シューティングゲームを観ているような… 映画『ヒューリー』について
ブラッドピット主演の映画『ヒューリー』を観ました。
これは「戦争映画」と呼んでいいのでしょうか。
不謹慎な言い方かもしれないですが、シューティングゲームの映画版のように感じました。
もちろんこの映画の目玉である戦車同士の迫力ある戦闘シーンや、新兵に対する敵兵殺害の強要シーンや、愛する者が爆撃で死んでしまうなどのエピソードはあって、ドラマ性も少しは感じましたが、あまり「戦争」を意識させないのです。戦争映画に感じる、戦争の悲惨さや、ばかさ加減や、苦しさや、汚さは、たとえば戦争ドラマ『ザ・パシフィック』ほど強くはありません。
ヒューリー号に乗ってドイツ兵と戦っている乗員は、「いい仕事をした」といって満足するシーンがあります。そうなのです。まるでいっしょうけんめいに「殺人」をこなす職人のようなのです。そこがシューティングゲームのようだと感じさせる点かもしれません。
かと言って、そこを非難するのではありません。戦争映画に娯楽性を求めてもかまわないと思うし、いろんな戦争映画があっていいでしょう。
それで思い出すのが、ブラッドピット主演の映画『ワールド・ウォーZ』です。
パンデミック・パニック映画で、人々が謎のウイルスに感染するのですが、感染したとほぼ同時にゾンビになり(つまり死人になり)、襲ってくるゾンビを次々になぎ倒す。でも相手はすでに死んだゾンビなので、殺しても(「殺す」という表現はおかしいですが)罪悪感はありません。そこはエイリアンと同じような「人間以外の敵」です。
『ヒューリー』のほうはドイツ兵です。敵とは言っても人間です。にもかかわらず同じような感覚を覚えてしまう俺の感性がおかしいのかとも思います。
でも、もしかしたらこの「戦争」の現実感の無さというのは、逆に、ほんとうの戦闘でも同じような感覚になるのでは?という想像もして、それならば、「戦争」の現実感が無いことにこそ、「戦争」の真のリアリティがあるのかもしれないなとも思います。実際の戦争でも、大量虐殺は起こっているわけだし。
実際、生き残るためには、考えないこと、そして与えられた仕事をこなすこと。余計なことを考えた兵士は生き残れないということなのでしょう。ブラピ扮する隊長ドンが新兵ノーマンに言う台詞はそれを暗示しています。
「俺に従え。そうすれば生き残れる」
あるシーンがあります。ドイツ軍が降伏した町中を確認中、ドイツ兵たちの自殺の現場にノーマンを連れて行きます。
「俺たちが来ると知っていた。だから酒に酔い、夜明けに自殺した」
と、ドンは説明します。
「なぜ僕に見せるんです?」
と、ノーマンは聞きます。するとドンが答えます。
「理想は平和だが、歴史は残酷だ」
現場の人間の現実と本音が表れているのかもしれません。
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