風景写真が「パクリ」と言われる条件
東京五輪のエンブレムの応募が締め切られ、これから選考に入るようですね。今度も「似ている、似てない」で大騒ぎするんでしょうか。
デザイン業界での「パクリ」に関しては、最近では、神戸「目玉ロゴ」が村上隆氏作品の「パクリ」ではないかとネットで騒がれているというのもあります。
(Nifty NEWS http://news.nifty.com/cs/domestic/phdetail/jcast-20151208-252661/1.htm)
また、音楽業界では、平浩二氏の新曲『ぬくもり』の歌詞が、Mr.Childrenの『抱きしめたい』と似ている(というよりほぼ同じ)という騒動もあります。作詞家は沢久美さんという人物ですが。
写真の「パクリ」について考えてみました。写真はデザイン、絵、文章といった他の表現とはちょっと違った感じがします。
写真で「パクリ」と言われるのは、「完全に同一の写真」と「その写真を加工したもの」ということではないでしょうか。
「完全に同一の写真」というのは、要するに「コピーした写真」です。「完全に」とわざわざ書いたのは、こういうことがあるからです。
とくにこれは風景写真にいえることですが。
たとえば、どこかで俺が風景写真を撮っていたとします。いいアングルだと思って、三脚を構えて写真を撮っていると、そこへ他のカメラマンがやってきて「いい写真撮れますかぁ?」とか聞きながら、俺の隣に三脚を立て、同じアングルで写真を撮り始めます。しかも、俺のカメラ、レンズと同じだとします。
こういう場合、できあがった写真は「ほぼ同一」という可能性があります。カメラAとカメラBで撮った違いだけ。この二つは限りなく「同一」の写真ですが、でも、やっぱり「同一」とは言いません。そして「パクリ」と言うのも抵抗があるし、例えば「パクリ」と訴えても、訴えは通らないと思います。カメラアングルを真似され、「限りなく似ている」のは間違いないとしてもです。
それを避けるには、他のカメラマンがそばに来た時点で「ここで撮らないで」と言うしかないけど、それは難しいし、「何言ってるの?」という話です。風景のアングルを独占する権利はないからです。
上に掲載の写真は、今年9月、新潟県十日町市星峠の棚田で撮った写真ですが、これと酷似した写真は世の中に複数存在します。なぜそれがわかるかというと、この日、この時、俺の周りには複数のカメラマンがいたからです。でも写真はどんなに似ていようが、自分のオリジナルを主張できるし、「パクリ」とは言われません。カメラが違えば。
芸術作品のオリジナリティという観点から見ると、ほぼ同じですが、写真の場合は難しい。ここが絵やデザインや文章と違います。
逆に、絵やデザインや文章は、「完全に同一」でなくても「パクリ」と言われてしまいます。
この違いはどこから来るのでしょうか。カメラという機械を使わなければ写真は撮れないことと関係あるでしょう。
いや、もしかしたら、みんなの心の中にそもそも写真は、物理的世界のコピー(パクリ)であり、オリジナリティなんてないんだ、少なくとも絵やデザインよりは、一段低いオリジナリティしか持ちえないんだと、無意識で思っているのかもしれません。
でも、それは違うと思います。確かに「画面」だけに焦点を当てると、物理的世界のコピー(パクリ)に違いありませんが、瞬間の選び方、アングルの切り取り方、写真家の思想、そういったものは、絵やデザインに劣らない写真家のオリジナリティなのです。
いや、物理的世界のコピー(パクリ)という制約(ルール、枠)があることで、かえって面白いということもできるのではないかなと思っています。
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