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2015/11/29

使いづらくて、かえって季節を意識する「旧暦棚田ごよみ」

(旧暦棚田ごよみのPV YouTube)


「旧暦棚田ごよみ」も来年度版で4年めになります。今年は、全国の一部の紀伊國屋書店さんでも扱ってもらえることになりました。それと売れ行き好調で、壁掛けの暦を増刷することになりました。

当初は、正直言うと4年も続くと思っていなかったし、それどころかこんな暦作って大丈夫なんだろうか?と、不安もありました。最初から「使いづらい」ということは予想できたので。

4年前の夏、棚田ネットの人に会って、棚田の写真を使ったカレンダーを作りたいと依頼を受けたとき、ビールを飲みながら、

「どうせ作るなら、今までにない、本当の旧暦カレンダーを作りませんか?」

と提案しました。巷にある「旧暦カレンダー」というのは、旧暦も書いてある新暦カレンダーがほとんどなのです。

俺の気持ちの中には、どうせ普通のきれいなカレンダーを出しても、それだけのこと。ならいっそのこと、もっと冒険してみたいと思ったからです。失敗して批判を浴びるリスクを自分で背負うことで、ちょっとは緊張感も出るかなとも思ってみたり。

そう、このときは、それほどの考えも無く、思い付きでした。ところが「これは面白い」といってもらい、棚田ネットで「旧暦プロジェクト」が発足したのでした。棚田と旧暦は、考えてみれば相性が良かったのでした。

「思い付き」と書きましたが、俺は普通の日本人よりは、旧暦を使う頻度は高いことに気がつきました。だから無意識では、「こんなカレンダーがあったらいいのになぁ」と思っていたのかもしれません。

中国にいたころは、毎朝、「今日は農暦(中国での旧暦の呼び名)、何月何日です」の放送で目覚め、祭りも農暦で行われているし、農暦がちゃんと使われているのです。日本でも有名なのは農暦の正月、「春節」ですね。

また太陽や月の写真を撮ることが多く、日の出・日の入や、月齢を気にして旧暦をチェックしたりしていたのです。「思い付き」どころか、「自分で使いたい」カレンダーであったことに、あとになって気がつきました。

最初から「使いづらい」ことは意識していたので、売り文句にも「使いづらい」をうたっています。

なんでしょうか。ひねくれているのかもしれません。わざわざ「使いづらい」ものを使うなんて。

でも、何度も言っていますが、便利な世の中、便利なのはあまりにも当たり前すぎるのです。当たり前すぎるものに対して、人間は自動的に情報を処理してしまい、意識できなくなります。要するに考えなくて済みます。だから「不効率」であれば、かえって意識するようになるのでは?という逆転の発想なのです。

それが成功しているかどうかはわかりませんが、着実に理解してくれる方(俺同様のひねくれ者?)も増えているようだし、俺自身、ここ3年間「旧暦棚田ごよみ」を使ってきて、季節や月齢を前以上に意識するようになったのは間違いありません。
 
 
 
 
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2015/11/28

「ミャンマー 祭り 2015」 芝公園の増上寺にて

151128_0(ミャンマー祭り2015の会場)

151128_1(ミャンマー祭り2015の会場)

151128_3(日本・ミャンマー交流写真展会場)

151128_4(写真展「チョーミン楽団が行く」)

151128_5(ミャンマー料理の出店)

151128_6(カオスエ・コ)

151128_2

151128_7


「ミャンマー 祭り 2015」が2015年11月28日(土)、29日(日)の2日間、芝公園の増上寺にて開催中です。

祭りの公式サイト
http://myanmarfestival.org/

今日行ってきました。

ミャンマーに移住した写真家の後藤修身さんの「チョーミン楽団が行く」も展示中です。仏教遺跡で有名なバガンから車で1時間半ほどのところにチャウッパダウンという町があって、ここにサインワイン楽団という伝統音楽の楽団が60以上もあるそうです。「チョーミン楽団」というのはその中のひとつ。写真展は、その楽団の密着ドキュメンタリーです。

ちょうどイチョウが黄色く色付き、増上寺と東京タワーとのコラボレーションは、晴れた空に映えますが、その下にはミャンマー料理を中心にした屋台街があります。

どれにしようか迷ってしまいますが、一番行列に人が並んでいた店(だからおいしいと思ったわけですが)の米の麺を炒めた「カオスエ・コ」を買って食べました。

HPを見たら、ここは「ゴールデンパガン ミャンマーアジアレストラン」という店でした。ミャンマー北シャン州本場の味を楽しめる店で今年1月、曙橋駅から徒歩5分のところにオープンした店だそうです。本店にも行ってみたくなりました。

ステージで踊った人たちでしょうか。ミャンマー人たちが民族衣装で記念写真を撮っていたので、便乗して撮らせてもらいました。見覚えのある衣装もあります。雲南省の瑞麗のジンポー族祭りにミャンマー側からやってきていたカチン族の衣装とか。

明日も開催中です。
 
 
 
 
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今日は二十四節気「小雪」の次候「朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)」

151128


今日11月28日から二十四節気「小雪」の次候「朔風払葉」です。

「朔風」とは北風のこと。

「北風が木の葉を払い除ける」などといった意味になります。

北海道は「木の葉を払い除ける」どころか吹雪いているようです。北海道の方、くれぐれも気をつけてください。

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2015/11/27

『The 80s of CHINA』 80年代の中国(雲南省&香港&廣州)の写真


www.asia-photo.net



The people of the 80s of Yunnan in CHINA. (Vol.1)

Vol.1は、雲南省南部(タイ、ミャオ、ヤオ、ハニ、プーラン、ジーノ、ラフ、アク、イ族など)
Music:
1: Chinese new year festival of Miao people.
2: Traditional festival of Dai people.


The people of the 80s of Yunnan in CHINA. (Vol.2)

Vol.2は、雲南省北部(チベット、アチャン、ドアン、バイ、ジンポー、モンゴル、リス、ヌー、ナシ、プミ、イ族など)
Music:
1: Ge Tang Festival of Tibet people in Zhong Dian.
2: Costume festival of Yi people in Da Yao.


The 80s of CHINA (Hong Kong 香港 Guangzhou 廣州)

1980年代 (1984-1987) の中国(香港&廣州)のモノクロ写真。.

Sounds: The night market in HONG KONG


China80yunnan_2

The people of the 80s of Yunnan in CHINA [Kindle版]

「The people of the 80s of Yunnan in CHINA.」の(Vol.1)と(Vol.2)をいっしょにまとめた電子書籍写真集です。

http://www.amazon.co.jp/dp/B018S10ZPC
 
 
 
 
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2015/11/24

11月23日から二十四節気「小雪」、七十二候「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」

151124


昨日は「新嘗祭」について書きましたが、新嘗祭が行われていた靖国神社ではトイレで爆発音がして、時限発火装置が発見されたようです。どういう意図かはわかりませんが、過去の事件から考えると外国人の犯行なのかもしれません。

ところで、11月23日からは二十四節気「小雪」、七十二候「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」でもあります。

「虹を見かけなくなる」などといった意味ですが、冬場は日の光が弱まるので、確かに虹をあまり見ません。虹は「夏」のイメージの方が強いかもしれないですね。

虹の色を日本では「7色」と答えるのが一般的でしょうが、アメリカでは7色と6色に答えが分かれるらしい。メキシコのチャムラ族は3色、リベリアのバッカ語では2色、ジンバブエのショナ語では3色、ドイツ語では5色というふうに、民族(国)によっていろいろです。(『色を探求する』p.82参照)

色はもともとは無段階に変化していくので、「何色」と区切る仕方がこんなにも違うのはどうしてなのか、不思議です。

思考は言語が決めるという説(言語相対性仮説)があります。日本では小さいときから「虹は7色」と教えられるので、虹を見たとき、そこに7色を見てしまうというのです。

これに反論し、言語は文化に影響を受けるというものもあります。簡単に言うと、ある色とある色を区別するのは、何らかの文化的な理由があるから、その色名ができたということでしょうか。

いずれにしても虹の色数は民族によって違うというのは面白いし、逆に言うと、日本人であっても虹を6色であるとか、5色であるとか主張してもいいことになります。実際そう見えるならなおさらです。さすがに2色はないと思いますが。
 
 
 
 
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2015/11/23

11月23日の「勤労感謝の日」、本来は「新嘗祭」

151123_1

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1948年(昭和23年)に制定された勤労感謝の日、11月23日という日は、昔は「新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)」の祭日でした。

今日、宮中の神嘉殿では儀式が執り行われます。伊勢神宮にも天皇の勅使が派遣されます。

「新嘗祭」は五穀(とくに稲)の収穫を祝う収穫祭です。飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まったものでした。天皇が五穀の新穀を供え、自らもこれらを食して、その年の収穫に感謝するというものです。

旧暦11月の2回目の卯の日に行われていましたが、明治時代に太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦して以降は、毎年11月23日に固定されて行われるようになりました。

それは、その年の「11月の2回目の卯の日」がたまたま11月23日だったので、翌年からもそのまま11月23日になったそうで、11月23日に特別な意味はないんですね。(もともとは旧暦だったし)

でも「新嘗祭」は、敗戦後GHQの占領政策で、天皇行事・国事行為から切り離され、一応表向きは「勤労感謝の日」になりました。天皇という精神的支柱を失わせ、日本人を団結させないためのアメリカの政策です。「勤労感謝の日」というのもアメリカから提案された名前だそうです。

稲に宿る精霊のようなもの「稲魂(いなだま)」を信仰する習慣とともに、収穫祭という意味で、中国南部に住んでいるミャオ族など少数民族にも初穂を捧げる儀礼のような、似た祭りは多くあります。カミに感謝し、収穫を祝うという農業民族にはごく自然な行為なのですが…

(参考: wiki新嘗祭勤労感謝の日)
 
 
 
 
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2015/11/22

夢日記 「ISの施設の入り口で地面に伏せる」

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【夢日記】

ISの施設(国境検問所)の入り口か。

多くの人が地面に両手をついて、足を投げ出している。まるで腕立て伏せをしているように見えるが、何かの許可を求めているらしい。

俺も真似して地面に伏せるとISの幹部らしい男が銃を持って近づいてきた。不審者だと思われたら殺されるかもしれない。顔を上げずにその男の足元だけを見ていた。銃を持ったまま男は俺のことを見下ろしているのを感じる。体はこわばって動かない。

   ☆

この夢を見たのは、先日のパリでの同時多発テロで、襲撃されたカフェの映像を昨日見たからだと思います。

とくに、カフェの入り口近くに隠れた女性客に対して、テロリストは銃口を向けましたが、銃の故障なのか、それとも呼び戻されたのかはわかりませんが、女性客は奇跡的に撃たれなくて助かったのです。これが強烈に印象に残りました。

この女性の恐怖心といったらなかったでしょう。その恐怖心をリアルに想像してしまいました。

それと、地面に両手を付く姿勢は、この前観た映画『超高速!参勤交代』の大名行列を見送る人たちの姿勢が混ざっていると思われます。
 
 
 
 
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2015/11/21

映画 『プロミスト・ランド』 を観て。「田舎の存在理由」

151121_2(水晶浜から見た美浜原発)


マット・デイモン主演、ガス・ヴァン・サント監督による2012年のアメリカ映画。

「エネルギー会社のグローバル・クロスパワー・ソリューションズに勤めるスティーヴ(マット・デイモン)は、同僚のスー(フランシス・マクドーマンド)と共に、ペンシルヴェニアの田舎町へやって来た。彼らの目的は、この土地に眠る天然ガスの採掘権を買うことだ。2人は住民の家を一軒一軒まわって契約を結んでゆく。」(wiki参照)

【ネタバレ注意】

この映画は開発会社に勤める主人公、マット・デイモン演じるスティーヴが、最初は会社の方針通り採掘権を買うことにいっしょうけんめいだったのが、祖父の納屋のことを思い出して、会社を裏切ってしまうという話です。

映画の中で印象的な言葉がありました。

「田舎の存在理由」というものです。

ある農場の男を訪ねたとき、彼の兄弟がイラクで戦って亡くなったことを聞きます。石油のために戦った結果でした。だから彼はスティーヴに言います。

「石油の海外依存を否定する話はけっこうだ」

と。そして、

「わかっているよ。あんたが来たのは、町が貧しいからだ。マンハッタンに井戸はあるか? ピッツバーグには? フィラデルフィアには? わかっている。田舎の存在理由さ」

原発のことを思い出してしまいました。「マンハッタン」を「東京」に、「井戸(採掘井戸)」を「原発」に置き換えてみると、都会と田舎の関係が、まったく相似形であることがわかります。原発が田舎にある理由。だれもが分かっているけど、それを公然とは口にできない事情はどこでも同じなのです。

スティーヴは、あることをきっかけに会社に不信感を覚え、ある写真を見て、祖父の納屋のことを思い出しました。

潮風から納屋を守るために2年ごとにペンキを塗りなおしていた祖父。その手伝いをさせられていたスティーヴは、なんでこんな面倒なことをやるんだ? 頑固だ、いかれていると思っていました。

でも、祖父が「ものを大切に」ということを教えていたのだということに気がつくのです。そして翌日の住民説明会では、開発によってリスクはゼロだといっていたことは嘘で、土地が汚染されるかどうか、正直わからない、と告白してしまいます。

そして彼は言います。

「どこへ進むのか。今、すべてが試されている。失うべきじゃない。僕らの納屋なんだ」

と。「納屋」は「環境」や「生活」と言い換えてもいいでしょう。

開発が100パーセント悪いと声高に主張するわけではありませんが、自分で選択してくださいということです。ただ失ったものは元へは戻らないからよく考えてくださいということを言うのです。

当然会社側からみたらとんでもない発言です。それでスティーヴは解雇されてしまいます。でも表情は明るいです。後悔はないようです。

スティーヴとの別れ際、同僚のスーは「単なる仕事よ」といって去っていくのでした。スティーヴにとってこれは単なる仕事ではなく、生き方の問題であることに気がついたのです。そして自分の正直な気持ちに従った結果でした。
 
 
 
 
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2015/11/19

自分の生家「自分遺産」を旅する(山形県河北町)

151117(河北町は果樹栽培も盛ん。最上川沿いの果樹園【りんご】)

雑誌「栄養と料理」12月号には、「自分遺産」を掲載しています。

「自分遺産」というのは俺の生家のことです。

大学1年のとき、2kmほど離れた今の実家に引っ越したので、しばらく街の中心部にある生家がどうなっているか、見に行ったことがありませんでした。久しぶりで訪ねると木造2階の建物は一部が今でも残っていて、倉庫として使われていました。

あれから30年以上も経っていて、「よくこんなところで暮らしていたなぁ」と思わずつぶやいてしまうほど、昭和の匂い濃厚な古い小屋なのです。昔はこんな民家たくさんありました。これが偉人の生家だったらそれなりに感動もするのでしょうが。

他人からは興味を持たれず、感心もされないけれど、自分にとっては思い出がたくさん詰まった大切な「自分遺産」は誰にもあるはずです。

でも、自分で言うのもなんですがいろんな意味で「すごい」のです。ずっと考えてきた企画です。ちょっと勇気がいります。これを雑誌で出すのは。

「自分遺産」は「世界遺産」の対極にあるもの。ちょっとふざけ過ぎかな。いや、ふざけているから「いい」という思いも正直あります。確信犯です。

いずれにしても、これだけ他人にはどうでもいい、プライベートな写真を公の場に出すのは、最初で最後になるでしょうね。

同意していただいた編集部に感謝します。

「自分遺産」の写真はブログには掲載しないので、雑誌で見てください。
 
 
 
 
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2015/11/18

今日11月18日、二十四節気「立冬」の末候「金盞香(きんせんかさく)」

151118(福井県越前水仙畑)


今日は、二十四節気「立冬」の末候「金盞香(きんせんかさく)」です。

七十二候でいう「きんせんか」とはキク科の金盞花(キンセンカ)ではなくて、水仙のこと。

写真は越前水仙畑です。越前水仙とは、越廼村居倉を発祥の地とし、越前海岸に咲く日本水仙の総称で、房総半島、淡路島と共に日本三大群生地として知られ、特に栽培規模では日本一だそうです。

水仙の見ごろは正月ころ。吉祥をあらわす花でもあるそうです。

なお、中国(宣明暦)の七十二候では「野鶏入水為蜃(やけい みずにいり おおはまぐりと なる) 」。「雉が海に入って大蛤になる」という意味だそうですが、これもよくわかりません。

そう言えば「寒露」の次候「菊花開」のときも、中国(宣明暦)では「雀入大水為蛤(すずめ たいすいにいり はまぐりとなる)」というもので、蛤が雀の化身であるという言い伝えが元になっているそうですが、「雀」が「蛤」なら、雀より大きめの「雉」は「大蛤」になる、ということなのでしょうか。
 
 
 
 
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2015/11/16

「これは始まりに過ぎないと思う」と、フランス人の友人

151116


フランス人の友人は今回の同時多発テロについて、「これは始まりに過ぎないと思う」と言っています。長期戦になることも覚悟しているようです。

フランスでは今年1月、パリの風刺週刊紙「シャルリエブド」やパリ近郊のユダヤ教食料品店が、イスラム過激派に襲撃されて17人が犠牲になるというテロがありました。

その後も、日本では報道されていなかったものも含め、フランスではテロ未遂事件がたくさんあったらしい。だからフランス人は、いつかまた大きなテロが起こることは予想していたらしい。厳戒態勢にあったにもかかわらず、テロは起こるということを示してしまいました。

今回はフランスがシリア空爆に参加したことが直接の原因(IS側の大義名分)と言っています。

このテロでヨーロッパの空気は変わるでしょう。国境は厳重になり、難民には厳しくなると思われます。

フランスは即座にシリアのIS拠点を空爆したようです。今回のテロの報復です。

この空爆でシリア人が亡くなった映像は無いのですが、パリの惨事と同様のことがシリアでも起こっていることは想像しないといけないでしょう。フランス人が死んだから大ニュースになり、シリア人が死んでも気にしないのであれば、それこそ、そこがテロを起こす彼らの動機にもなっているわけだから。

報復の連鎖はだんだんエスカレートいていくというのは、歴史が証明しています。アメリカが9.11後に報復した結果がどうなったかをみれば明らかです。決してテロがなくなったわけではなくて、かえって、中東地域全体を混乱させ、その隙をついてISなどの過激派が勢力を拡大したわけで、報復は短期的には人々の怒りや恨みや悲しみを少しは和らげるのかもしれませんが、解決にはいたりません。

かといって、ここまでくると対話しようにもする方法がないだろうし、しばらくはテロの時代は続くのではないでしょうか。

長期的には、やっぱり欧米の価値観の押し付けと、経済格差(富の偏り)をどうやってなくしていくかが大切ではないかなと思います。

日本でも、テレビのインタビューで、街の普通の女性が「これは対岸の火事ではありません。日本でいつ起こってもおかしくないです」と言っていました。

こういう危機意識が日本でも一般的になってきたんだなぁと思います。残念ですが、10年以上前にインドネシア・バリ島の爆弾テロのとき予感した、そういう時代になってしまったということなのでしょうか。
 
 
 
 
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2015/11/13

今日から七十二候「地始凍(ちはじめてこおる)」

151113


今日から二十四節気「立冬」の次候、七十二候の「地始凍(ちはじめてこおる)」です。

「大地が凍り始める」などといった意味です。「氷が張る」というのとは微妙にニュアンスが違っているようですが、今日は薄氷の写真です。
 
 
 
 
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2015/11/12

ふたたび「3歳半の記憶」について

151112


先日、ある雑誌の編集者たちと打ち合わせをしたとき、子供のころの記憶が話題に上りました。

以前、「3歳半の記憶」についてはこちらに書いています。初めは依頼された文章中に書いたことだったのですが、あとになるに従って、この「3歳半の記憶」が、ほんとうに俺が実際体験した記憶なのだろうか?と自信がなくなってきたのです。

なぜ「3歳半」かというと、3歳半離れている妹が生まれたときの記憶だからなのですが、あまりにも視覚的、聴覚的、嗅覚的に、イメージが鮮明なのです。いや、鮮明すぎるのです。だからかえって怪しいと感じるのです。

人は、想像したことと、実際にあったことの区別は、そのイメージの鮮明さで判断しているらしい。イメージが鮮明なら、ホントに体験したこと。イメージがあいまいなら想像や、夢で見たことだろうというふうに。

偽記憶を植えつけられる話は前に書きましたが、植えつけられやすい人は、イメージ力に優れた人らしい。映像関係の仕事をしていたら、その可能性は大ではないでしょうか。

記憶のイメージが鮮明なら、それはホントに体験したことなのだと信じやすいということでもあります。

そこで「3歳半の記憶」なのですが、疑うのは、稲が積み上げられた部屋を俯瞰しているイメージもあるからです。天井の方から部屋全体を見渡すような、そんな位置から3歳半の子供が見れたのか? ちょっと考えにくい。

でも、俯瞰したイメージだけは想像したもので、あとはホントの記憶だとも考えられるし、とにかく、記憶というのはあいまいで、信用できないのです。

「記憶とは水に溶けたミルクのようなもの」と心理学者のロフタスは言っています。記憶というのは、メモに書いたものを引き出しにしまっておいて、取り出しているのではないらしいのです。

そこを自覚しておかないと、たとえば、事実は違っているのに、「自分は見た」という記憶によって(思い込みによって)、事件の証言で人を冤罪に陥れてしまう恐れもあります。

自分の記憶で一番初めのものは「最早期記憶」といいます。俺の場合は、この「3歳半の記憶」か、あるいはもうひとつあるのですが、母親におんぶされているところです。だから映像的には母親の背中越しに見える光景です。仏壇に座った母親がなぜか泣き始めたという記憶です。

どっちの記憶が早いのかはわかりません。おんぶされていたので、もしかしたら、こっちの方が早いのかもしれませんが。

三島由紀夫は自分が産湯につかっている記憶があったといいます。ずいぶん早い記憶ですね。たいていの人の最早期記憶は、3歳前後らしい。その前の記憶が思い出せないのは「幼児性健忘」と呼ばれます。

なぜ、みんな3歳ごろの記憶が最早期記憶なのかといえば、そのころに自意識が芽生えることと関係があるらしい。たしかに「妹が生まれた」というのは、自分と妹は違う存在だとわからなければだめだし。

三島由紀夫の最早期記憶は、「産湯につかる」という意味がわからなければ、記憶できないような気もするし、言ってはなんですが、とても怪しい。彼の作られた記憶かもしれません。いや「嘘だ」というのではありません。そもそも記憶とは「水に溶けたミルクのようなもの」で、あいまいで不確かなもの、らしいので。
 
 
 
 
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2015/11/09

ペットボトル・アーティスト ビーグル犬ヴィーノ Plastic Bottle Artist " VINO" 

151109


ヴィーノは今まで新聞、テレビ、雑誌、旅行パンフに写真が載って「モデル犬」を勤め、今度は「ペットボトル・アーティスト (Plastic Bottle Artist)」としてデビューです。

いろいろやらされてたいへんだなぁ、とヴィーノは思っているでしょうか、やっぱり。

子犬のときから、ペットボトルを噛む­のが好きでした。今でも大好きです。噛んでいるとストレス発散できるのではないでしょうか。そして安心もするようです。

おもちゃを買うこともありますが、ダメです。すぐ壊してしまいます。その点ペットボトルは丈夫だし、なにしろ安い。

「オレンジーナ」などは硬くて時間がかかりますが、最近は、「イロハス」など、すぐにくしゃくしゃになる柔らかい素材のペットボトルもあって、作品の幅が広がっています。

あるとき、噛まれて変な形になったペットボトルを見て、「面白いなぁ」と思ったのでした。

美しく作ろうなんて、当然ヴィーノは思ってないわけですが、無心にやった結果として物がアートに­変わることが面白いですね。人の手だって、同じようには作れるかもしれませんが、犬の自由意志で作られたもの、というところがミソです。ヴィーノの「無心の美」なんだと気がついたのでした。

これらの作品にこめられた思いは、ゴミにもなるペットボトルを、アート作品に再生する­ことで、環境問題に一石を投じたい? ふざけているなぁ… いや、半分は本気です。

アート作品は、他人の存在抜きには成立しません。結局作った本人よりも、他人が発見し、意味付けて、評価するものかもしれず、犬であるヴィーノの作品は、まさにその通りなのです。俺(他人)が「美」や「意味」を発見したのです。
 
 
 
 
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2015/11/08

今日は二十四節気「立冬」、七十二候「山茶始開(つばきはじめてひらく)」

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151108_2

今日、二十四節気「立冬」です。

暦の上では今日から冬の始まりです。関東地方では小雨もぱらつき肌寒く、確実に冬に近づいていることを感じさせます。

また、七十二候は「山茶始開(つばきはじめてひらく)」です。

山茶花(サザンカ)の花が咲き始めるころという意味です。童謡の『たき火』に出てくるあの花です。

ただ、山茶花と椿(ツバキ)は混同されがちだそうで、素人に見分けは難しい。なので、上に掲載の紅白の花が、どっちなのか、正確にはわかりません。

「漢字表記の山茶花は中国語でツバキ類一般を指す山茶に由来し、サザンカの名は山茶花の本来の読みである「サンサカ」が訛ったものといわれる。もとは「さんざか」と言ったが、音位転換した現在の読みが定着した。」(Wiki参照
 
 
 
 
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2015/11/04

人の顔が覚えられないコンプレックス

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昔から人の顔が覚えられないことにコンプレックスを持っています。

一度会った人が、何日か後に会ったとき、前に会ったかどうかわからない、という体験が多くあります。先方は「ひさしぶりですね」と声をかけてくれるので、たぶん会った人なんでしょうが、どこで会ったかわからない。

俺は、この会場にいるんだから、この関係者に違いないと思いながら、探りを入れます。運がいいときは、それでようやく「あのとき会った人だ」と思い出すこともあるし、運が悪いと誰だかわからないまま、当たり障りの無い話をして分かれます。これはひやひやものですよ。相手が「僕のことを覚えていないんだな」ということを悟られないようにしなければならないので。

こんなことは大なり小なり、みんなにあるのかもしれないし、「俺だけそうなんだ」というのが勘違いならうれしいのですが。どうなんでしょうか。

このコンプレックス(思い込み)で、なおさら人に会うのが怖くなってしまっていたらもったいないことだとは思っています。パーティのようなたくさんの人が集まるところが苦手になったのは、このコンプレックスによる悪循環が影響しているのかもしれません。

人間はとくに人の顔に敏感だそうです。逆三角形の位置にある3点を見ると、「顔」を連想するらしい。生まれたばかりの乳児も、母親とそうでない人の顔の区別はついているらしい。

考えてみれば不思議です。人の顔は千差万別ありますが、そんなに変わりはないはずで、その微妙な差で、それが誰なのか、どういう感情なのかを、瞬時に判断しているわけです。それは神業といってもいいでしょう。

顔の判断は「平均顔」説というのがあります。たとえば日本人なら日本人の顔の平均を知っているので、そこからどれだけ外れているかの「差」で判断しているという。外国人が日本人の顔がみな同じに見えるというのは、日本人の「平均顔」を知らないからで、反対に、日本人は外国人の「平均顔」を知らないので、みな同じに見えます。

外国旅行すると、その国の滞在が長くなるにしたがって、その国の人の顔の区別がつきやすくなるという体験は俺にもあるので、この説は説得力があります。

で、最初に戻りますが、ではなぜ俺は人の顔を覚えられないのか、という疑問です。いろいろ考えてみました。

今まで学んだ心理学的知識と、俺の勝手な推理ですが、もしかしたら、自分の顔に対するコンプレックスが、関係しているのかもしれないですね。つまり顔の「差」なんて無くなってほしいと無意識で考えているかもしれないということです。「差」がなくなれば、顔の良し悪しもなくなり、コンプレックスは解消される・ ・ ・。これって、かなり深い自己分析でしょ?

当たっているかどうかはともかく、俺は人の顔の「差」に対して、何かの理由で、あまり敏感ではないということだけはいえると思います。進化的には遅れているのではないでしょうか。

「相貌失認」という病気があるそうです。近しい人や有名人の顔がわからなくなる病気です。それと「カプグラ妄想」という症状も。身近な人の顔を見て、誰だかはわかるのに、表情がわからない。だから能面のように感じ、ロボットや宇宙人に入れ替わったと本気で信じるらしい。

人の顔の判断は特別なんですね。人の顔色を窺うことか、複雑になった人間社会で生き抜くために身に着けた特殊技能なのです。
 
 
 
 
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2015/11/03

「夢の夢」を見た

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この前、不思議な「夢の夢」を見ました。

去年からまた夢日記を再開しましたが、20代にやったときのように「記録しなければ」とかいった義務感はないので(ないように務めているので)、挫折せずに済んでいます。

だから覚えられない夢は、忘れるだけのつまらない夢だったんだろうなと気にすることはなくなりました。

夢の中で見たことは現実にも影響する話は前にも書いています。現に俺は夢の中で聞いたメロディ使ってヴィーノの曲『そばにいるよ』も作りました。夢の内容は覚えていないのに、しばらくの間、心臓がどきどきしていたり、悲しさや切なさで涙を流していたこともあります。

「夢は現実ではないから」という理由で夢を「とるに足らないもの」と考えるのはしかたないのですが、昔はもっと夢は重要なものだと考えられていました。

「インキュベーション」というのがありました。古代ギリシャでは、夢で主に精神的な病を治療していたのです。日本でも、長谷寺や清水寺などでは、人は篭って夢のお告げを待って病を治療していたそうです。

今考えると「なんて非科学的な」と思われるかもしれませんが、その時代では超越性が生きていて、夢治療が機能していました。でも、「神が死んだ」現代では、超越性よりも、夢の「解釈」によって治療が行われるということで、夢治療の効果がまったくなくなったわけではないようです。

それで今回見た夢が面白いのは、夢の中で夢を考えた、「夢の夢」とも言えるもので、「そうか」と気が付いたことがあります。

「突然いいアイディアが思い浮かぶときがあるが、きっと夢の中ではすでに考えたこと、見たこと、聞いたことで、それが無意識の中で眠っていて、あるきっかけで思い出すのだと俺は確信した」という夢なのです。

「天才的ひらめき」と言いますが、人間の能力はドングリの背比べで、大差はないはずで(大差がないから人類は滅びなかったのだろうし)、「無」から「有」を生み出すなんてことはないんじゃないかなとも思います。

何事も、以前の人間がやったことや考えたことを、試行錯誤で修正しながら取り入れているに過ぎないのではないかなと思います。たとえ「天才的ひらめき」でも過去の人間の影響が全くないということはあり得ないのでしょう。

「天才的ひらめき」ほどではなくても、俺たちのような凡人も、何かを突然思いつくことはよくあることですが、それも、無意識ではすでに考えていたことが、たまたま何かのきっかけがあって「思い出した」ということではないのか、ということなのです。つまり夢で考えていた、見ていた、聞いていた可能性があるのではないか。たいていの夢は忘れてしまうので、突然「思いついた」ように感じられるだけなのではないかなと。

そういう意味では、最初に、「覚えられない夢は、忘れるだけのつまらない夢」と書きましたが、意外とそうではないかもしれません。

夢というのは、自分では忘れたつもりでも、無意識の中ではちゃんと記憶されていて、それが必要になった時に思い出されるのかなと思います。人は自分が知らないところで(無意識で)、もっといろんなことを考えているのかもしれません。
 
 
 
 
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2015/11/01

旧暦 棚田ごよみ 【平成28年版】 本日販売開始

(旧暦棚田ごよみのPV YouTube)

Tanadagoyomi(旧暦棚田ごよみの卓上版、サンプルとして「二月(如月)」)


旧暦 棚田ごよみ 【平成28年版】 の販売を始めました。


今回は、いままで通りの「壁掛けタイプ」と、要望の多かった「卓上タイプ」も作りました。デザインはそのままでA5サイズ縦型に納まるプラスチックケース付きの卓上に置けるカレンダーです。

■NPO法人棚田ネットワークのページはこちら。

旧暦棚田ごよみ販売ページ
 
 
■Amazonの、壁掛けタイプのページはこちら。

旧暦 棚田ごよみ 【平成28年版】 壁掛けタイプ
 
 
■Amazonの、卓上タイプのページはこちら。

旧暦 棚田ごよみ 【平成28年版】 卓上タイプ
 
 
 
 
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