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2015/10/29

高尾山の天狗

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20年ぶりで高尾山に上りました。

京王線、高尾山口から歩いて200mほどで、ロープウェイとリフト乗り場に到着します。今回俺たちはリフトを使いました。

日ごろの運動不足がたたり、階段を上っただけで息切れするのは情けない話ですが、途中の権現茶屋では薬草茶と名物のゴマだんご(白黒2種類あります)を食べてしばしの休憩。

高尾山には天狗伝説が残っているそうで、約1200年前に開山された「高尾山薬王院有喜寺」の飯縄権現堂の前には、左に烏の嘴のような烏天狗の像、右に鼻の高い大天狗の像が立っています。

天狗のルーツは諸説あるそうで、よくわかっていません。なまじっか中国語を知っていると、つい「Tian Gou」つまり「天の犬」なんて連想してしまいますが、まったく違うようです。昔は、天狗は自然現象そのものとして捉えられていたようです。

また、インドの不死鳥ガルダ(ガルーダ)がルーツという説もあります。「ガルーダ航空」のガルーダ。とくに、烏天狗はガルーダと似ているなと個人的には思います。

悪のイメージもありますが、古くから森や山の精霊としてのイメージもある天狗です。それがよくわかるのは「高尾山天狗裁判」でしょうか。

「首都圏中央連絡自動車道(圏央道)構想が国(建設省)から提起され、そのルートが高尾山にかかる事が示されると、八王子市民や自然保護団体の間から強い反発が起こり、1988年には「高尾山の自然をまもる市民の会」が結成されて、自然保護を中心とした建設反対運動が組織された。2000年には住民1060人と6つの自然保護団体が原告となり、国と日本道路公団に対して工事の一部差し止めを求める住民訴訟が提起され 、この山の天狗伝説にちなんで「高尾山天狗裁判」と呼ばれた。」(Wiki参照

自然に対する「安心感」と「怖さ」。そういった相反するような感情が、天狗のようなちょっと怖さも感じられる姿に結びついていったのではないでしょうか。
 
 
 
 
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2015/10/28

「栄養と料理」11月号「きょうも旅の空の下」は箱根町仙石原のススキ草原

151028_1(仙石原のススキの草原)

151028_2(仙石原のススキの草原)

151028_3(仙石原のススキの草原)

151028_4(箱根湿性花園)


栄養と料理」11月号「きょうも旅の空の下」は、箱根町のススキの草原です。

今年6月に噴火警戒レベルが3に引き上げられ、大涌谷周辺の半径およそ1kmの範囲が立ち入り禁止になりましたが、火山活動が落ちついてきたことから、8月には一部緩和されました。

火山と共に生きる箱根の宿命ですが、なんとか落ち着いていって以前の箱根に戻ることを願って、今回箱根を取り上げました。

10月から11月に見ごろを迎える仙石原に広がっているススキの草原です。規模は大きく、すばらしい眺めなのですが、風に揺れ、光輝くススキの穂の波の中を歩くことができるのもいいですね。

また、近くには貴重な湿原の植物園「箱根湿性花園」や、様々なミュージアム、白いにごり湯の温泉なども点在する癒しの空間です。

    ☆

運休していた「箱根ロープウェイ」が10月月30日、姥子―桃源台間で運行を再開したもようです。
 
 
 
 
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2015/10/27

エースJTB「ペットと泊まれる宿」のパンフレット

151025(山梨県河口湖)

151025_2(静岡県伊豆市ワサビ田)


エースJTB「ペットと泊まれる宿」のパンフレットの巻頭コラムに、妻とヴィーノといっしょに旅した日本一週の旅の話が掲載されています。

軽井沢や河口湖で撮影したヴィーノの写真も登場します。

伊豆や富士山周辺、那須など、首都圏から気軽に行ける宿が、18軒紹介されています。

なお、ペットと泊まれる宿を利用した人対象に「いつもいっしょに フォトコンテスト」開催中です。青柳も審査に参加します。

締め切りは11月30日です。最優秀賞は、愛犬の写真がパンフレットの表紙になります。旅するワンちゃんの写真、お待ちしています。

詳しくは、JTBのHPで。


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2015/10/25

旧暦九月の「十三夜」の月を夜光杯の酒に映して

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先月は「中秋の名月」でした。そして今宵は、旧暦九月の「十三夜月」です。「豆名月」または「栗名月」とも呼ばれます。

「十三夜月」も月が美しいとされて、中秋の名月と両方見るのが良いとされていたそうです。十三夜の月見は、中秋の名月の次という意味でしょか、「後の月見」と呼ばれます。

江戸時代、遊女たちが片方の月しか見ないのを「片見月」「片月見」といって、縁起が悪いと考えていました。遊女に嫌われたくない男たちは、両方見るのに躍起になっていたらしいのです。もっとも、これは遊女たちの営業戦略だったという説もあるらしい。おもしろいですねぇ。

と、いうことで、つい先ほど、十三夜の月見をしましたが、中秋の名月同様、直接見ないで、水鏡に映しての鑑賞です。

今回は、昔中国の酒泉で買った夜光杯を使いました。

夜光杯(やこうはい)は祁連(きれん)山脈で採れる玉の原石からつくられる酒杯で、中国甘粛省酒泉に工場があります。

酒を注いで月明かりにかざすと模様が浮かび上がることから、夜光杯と呼ばれるようになりました。古代、周王朝に献上されたとも言われ、3000年の歴史があるそうです。

なんとも風流な月見でしょ? いや、実際は杯の酒の表面が波立つほど風が強くて冷たくて、早々に家の中に入ってしまいました。
 
 
 
 
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2015/10/23

「第21回全国棚田(千枚田)サミット」 佐賀県玄海町で開催

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151022_2(5月上旬)

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佐賀県玄海町で「第21回全国棚田(千枚田)サミット」が開催されます。

テーマ: 共につたえよう美しく豊かな棚田 ~ふるさとを未来へつなぐ~

平成27年10月23日(金曜日)~10月24日(土曜日)

http://www.pref.saga.lg.jp/web/var/rev0/0190/7057/20151020132646.pdf

玄海町には棚田百選に選ばれた浜野浦棚田があります。今まで何度も行っていますが、季節それぞれで棚田の表情が違います。

サミットの~ふるさとを未来へつなぐ~というテーマですが、タイムリーなTPPは話題に上るのでしょうか。TPPによってふるさとの風景が変わるかもしれないという問題です。

先日、俺は「ほとんど「経済問題」としてしか扱われないTPP問題に寂しさを覚えますが、そこは優先順位があってしかたないかなぁと思う面もあります。でも、まわりの風景(環境)が人の心に及ぼす影響は絶対あるはずなのです。TPP問題は「文化の問題」でもあるし「心理学的な問題」でもあるでしょう。」

と、書きましたが、こういう考え方もあるよね、ということに気がつきました。それはこういうことです。

今中国人の「爆買い」が話題になっています。でも、朝日新聞の記事「中国人、日本で何する? 買い物よりも風景 留学生調査」によると、訪れたい理由の1位で、3割は「田園風景を見たい」だそうです。2位は「伝統文化や芸術の鑑賞」です。「買い物」は3位でした。

「爆買い」は絵的にもインパクトあるし、話題性があるので日本のマスコミが取り上げる回数が多く、だから、中国人といえば買い物が目的だと、俺たちは知らず知らずのうちに洗脳されてしまっていますが、ほんとうは「田園風景を見たい」という中国人が多いんですね。

中国人だけではなく、日本の田園風景の美しさを口にする外国人観光客は多いのです。

この調査結果を知ると、日本の田園風景に経済的価値があって、これからはもっと伸びるということが予想されるわけですが、ならば、田園風景を維持することは、日本人の心の問題とともに、外国人を呼び込む観光業にもプラスであり、一石二鳥ということではないでしょうか。もしこれからもっと多くの外国人観光客を期待したいということであれば、せっかくの田園風景をなくすのはもったいない。

TPP問題を「経済問題」でしか捉えないと文句を言いましたが、「観光」という視点から見れば、田園風景の問題も「経済問題」になり、これで田園風景を維持する動機付けができるといえるのかもしれません。

 
 
 
 
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2015/10/21

「キャノンフォトサークル【Canon Photo Circle】」11月号に棚田の写真

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「キャノンフォトサークル【Canon Photo Circle】」11月号の特集は、「写真家が写す日本の伝統風景」です。

その中で「棚田」を担当しました。今年9月に撮影した写真の一部です。前半は天気が悪くて(連日の雨で)、どうなることかと心配しましたが、後半は晴れ間も出ました。でも結果的に、天気が悪かったときのほうが、いい写真が多かった気もします。

新潟県柏崎市小村峠、三条市北五百川の棚田、十日町市星峠の棚田など。棚田撮影のテクニック解説や四季の棚田も掲載しています。

キヤノンの公式facebookページでも紹介されています。

https://www.facebook.com/CanonMJ

扉の見開き写真は、長野県飯山市福島新田、そして上に掲載の表紙、虹と稲の写真は新潟県長岡市塩新町付近です。

表紙の写真は俺も気に入っています。

日が暮れかかったころ、虹が見えて「あっ!」と思い、車を停めました。でも、虹は弱々しく、すぐ消えてしまいそうだったので、三脚など出している余裕はないと判断して、手持ちで撮影することにしました。いろいろ考えている暇はありません。農道を走っていって、稲がきれいなところを選び、カメラを持った腕をしゃがんだひざに付けてなるべくぶれないようにしました。

この場合、フレーミングや、多少のぶれは関係ありません。それよりも、この「偶然の出会い」を撮るか撮らないかの勝負なのです。

画面が全体として赤いのは、夕焼け空が広がっていて、その「赤さ」で色付いているからです。

結局、予想通り、虹はすぐに消えてしまいました。車を停めて写真を10枚ほど撮り終わるまで1分とかかっていないと思います。
 
 
 
 
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2015/10/20

シューティングゲームを観ているような… 映画『ヒューリー』について

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ブラッドピット主演の映画『ヒューリー』を観ました。

これは「戦争映画」と呼んでいいのでしょうか。

不謹慎な言い方かもしれないですが、シューティングゲームの映画版のように感じました。

もちろんこの映画の目玉である戦車同士の迫力ある戦闘シーンや、新兵に対する敵兵殺害の強要シーンや、愛する者が爆撃で死んでしまうなどのエピソードはあって、ドラマ性も少しは感じましたが、あまり「戦争」を意識させないのです。戦争映画に感じる、戦争の悲惨さや、ばかさ加減や、苦しさや、汚さは、たとえば戦争ドラマ『ザ・パシフィック』ほど強くはありません。

ヒューリー号に乗ってドイツ兵と戦っている乗員は、「いい仕事をした」といって満足するシーンがあります。そうなのです。まるでいっしょうけんめいに「殺人」をこなす職人のようなのです。そこがシューティングゲームのようだと感じさせる点かもしれません。

かと言って、そこを非難するのではありません。戦争映画に娯楽性を求めてもかまわないと思うし、いろんな戦争映画があっていいでしょう。

それで思い出すのが、ブラッドピット主演の映画『ワールド・ウォーZ』です。

パンデミック・パニック映画で、人々が謎のウイルスに感染するのですが、感染したとほぼ同時にゾンビになり(つまり死人になり)、襲ってくるゾンビを次々になぎ倒す。でも相手はすでに死んだゾンビなので、殺しても(「殺す」という表現はおかしいですが)罪悪感はありません。そこはエイリアンと同じような「人間以外の敵」です。

『ヒューリー』のほうはドイツ兵です。敵とは言っても人間です。にもかかわらず同じような感覚を覚えてしまう俺の感性がおかしいのかとも思います。

でも、もしかしたらこの「戦争」の現実感の無さというのは、逆に、ほんとうの戦闘でも同じような感覚になるのでは?という想像もして、それならば、「戦争」の現実感が無いことにこそ、「戦争」の真のリアリティがあるのかもしれないなとも思います。実際の戦争でも、大量虐殺は起こっているわけだし。

実際、生き残るためには、考えないこと、そして与えられた仕事をこなすこと。余計なことを考えた兵士は生き残れないということなのでしょう。ブラピ扮する隊長ドンが新兵ノーマンに言う台詞はそれを暗示しています。

「俺に従え。そうすれば生き残れる」

あるシーンがあります。ドイツ軍が降伏した町中を確認中、ドイツ兵たちの自殺の現場にノーマンを連れて行きます。

「俺たちが来ると知っていた。だから酒に酔い、夜明けに自殺した」

と、ドンは説明します。

「なぜ僕に見せるんです?」

と、ノーマンは聞きます。するとドンが答えます。

「理想は平和だが、歴史は残酷だ」

現場の人間の現実と本音が表れているのかもしれません。
 
 
 
 
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2015/10/17

発見された100年前の日本の写真は美しい

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イギリスのオークションにかけられた100年前の日本の写真が話題になっているそうです。

http://heaaart.com/post/13997

写真には「記録」と「表現」という面があると思いますが、これぞ写真の真骨頂、記録性がもたらした宝物です。「自己表現」された写真は、どちらかというと「生もの」で、何百年ももつかどうか疑問です。その点、素材をそのまま記録する写真は、何年たっても見るに耐えるのではないか、と俺は思うのですが。(もちろん反論する人もいるでしょうが)

逆説的な言い方ですが、これらは普通の写真だからこそ、面白いのではないかと思うのです。もちろん構図や光の当て具合は、素人じゃないなと感じますが。

それとこれは一種の認知心理学の「チェンジブラインドネス」といえるかもしれないですね。人間は連続的に変化しているものは意外と変化に気がつけないのです。100年という時間差で、突然見ると、その変化がよく分かって面白いし、美しいとより感じやすくなるという面もあるでしょう。

何度も書いていますが、たとえば「電線や電柱」。風景写真を撮るとき、「醜悪だ」とか「うっとうしい」と思っている写真家は多いのではないでしょうか。それはたぶん、本人は意識していないかもしれませんが、「記録」よりも「表現」を優先させているのです。

「電線や電柱」も、たぶん、100年では無理かもしれませんが、何百年後にはなくなっているでしょう。そのとき「電線や電柱」の映った写真がどう見えるか、想像はできますよね。そうなんです、きっとすごく面白く感じると思います。「へぇ、この時代はこんな電線や電柱があったんだ」と。

とは言え、その変化の面白さがわかるには100年くらいは必要なので、せっかちな現代で、100年後の人たちのためにと意識して写真を撮っている写真家は多くないとは思いますが。

反対に、この美しい日本の田園風景も今、TPPによって大きく変わるかもしれません。ほとんど「経済問題」としてしか扱われないTPP問題に寂しさを覚えますが、そこは優先順位があってしかたないかなぁと思う面もあります。でも、まわりの風景(環境)が人の心に及ぼす影響は絶対あるはずなのです。TPP問題は「文化の問題」でもあるし「心理学的な問題」でもあるでしょう。と、するならば、その変化も写真で記録しておく意味はあるのではと思っています。

俺もいつも「100年後」を意識しながら写真を撮っているわけではありません。「表現」として、正直目の前の電線や電柱がうっとうしいと思うし、フレームから外すこともあります。でも、なるべく「100年後」を意識しようとしているつもりです。

100年後の人たちも、現代の風景を見て「100年前の日本は美しかった」と言ってくれるのでしょうか。
 
 
 
 
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2015/10/15

平成28年(2016年)版「旧暦棚田ごよみ」の入稿

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平成28年(2016年)版「旧暦棚田ごよみ」、帯、チラシなどすべての入稿が無事に終わりました。

こよみができたら、注文フォームをお知らせします。
 
 
 
 
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2015/10/13

今日2015年10月13日は、七十二候「菊花開(きくのはなひらく)」。宣明暦では「雀入大水為蛤(すずめ たいすいにいり はまぐりとなる)」

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今日は、二十四節気「寒露」の次候(第五十候)「菊花開(きくのはなひらく)」。

菊の花が開き始めるころ、です。

七十二候「菊花開」は日本の「略本暦」での言い方で、元になった中国の「宣明暦」では「雀入大水為蛤(すずめ たいすいにいり はまぐりとなる)」と言われます。

「雀が海に入って蛤になる」の意味だそうですが、まったく意味不明です。それで調べてみました。

「「秋の終わりごろになると雀たちが群れを成して海にやってくる。蛤が雀の化身だからだ」という中国の古い言い伝えを基にしています。意味としては「あれだけたくさんいた雀たちを見かけなくなるのは、寒さを逃れた雀たちが海に入って蛤になっているからではなかろうか」というステキなユーモアです。雀と蛤の模様が似ていることも一役買っているのでしょう。」(知らなくても生きていける雑学がならぶブログ参照)

とありました。なるほど。でもこれは説明がないと日本人にはわかりませんね。日本で「菊花開」が採用されたのも納得です。
 
 
 
 
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2015/10/12

佐賀市プロモーションムービー「W・R・S・B」は面白い

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佐賀市のこのPRビデオは面白いですね。制作費が200万と聞いて驚きました。クオリティが高い。

https://youtu.be/r6EpktKvUg4

初めてWRSBを見たのは8年前、佐賀県のクリーク撮影取材のとき。WRSB(わらすぼ)は、たしかにエイリアンだと思っていました。

いつか注目されるんじゃないかなと。細長いグロテスクな姿は魚とは思えないような生物。インパクトあります。ここに目をつけた佐賀市もなかなかですね。

このエイリアンはみんなに食べられるのが運命ですが、俺も佐賀市の居酒屋でWRSBの干物の空揚げを食べたことあります。

居酒屋にはWRSBのほかにも「有明物」がたくさんありました。

むつごろう (そのままの姿を甘露煮で)
がん漬 (しおまねき蟹を潰して、唐辛子、醤油、塩で味付けした塩辛です)
いそぎんちゃく (意外とコリコリして歯ごたえがありました)
くちぞこ (ひらめの一種、平たい魚です)

上に掲載の写真は、有明海の干潟の日の出です。じっと干潟を観察していると、いろんな生き物が生きているのがわかりました。

むつごろうが跳ね上がった瞬間を待って写真に撮りました。それと、たぶん「がん漬」の材料となる、しおまねき(カニ)でしょうか。

かんじんのWRSBの写真がないのが残念。3年前に柳川市の取材に行ったとき、たしか商店でWRSBの干物が売られていたように思いますが、なぜ写真に撮っておかなかったんだろうと後悔しています。
 
 
 
 
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2015/10/11

東北お遍路プロジェクト 「こころのみちしるべ」の試験運用開始

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GPS機能のあるスマートフォン等で、こころのみちの物語を見たり、巡礼地までのナビゲーション機能、そして実際に行った巡礼地の足跡やコメントを残すことができる「こころのみちしるべ」の試験運用が始まりました。東北お遍路プロジェクトの一環です。巡礼地の写真は主に、今年の春、巡礼地を周って撮影したものです。

時間がなくて巡礼地を周ることができなくても、それぞれの巡礼地に伝わる物語を知ることができます。バーチャル体験ですが、これをきっかけに興味を持ったら実際にでかけてみるのもいいかもしれません。会員登録すれば、コメントを残すこともできます。

近々、PC版も運用されるとのことです。

http://cocomichi.jp/
 
 
 
 
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2015/10/10

中国のトイレで、知らない男と並んでウンコする方法

151010(GuangZhou, CHINA 1987)


『心理学とは何なのか』(中公新書 永田良昭著)という本を読んでいたら、太平洋戦争末期にビルマで捕虜生活を体験した歴史学者会田氏の話が載っていて、俺も同じような体験をしていたことを思い出しました。

英軍兵舎の掃除にノックの必要なしといわれたときはどういうことかわからず、日本兵はそこまで信頼されているのかとうぬぼれた。ところがそうではないのだ。(略) イギリス人は大小の用便中でも、私たちが掃除しに入っても平気であった。(略) その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音に後ろをふりむいたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた。
 「ひと」を人と思わない状況では、相対する人々が互いに相手の意図や感情・情動をもつ存在とは思わない。相対する一方だけが相手を「人」と見ない場合には、他方は、自分の存在そのものを無視された屈辱感を味わう。

これと同じような体験です。

それは1990年ころ、香港の海水浴客でにぎわうビーチでのことです。数人の白人女性たちがやってきて、真っ裸で着替えをするのです。周りには香港人の男もいっぱいいるのに(もちろん日本人の俺たちも男だし)。このとき俺は彼女たちには、俺たち(アジア人)は、「人」に見えてないんだろうなと感じ、惨めになったというより、白人世界の現実を知ってうなだれました。

それともうひとつ、「ひと」を人と思わないことで、できることがあるんだと知った体験があります。

中国に行くようになったのは80年代半ばですが、90年代になっても、田舎に行くとトイレは個室ではなく、良くも悪くも(?)、隣の男と並んでウンコすることになります。

でも、慣れればどうってことなかったのです。それも「中国的」だと思って割り切っていました。ところが、これができなくなる場合があったのです。

ゲストハウスでのトイレで、同じ客と隣り合ってウンコをするのは苦痛でした。中国人なら平気なのです。でも隣が外国人(とくに日本人)だと、ウンコができなくて、すぐに出てきてしまいました。

俺も、中国人を「人」と思わない訓練はできていたけど、外国人(日本人)はどうしても「人」だと意識してしまうということだったんだろうなと思います。

ただ言い訳になってしまいますが、俺が中国人を「人」と思わなくなったのは、中国人でさえ、隣の人間は「人」ではないと思わないと暮らせないほど、当時の中国はプライベート空間がなく、そういった社会で暮らす術として、「人」と思わないことを生活の知恵として学んだということなのです。だから俺が特別中国人だけを差別していたわけではありません。

その応用編として、日本でも、満員電車の中で、周りの人を「人」と思わないことで、不快感を減らすという効果は日々実感しているのではないでしょうか。

でもこれは、ある意味、両刃の剣で、「ひと」を人と思わないというのは、没個人になって名前を失い、「人」ではなくなります。「人」ではないのだから、何をやってもいいし、何を言ってもいいということになりやすいのではないかと感じます。

そこで最近目立ってきたヘイトスピーチの集団です。彼らには、具体的な名前を持った個人として知っている友だちや知人はいないんだろなと想像してしまいます。

「人」ではなくて「レッテル」に対して叫んでいるだけなので、「殺す」だの何だのと酷いことも平気で言えるのでしょう。しかも集団なので、気も大きくなるわけです。

たぶん、彼らをひとりにして、実際に相手の前に立たせたら、すごくおとなしくて穏やかな人間なのかもしれません。
 
 
 
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2015/10/09

映画『ザ・ワーズ 盗まれた人生』を観て。「告白」の心身健康への影響

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『ザ・ワーズ 盗まれた人生』は2012年公開のアメリカ映画です。

ストーリーは、

「作家としての成功を夢見ながらもなかなか芽が出ないローリー。妻のドラは、どんな時でも夫の才能を信じ見守っていた。ある時彼は新婚旅行先の骨董屋で、古いアタッシュケースを見つける。中に入っていたのは、一束の原稿。それは、彼が書きたいと切望してきた、読む者の人生観を変えてしまうような魅力的な作品だった。ローリーはつい出来心からその原稿を自分のものとして発表してしまうのだった。それはたちまちベストセラーとなり、ローリーに金と名声を与えた。作家としての知名度もうなぎのぼりになっていた頃、1人の老人と出会うのだった……。」(Yahoo!映画より

最近「盗作」という言葉をよく聞くようになった気がします。「盲目の音楽家」や「東京五輪エンブレム」などもあったし。この映画も「盗作」をテーマにした映画です。

盗作をテーマにした映画はほかにもありましたが、これは構造が2重になっています。物語の中に物語が入っています。

でも、結果的に、外側の物語は、内側の物語とくっついてきます。そこがこの映画の真のテーマと関係するのでは?と思うのですが。

この構造と似たような映画は、トラと船で漂流した『ライフ・オブ・パイ / トラと漂流した227日』。これも物語を話す人が外側の物語の主人公になっています。

『ザ・ワーズ 盗まれた人生』も『ライフ・オブ・パイ』も、語られる内側の物語自体が魅力的なので、全体の物語も面白いとなるわけですが、でも主人公の立場からみれば、別に内側の物語の内容はどうでもいいのです。いや人に興味を持ってもらうためには、もちろん面白い話にこしたことはないのですが。

「自己開示」あるいは「告白」、「他人に語る」ことが大切なわけです。映画のホントのテーマはここにあるのかもしれません。

ジェームズ・ペネベーカー著の『オープニングアップ:秘密の告白と心身の健康』という本があります。社会心理学の教科書に載っていたものです。

個人的な情報を打ち明ける「自己開示」やもっと内面を語る「告白」というものが、心身の健康や社会適応にいい影響を及ぼすという研究を扱った本です。

まぁ「自己開示」、「告白」が、精神衛生上いいというのは、経験からも感じていましたが、それが精神だけではなくて、身体的にもいい効果があるというのは驚きですが。

相手がいない、日記など、言語化するだけでも効果はあるようです。

だからブログでの自己開示も効果があるらしいですよ。相手が見えないからかえって本音を言えるることもあるかもしれません。ただ、社会に対する開かれた空間なので、危険な部分も当然あります。だからすべてを自己開示しないほうがいいでしょう。

似た言葉に「自己呈示」がありますが、こっちは自分を良く見せようとか(悪く見せようとか?)、意図的に語ることで、このブログは、正直言うと、「自己呈示」が強いかなぁと思います。なので、あまり心身の健康には役立っていないかもしれません。

ブログは「読んでもらう」のは二の次で、結局は自分のために書いているんでしょうね。
 
 
 
 
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2015/10/08

今日2015年10月8日(旧暦八月二十六日)は二十四節気「寒露」

151008_1(宮城県丸森町沢尻の棚田)

151008_2(宮城県丸森町沢尻の棚田)

151008_3(平成28年度版「旧暦棚田ごよみ」色校)


「露が冷気によって凍りそうになるころ(Wiki)」です。まだ関東地方では、そこまで寒くないかなという感じですが、北海道ではかなり朝夕の気温も下がっているようなので、凍りそうになっているかもしれないですね。
 
 
ところで、平成28年度版「旧暦棚田ごよみ」を準備中です。試験的に卓上版も作ることになりましたが、大きさはA5になるようです。こっちの方が「使いやすい」かも。「使いにくい」のが売りなので複雑ですね。

色校が出たので確認してきました。おおむね問題なかったですが、多少の修正をお願いしました。今までとデザインが少し変わっています。補色で月のイラストは見やすくなったようです。
 
 
 
 
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2015/10/07

2015年秋の撮影旅(27) 山形県山形市にある「日本最古の鳥居」

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山形市に「国指定重要文化財」にもなっている鳥居があります。前から気になっていました。と言うのも、これが「日本最古の鳥居」だと聞いていたからです。

それは山形市内の住宅街にありました。民家の敷地に建っているようにみえるほどです。

「元木の石鳥居」と呼ばれたもので、教育委員会の看板によると、高さは351cm、左柱の直径は、97.1cm、右柱の直径は、92.3cmあるそうです。

凝灰岩で作られた鳥居は重厚で、存在感があります。まるで現代彫刻作品のようにも見えてきます。

この鳥居の正確な建立年代は不明ですが、平安時代にさかのぼるそうで、Wikiには、「現存する日本最古の鳥居」とあります。

今回は行きませんでしたが、もう一ヶ所、市内の蔵王成沢にある八幡神社にも石鳥居があり、これも「日本最古級の鳥居」だそうです。

日本最古の鳥居が山形に残っているというのが意外な感じがします。この地に地震や台風などの大規模な災害がなかったからでは?とWikiにはありますが。
 
 
 
 
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2015/10/06

2015年秋の撮影旅(26) 宮城県丸森町大張大蔵田石の棚田、沢尻の棚田

151006_1(丸森町 大張大蔵田石の棚田)

151006_3(丸森町 沢尻の棚田)

151006_5(丸森町 沢尻の棚田)


宮城県丸森町沢尻の棚田は春も訪ねていますが、今回は彼岸花も咲いて、稲刈り直前です。

今までは、阿武隈川沿いの国道349号線から上がっていったのですが、今回は、北の山側から入りました。道が複雑で迷いそうになりましたが、1kmほど手前で、10数枚ほどの棚田がありました。見ると、あぜが崩れています。常総市の被害が大きかった、あの大雨で崩れてしまったようです。あとで地名を調べたら大張大蔵田石とあったので、「大張大蔵田石の棚田」としておきます。

棚田へ至るルートが違うと、まるで違った棚田に見えるというのも面白いですね。今まで気がつかなかったことにも気がつきました。

彼岸花は最盛期を少し過ぎたようでした。枯れかかった花もありました。

シーンと静まり返った沢尻の棚田の中で写真を撮っていると、若い女性ふたり連れが車でやってきました。どうやってこの棚田のことを知ったのか聞いたら、阿武隈川の川くだりをしたとき船頭さんから棚田があると聞いてきたそうです。一応、宣伝しているんですね。

石垣の棚田は西日本には多いですが、東北には少なく、この沢尻棚田はめずらしい棚田のひとつです。
 
 
 
 
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2015/10/05

2015年秋の撮影旅(25) 山形県村山市中沢の棚田、山形市蔵王駒鳴、蔵王山田の棚田、大石田町大浦の棚田

151005_1(村山市中沢の棚田)

151005_2(村山市中沢の棚田)

151005_3(山形市蔵王駒鳴の棚田)

151005_4(山形市蔵王駒鳴の棚田)

151005_5(山形市蔵王山田の棚田)

151005_6(大石田町大浦の棚田)


今回山形県は通過地点でしたが、すでに先月掲載した朝日町椹平の棚田を含めて、何ヶ所かの棚田を急いで周りました。

ちょうど稲刈りが始まり、稲杭が立てられたところもありました。

なるべくたくさん棚田を周っておこうと思うのは、時間との勝負だなと思うときもあるからです。山形県のこれらの棚田はまだ大丈夫でしょうが、日本全国の名もない棚田は、人に知られることもなく、静かに消えているところもあります。高齢化が進んで耕作放棄される棚田が確実に増えているからです。

だから棚田の撮影は、「自己表現」などというものではなくて「記録」という価値のほうがずっと大きいということは自覚しています。

人間の営みの象徴的な形としての棚田を記録するということは、とりもなおさず、日本文化の一時代の記録にほかなりません。TPP締結にかかわらず、日本の田園風景は確実に変化していきます。それが「いい」とか「悪い」とか判断することはできませんが、淡々と記録するのみです。

人間と自然とがいっしょになって作り上げた文化的景観は、「姫路城」や「日光東照宮」などの文化遺産と比べると目だたない存在ですが、だからこそ記録しておく人間がいてもいいのではないか、などと思うようになりました。
 
 
 
 
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2015/10/04

2015年秋の撮影旅(24) 福島県金山町大志、柳津町久保田の棚田、会津坂下町束松の棚田、喜多方市磐見の棚田

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新潟県から福島県に入ると、金山町の大志という集落が只見川のそばにあり、夕暮れの美しさに思わず車を停めました。タイミングですね。もし時間帯や天候が違っていたら撮ろうとしなかったかもしれません。

大志から道の駅までは遠くありませんでした。新しい道の駅です。だからなのか、Wifiを使えたり、水場があったりと、車中泊者にもうれしい設備です。近くには共同風呂があって、その日入湯料が100円という安さでした。(普通の日はは200円らしい)

翌日の朝、春にも訪ねた柳津町久保田の棚田へ。霧が晴れると急に暑くなりました。強烈な光で、黄色い田んぼが目に痛いほどです。

柳津町から山都へ向かっているとき、途中に大きな棚田がありました。地図で調べると会津坂下町束松というところでした。周りにはりんご畑も多いところです。リンゴ園のスタッフが観光客用に、のぼりを立てて周っていました。

喜多方市磐見の棚田は山都の駅から西へ10分くらい入ったところです。「富士山」という山のふもとにある棚田です。コスモスと空と稲の色彩のコントラストが秋を感じさせます。
 
 
 
 
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2015/10/03

2015年秋の撮影旅(23) 新潟県長岡市虫亀の棚田、小千谷市岩沢の棚田、三条市北五百川の棚田、魚沼市の只見線

0s2a0798(長岡市虫亀の棚田)

151004_1_2(小千谷市岩沢の棚田)

151004_3(小千谷市岩沢の棚田)

0s2a1085(三条市北五百川の棚田)

0s2a1129(三条市北五百川の棚田)

151004_4(魚沼市の只見線と田んぼ)

151004_5(魚沼市の只見線と田んぼ)


これで新潟県の風景写真も最後にしたいと思いますが、今回は数多く回ったので、主なところだけ載せておきます。

旧山古志村の虫亀の棚田では錦鯉が養殖されています。

小千谷市も棚田は多いところ。2番目の写真をよく見ると(HPでは限界がありますが)、コンバインで稲刈りしている男性を女性がずっとビデオ撮影しています。女性は奥さんなのか。でも農作業するような恰好ではないようです。いろいろと想像させてくれる面白い写真になりました。

旧下田村の北五百川は棚田百選に選ばれています。奥さんが水道で何かを洗っていたので聞いたら、クルミの実でした。クリやクルミの収穫の季節でもあるんですね。近くには「 八木ヶ鼻」という岩山があるし、いい日帰り温泉もあって、旅行先としてもいいところです。

新潟県から福島県に抜けるとき、鉄道に沿って点々とカメラマンの姿が。「撮り鉄か」と思いながら先を急ぎましたが、オープンカーのカップルが止まっているのを見て、俺も止まることにしました。まもなく電車がやってくるのかもしれないと思ったからです。しかもそこには田んぼもありました。鉄道と田んぼも撮っておこうと思いついたのです。

カップルの男性は、

「いつ電車がくるんですか?」

と、俺に聞きました。

「さぁ、まったくわかりません。みんな待っているからすぐ来るのかなと」

「おたくが止まったので、すぐ来るのとばかり思いました」

「いや、俺もおたくたちが待っていたので、止まる気になったんですよ。彼らだけだったら止まらなかったですね」

と俺はいいました。

「撮り鉄なんかじゃないんですけどね。すぐ来るなら写真を撮っておこうと思って。テレビでこの只見線をやっていたので人気なんでしょうね」

と、男性は言いました。

「同じです。ここが只見線であることすら知りませんでした」

そのうち本物の撮り鉄さんがやってきて、あと何分でやってくると教えてくれました。さすが詳しいです。

でも、だれも「田んぼと鉄道」を撮る人はいませんでした。あくまでも主役は鉄道。だから「撮り鉄」。なら俺は田んぼが主役だから「撮り田」か。

その後、六十里越の峠を経由して福島県に入りました。
 
 
 
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2015/10/02

2015年秋の撮影旅(22) 長野県野沢温泉村豊郷の棚田、東大滝の棚田など

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長野県の野沢温泉村豊郷の棚田や東大滝の棚田も稲刈り直前でした。(もう稲刈りは終わっていると思いますが)
 
 
 
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2015年秋の撮影旅(21) 飯山市瑞穂 「修験の里 小菅」

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飯山市瑞穂で写真を撮っているとき、近所の人から声をかけられ、

「近くにいいところありますよ」

と聞きました。

「棚田はありますか?」

と、俺はあくまでも棚田にこだわって尋ねましたが、

「福島(福島棚田のこと)ほどの棚田ではないですが、ありますよ」

というので、行ってみることにしました。とにかく自分の目で確かめないことには。それにしても情報はありがたいのですが、なかなか前に進まなくなってしまうのも困りものです。ある意味「嬉しい悲鳴」でもあるわけですが。

そこも住所でいうと「飯山市瑞穂」になるようですが、小菅という集落です。

千曲川の方から上っていくと、立派な木造の仁王門がお出迎え。「修験の里 小菅」とあります。中世には霊場として栄えたところらしい。

奥に進むと真っ赤な屋根のお堂が見えました。そこには「講堂」と看板が立っています。武田信玄の侵略で焼かれたそうで、この建物はそのご修復されたもの。

小菅神社の本殿はさらにその奥にありました。1660年に飯山城主松平忠俱によって改築され、大正12年に大改修されて現在の建物になっています。高い杉の木に囲まれた幽玄な雰囲気は背中がぞくぞくっとします。

もちろん集落の周りには棚田も広がっています。青空をバックに稲の黄色が美しい。
 
 
 
 
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2015/10/01

2015年秋の撮影旅(20) 長野県飯山市 瑞穂という地名の「瑞穂の国」

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長野県飯山市に瑞穂という地名があります。

このあたりの千曲川に沿った平地は一面の水田で、前から気になっていた場所ではありました。春には菜の花祭りに寄ったこともあります。今回は、時間をとってじっくり田園風景を撮影しました。なにしろ「瑞穂の国」ですからね。

ここには、2002年公開の映画『阿弥陀堂だより』(小泉堯史監督)の舞台にもなった棚田百選の福島棚田もあります。子どもたちが作ったんでしょうか。棚田には案山子が立てられていました。
  
 
 
 
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