2015年秋の撮影旅(09) 風景写真
風景写真は、時間を撮影することでもありますね。「シャッターを押す」ことは一瞬ですが、そのためには、長い時間を待ちます。「今まで待った時間の集大成の一瞬」と言うこともできます。
待つのはあたりまえですが、何を待つかは大切です。たとえば、「ここで太陽が出てくれたらなぁ」とか「霧が流れてくれればなぁ」と思います。これは自分がすでに持っているイメージを待つことです。
そうなんですが、でも、なんとなく違和感もあります。どうなってほしい、という期待を持ちすぎると、実際の風景を目の前にしたとき、その期待のものしか意識できなくなって、予想外が見えなくなってしまうのではないかなと。人間は見たいものしか見ないという癖があるからです。
あまりにその気持ちが強いと、太陽や霧が出ないときは期待が裏切られたと感じるし、期待通り、出たときはそれで満足してしまうところがあります。
でも、風景というのは、自分の過去のイメージを越えて、とてつもない広がりがあって、俺が知らない風景だらけのはずなのです。期待が強いと、その広がりを取り逃してしまいそうで怖い。しかも自分ではそこに気が付くことが難しいのです。
もっと、自然体で自然に接し、目の前の風景をすべて受け入れる気持ちを持つ、つまり、期待しないということ、偶然の風景に「いい」と思えるかどうかも大切なんでしょうね。自然はすべて予想外かもしれないんです。過去と同じことは起こらないし、自分のイメージなんか、たかが知れてるはずです。俺もなかなか理想通りには行きませんが。
予想外の風景に偶然出会うことこそ、風景写真を撮る醍醐味だと思っています。そういう奇跡の風景に出会ったのは、今まで30年ほど写真を撮っていますが、数回あるかないかですね。
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