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2015/12/07

水木 しげる著 『水木サンの幸福論』の「幸福7か条」と「南方病」

151207(雲南省シーサンパンナのコングー族)


水木しげるさんが亡くなって、ネット上でもこの『水木サンの幸福論』にある「幸福の7か条」というものが話題になっています。

■ 幸福7か条

  第1条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
  第2条 しないではいられないことをし続けなさい。
  第3条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
  第4条 好きの力を信じる。
  第5条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
  第6条 なまけ者になりなさい。
  第7条 目に見えない世界を信じる。


第1条は、なかなか難しいですね。「成功したい」と思ってしまうのが凡人なのです。第2条から第4条まで実践すれば、自然と第1条にはなるとは思いますが。

ただ俺も「勝ち組、負け組」という言い方は嫌いだし、だいたいにして、これは自分を勝ち組だと錯覚している人間が、自分の「成功」の幻想を壊されたくなくて、あえて作ったレッテルでしょう? 彼らはそれだけ自信がなく、自分がいつ「負け組み」に落ちるか怖がっている、その裏返しとも言えるわけです。

「人生は旅」と言われます。

「旅」が好きな人間は過程こそ楽しんでいるのであって、目的地そのものは意外とどうでもいいと、ちゃんと分かっている人が多いと思いますよ。

「旅」に成功とか、失敗とかありませんよ。それと同じです。

ところで、この本には、「南方病」というのが出てきます。

棚田病」、生物学者長沼毅さんの「白い病」、旅に出たくなる病の「ワンダーラスト」、そして水木さんの「南方病」。

どれも同じような病で、「病」と表現せずにはいれない感覚があります。これは「第2条 しないではいられないことをし続けなさい」そのものですね。

「ゲゲゲの鬼太郎の妖怪大作戦」というイベントで再会した元上官から、水木さんは、寝ても覚めても南の楽園のことばかりが頭に浮かぶ「南方病」に取り付かれ、平和になった南の島を訪ねたくてしかたないという話を聞きます。

もともと水木さんは島を離れるとき、仲良くなった村人たちには「7年後に帰ってくる」と約束していました。でも、生活に忙しく、その約束が果たせないままになっていましたが、この元上官との再会をきっかけで、かつて滞在していたパプアニューギニア・ニューブリテン島へ行きました。その後、何度も何度もです。水木さんも「南方病」だったらしいのです。

「第7条」にあるように、水木さんが落ち着くところは、目に見えないものを信じる人たちがいるところです。いわゆる近代文明からは少し遠いところ。暗闇がまだ残っているところ。妖怪が我が物顔で闊歩しているところ。

その中には雲南省も入っているし、だから俺も一時期「雲南病」だったので、なぜこういうところに惹かれるのか、言葉には表しづらいですが、感覚としてはわかります。

「第4条 好きの力を信じる」なのです。どうして雲南ばかり行くんですか?と、当時よく聞かれました。でも、自分でも理由がよくわからなかったのです。言葉で説明しようとするほど、本当の理由から遠ざかっていくようなもどかしさを感じたり。今から思えば、「無意識の声に従うしかなかった」ということなのでしょう。それは「第7条 目に見えない世界を信じる」にも通じるかもしれません。

「第5条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ」に関して、水木さんの雲南省取材旅行に同行した話は書きましたが、そのとき、水木さんから言われたことがあります。

「メコンや雲南の写真だけでは食えないでしょ?」

という言葉。痛いところを突いてくるなぁと内心ムッとしたのですが、少なくとも「食うために写真を撮っているわけではない」ということを、わかっていたことは確かです。

いや、実際、水木さんも食えない時代がありましたが、ずっと好きなことを続けてきた人なのです。だからこの言葉の続きには、「それでも青柳さんは続ける覚悟はあるんですね?」という確認だったのではないかと、今はそう思います。
 
 
 
 
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