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2015/09/12

2015年秋の撮影旅(07) 山形県河北町「かほく町民大学 ひなカレッジ2015」

150912_1(会場のどんがホール)

150912_4

150912_2(河北町で作っているイタリア野菜を使った料理)


昨日は、河北町で「旧暦のリズムで棚田を味わう」の公開講座を行いました。

時間切れで、「クリスマス」についての話を割愛してしまったので、ここで書いておきます。読んでくれる人もいるでしょうから。

ただ、これは俺の勝手な解釈であることを断っておきます。

北半球では一年のうちで昼が最も短く、夜が最も長くなる日が冬至です。

冬至を祝うところは多く、クリスマスも冬至祭が起源という説があります。新暦(グレゴリオ暦)の1年の元旦と、クリスマスが、冬至の日に近いことも偶然ではないそうです。実際、冬至を1年の始まりにした暦がありました。

クリスマスの起源を探っていくと、キリスト教以前の信仰や伝統があるのがわかるので、キリスト教徒ではない日本人がクリスマスを祝っても不自然ではないという理屈になるでしょう。 「クリスマス」ではなく「冬至祭」でもいいかもしれません。

アメリカでは多宗教の事情から最近は「メリークリスマス」とは言わず「ハッピーホリディ」と言うようになっているらしい。宗教に関わらず、祝うという意味で、昔の「冬至祭」に戻っていると考えることもできます。

キリスト教以前、冬至祭(クリスマスのルーツ)は、「死と再生」の儀式であったかもしれません。異界の国から異界の者が「煙突」を通ってやってきて、贈り物を届ける話なのです。

ここで「煙突」がキーワードではないでしょうか。狭くて暗い、すなわちこれは異界との通り道。「煙突」は比較的新しいイメージなので、昔は「洞窟」や「穴」だったかもしれないし、もっと言えば女性の子宮かもしれません。異界の者は神と解釈できるかもしれません。

古い年が死んで、新しい年がやってくる。冬至は太陽の光が一番弱く感じるときでもあり、太陽の活力を取り戻すのが「冬至祭」の意味ではないかな。

贈り物というのは、まさに活力のある新しい年なのではないでしょうか。

聖人ニクラウスがモデルになったサンタクロースはその後に作り上げられた話なのではないかなと思います。

以上、クリスマスの話です。
 
 
出身地ということで、小学校、中学校時代の同級生たちもやってきて、やりづらい面もありましたが、打ち上げのときに話すうちにだんだんと子供のころのことが思い出されてきました。

40年ぶりの人もいて、顔も変わっているはずなのに、どこかで見た顔だなぁと思うのは不思議ですね。(顔を判断するのは何なんだろうか?と、心理学的な興味が沸きましたが、このことについてはまたあとで)

ところで、町内に小学校は6つあって、そのうち3つの小学校の校長が、なんと同級生たちだと聞いて、びっくりしました。昨日はそのうちの2人と再会しました。

打ち上げで出てきた料理は、河北町で作っているイタリア野菜でした。

実は今、河北町は「イタリア野菜の産地」を目指しているそうです。河北町の気候と土がイタリア野菜との相性がいいらしいのです。町の活性化をはかるために、作り手である農家と使い手である飲食店が連携を図り、「かほくイタリア野菜研究会」が設立されました。

河北町もいろいろやっているね。「かほく冷たい肉そば研究会 」もそうですが。
 
 
 
 
 
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