使いづらくて、かえって季節を意識する「旧暦棚田ごよみ」
(旧暦棚田ごよみのPV YouTube)
「旧暦棚田ごよみ」も来年度版で4年めになります。今年は、全国の一部の紀伊國屋書店さんでも扱ってもらえることになりました。それと売れ行き好調で、壁掛けの暦を増刷することになりました。
当初は、正直言うと4年も続くと思っていなかったし、それどころかこんな暦作って大丈夫なんだろうか?と、不安もありました。最初から「使いづらい」ということは予想できたので。
4年前の夏、棚田ネットの人に会って、棚田の写真を使ったカレンダーを作りたいと依頼を受けたとき、ビールを飲みながら、
「どうせ作るなら、今までにない、本当の旧暦カレンダーを作りませんか?」
と提案しました。巷にある「旧暦カレンダー」というのは、旧暦も書いてある新暦カレンダーがほとんどなのです。
俺の気持ちの中には、どうせ普通のきれいなカレンダーを出しても、それだけのこと。ならいっそのこと、もっと冒険してみたいと思ったからです。失敗して批判を浴びるリスクを自分で背負うことで、ちょっとは緊張感も出るかなとも思ってみたり。
そう、このときは、それほどの考えも無く、思い付きでした。ところが「これは面白い」といってもらい、棚田ネットで「旧暦プロジェクト」が発足したのでした。棚田と旧暦は、考えてみれば相性が良かったのでした。
「思い付き」と書きましたが、俺は普通の日本人よりは、旧暦を使う頻度は高いことに気がつきました。だから無意識では、「こんなカレンダーがあったらいいのになぁ」と思っていたのかもしれません。
中国にいたころは、毎朝、「今日は農暦(中国での旧暦の呼び名)、何月何日です」の放送で目覚め、祭りも農暦で行われているし、農暦がちゃんと使われているのです。日本でも有名なのは農暦の正月、「春節」ですね。
また太陽や月の写真を撮ることが多く、日の出・日の入や、月齢を気にして旧暦をチェックしたりしていたのです。「思い付き」どころか、「自分で使いたい」カレンダーであったことに、あとになって気がつきました。
最初から「使いづらい」ことは意識していたので、売り文句にも「使いづらい」をうたっています。
なんでしょうか。ひねくれているのかもしれません。わざわざ「使いづらい」ものを使うなんて。
でも、何度も言っていますが、便利な世の中、便利なのはあまりにも当たり前すぎるのです。当たり前すぎるものに対して、人間は自動的に情報を処理してしまい、意識できなくなります。要するに考えなくて済みます。だから「不効率」であれば、かえって意識するようになるのでは?という逆転の発想なのです。
それが成功しているかどうかはわかりませんが、着実に理解してくれる方(俺同様のひねくれ者?)も増えているようだし、俺自身、ここ3年間「旧暦棚田ごよみ」を使ってきて、季節や月齢を前以上に意識するようになったのは間違いありません。
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