

ここで面白いと思うのは、リオ・オリンピックのエンブレムです。これもアメリカの慈善団体のと似ていると言われていて、たしかに明らかにコンセプトからして、似ているのにもかかわらず、取り下げていません。これは何なのでしょうか。国民性でしょうか。

日本人の、「火種になりそうなものは早めに取り除く」という国民性がここでも現れたのかなぁと思います。つまりクレームに弱い日本人。

ある線で、毅然とした態度でいかないと、収拾つかないことになってしまいます。

そもそも俺はベルギー人の劇場ロゴはパーツは似ていたけど、偶然だと思っていたし、こういういちゃもんつける人間は絶対現れるだろうとは思っていました。(ここでどうしてネット民たちがベルギーのロゴに似ているのを探す方向に行かなかったのかが興味あります。探せばいくらでも見つかるはずなのに)

でも残念なのは、佐野氏のデザイナーとしての姿勢に問題があったのは事実で、この騒動を招いた原因でもあるので、当然責任はあります。

空港の写真に関して、俺も写真家の立場から言えば、写真のコピーは許されないものですが、ただ、エンブレムそれ自体の重要度からみたら、元々は内部資料用だったということもあり、レベルが違いすぎます。今回エンブレムが問題になったから、この空港の写真も問題になったわけで、そうじゃなかったら、誰も問題にしないレベルです。

それにしても、どうしてスタッフにでも頼んで、空港の写真くらい撮りに行かせなかったのか疑問です。外国の空港でもない近場なのに。

たぶん、そこが佐野氏の仕事の姿勢なんでしょうね。ネットに頼り切っていた。プレゼン用の写真は常にネットからコピーして使っていたと思われてもしかたない。(写真家にちゃんと使用料を払ってください) そしてネットをなめてもいた。ネットの便利さを最大限に利用していた佐野氏は、その便利さによって、足元をすくわれた、ということ。

盗用かどうかなんていう問題はどうでもよくなり、あの佐野氏のデザインだというところに問題は移り、華やかで明るくクリーンなオリンピックという世界の祭典には、もはやふさわしくないネガティブなイメージがついてしまい、もう、にっちもさっちいもいかなくなり、それは関係者も感じていたでしょうから、この空港の写真盗用が発覚しなくても、白紙撤回していたのではないでしょうか。

今回は、本当にネットのすごさがあらためてわかった件ですが、行き過ぎると、こうなってしまうのか、という怖さもあります。

エンブレム問題とは関係ない佐野氏の親族の写真や、自身のメールアドレスなどもさらされているそうです。これは何なのでしょうか? もはやリンチ、犯罪ですよ。佐野氏を批判する資格はありません。これはやりすぎでしょう。

いったん「黒かも」と疑われると、いつのまにか「黒だ」に決め付けられてしまう恐ろしさも感じました。結果的に佐野氏の仕事に問題は見つかったのは事実ですが、発端であったエンブレムについては白黒ついていない段階で、すでに「黒だ」になり、こんなこと許されていいのかと思いましたね。

この異常なお祭り騒ぎに、普段は的確な意見を言う著名人までもが参戦し、証拠もないのに「黒だ」と叫んで非難する姿を見て、逆に恐ろしくなりました。もはや真相なんてどうでもよく、お祭りに燃える自分の姿に陶酔しているようです。デザインという見た目にわかりやすくて、素人が参戦しやすかったという理由も大きいでしょう。

この、何かに取り付かれたような日本人の盛り上がりが、一番怖く映ったエンブレム騒動でした。

次のエンブレムも、同じ騒動が懸念されます。
 
 
 
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2015/09/02

今日から二十四節気「処暑」の末候「禾乃登(こくものすなわちみのる)」

150902


今日から二十四節気「処暑」の末候「禾乃登(こくものすなわちみのる)」です。

「禾(いね・のぎ)」は稲やアワなどの穀物のことです。

夏が急に終わってしまったような気候が続いていますが、いよいよ田んぼは黄色くなって収穫の時期を迎えています。

撮影に出ようと思うのですが、あまりいい天気とは言えず、ぐずぐずと出発が延びています。

漢字の「年」は、元々は「秊」(禾 / 千)と表記された字です。「禾(いね・のぎ)」が入っているところから、稲を栽培する周期が1年と考えられていたようです。「禾」は「稲魂(いなだま)」の象徴を表したものです。

たしか、稲が収穫された後、来年の農作業まで日付がなくなるという暦も世界のどこかにあったような(何かの本で読んだ記憶があるのですが)。

それだけ、稲(穀物)を作って収穫するというサイクルが大切だったということを表しているんでしょうが、反対に、収穫が終わってしまったら、別に何もやらなくてもいいというふうにも言えるかもしれません。驚きの暦ですね。
 
 
 
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2015/09/01

ヴィクトル・E・フランクル著 『夜と霧』  未来を信じるのは心の筋肉

150901


「人格心理学('15)」の中で紹介されていたので、ナチス政権下、強制収容所に入ったユダヤ人心理学者ヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧』 (新版 池田香代子訳)を読んでみました。

人格を否定され、まるで動物扱いを受けた収容者たちでも、未来を信じ、希望を持つことがこの地獄を生き抜く力を与えてくれたということらしい。

「強制収容所にいる人間に、そこが強制収容所であってもなお、なんとか未来に、未来の目的にふたたび目を向けさせることに意を用い、精神的に励ますことが有力な手立てとなる。」(p.123)と書いています。

そしてフランクル自身が、暖房の効いた大ホールの演台で、聴衆を前に「強制収容所の心理学」というテーマで講演をしているところを妄想したそうです。

そうすることで、「すべては客体化され、学問という一段高いところから観察され、描写される…このトリックのおかげで、わたしはこの状況に、現在とその苦しみに、どこか超然としていられ、それらをまるでもう過去のもののように見なすことができ、わたしをわたしの苦しみともども、わたし自身が行う興味深い心理学研究の対象とすることができたのだ。」(p124)

でも、未来を信じなかった、未来を思い描かなかった者は、精神的にも、肉体的にも破綻してしまいました。

「希望」がどんなに人間を救うか、という話です。

この極限状態で生きるという意味で、2010年の夏、大きなニュースになった事故がありました。覚えているでしょうか? 俺はヴィーノと奥さんを連れて日本一周した年なのでよく覚えています。

チリのサンホセ鉱山の落盤事故です。地下700メートルの地下シェルター、閉鎖空間で作業員たちが奇跡的に生きていて、最終的には33人全員無事に救出されたというものでした。強制収容所ではありませんが、これも極限状態といっていいでしょう。

救出されるまで3ヶ月、必要だったのは「希望」と良好な人間関係だったといいます。実際「エスペランサ(希望)」がキーワードになったのはご承知のとおり。

救出後、作業員が自分の子供に「エスペランサ」という名前をつけたというエピソードは印象的で、今でも覚えています。

偶然ではないような気がします。この未来を信じる「希望」が極限状態を生き延びるために大切だったという話は。

「希望」を持つというのは、人間が得意といっていいかもしれません。それは未来をイメージできるからです。人間が生き残ってきた理由のひとつであるような気がします。

極限状態で精神的に追い詰められても簡単には折れないように発達した「心の筋肉」ですね、未来を信じることは。
 
 
 
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