水木しげるさんの雲南省取材旅行
『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげるさんが昨日亡くなりました。93歳でした。
ご冥福をお祈りいたします。
今から20数年ほど前でしょうか、水木さんが中国雲南省を取材旅行したとき、知人に頼んで同行させてもらったことがありました。一応「写真撮影の手伝い」という名目です。結果的に何の役にも立ちませんでしたが、いろいろと感じさせられる旅になりました。
雲南省の大理、麗江や、もっと奥のモソ族、プミ族の住む盧古湖まで行きました。ちょうどチベット仏教の祭りがありました。祈りの塚「オボ」の周りには護摩が焚かれ、その煙の中から現れた水木さんの写真を撮りましたが、そのとき、「水木さん自身が妖怪だな」と思いました。これは決して悪い意味ではなく、実際あとで、ご自身がそうなりたいという話も聞きました。
当時の雲南はまだ観光客には不便なところも多く、とくにトイレは犬・豚と共用の青空トイレしかないところもありましたが、まったく不平もなく、戦争へ行った人なのでこういう悪環境でも気にしないんだろうなと思いました。トイレットペーパーを右手で抱えて青空トイレにさっそうと入っていったのは印象に残っています。
もうひとつ、印象に残っているのは、大理でのことです。食事が終わって招待所に帰るとき、往来に仁王立ちになり、空に向けて写真を撮ったのです。街灯はあったかもしれませんが、ほぼ真っ暗闇です。
このとき「さすがだなぁ」と思ったのです。暗闇を写真に撮るとは。当時のフィルムカメラなので感度を上げたりできません。なので、空に向けて撮った写真は、暗いだけで何も映っていないはずなのです。そもそも暗闇にカメラを向ける発想はありません。何も写らないだろうと思って、撮ろうとさえ思わない暗闇です。だから水木さんの行動にハッとしたのです。
こういうところに妖怪の存在を感じるのだろうか?と思ったのです。
世界中を旅して妖怪関連のものを探していた水木さんですが、「将来は自分自身がシャーマンになりたいですね」と言っていたように思います。それと「最近の日本では妖怪は見られなくなりました」といったような意味のことも。
そのときは「そうですか」と、流して聞いていた気がしますが、今から思うと、この言葉には深い意味があったということが分かります。
妖怪は想像と現実の狭間にいるものなのでしょう。
人間の心は、意識している部分はほんのわずかで、もっと大きな無意識の世界があるというふうに言われています。無意識からのメッセージが「妖怪」という形になって現れるのかなと。
と、言うのも…
「ぬりかべ」誕生のエピソードは面白い。戦地で逃げていたとき、突然コールタールのような壁にぶつかったそうです。しばらくそのままでいて、気が付くと、その先は断崖絶壁でした。「ぬりかべ」が水木さんを助けてくれたのです。「目に見えないもの」を信じる水木さんには妖怪に見え、またこれは無意識の内なる声とも解釈できるのではないでしょうか。
怖い存在なんだけど、実は人間を救ってくれる存在でもある、その微妙な感じ。水木さんの妖怪漫画は、その微妙なところをキャラクター化していたからこそ、子供にも受け入れられたということではないでしょうか。「怖いんだけど、愛らしい」というのがまた妖怪です。
その妖怪がいなくなったのは、「闇」が失われたということなのでしょう。真夜中でも煌々と照らされた明かりの中で妖怪が生きていくことはできません。それは現代文明が抱える病でもあるかもしれません。「闇」を遠ざけようとしても、やっぱり人間の心には意識できない部分があって、それが時々襲ってくるのです。
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