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2015/12/04

タリバンに襲われたマララ・ユスフザイさんと、アメリカに誤爆されたナビラ・レフマンさん

151204(パキスタン北部の山岳地帯)


タリバンに襲われたマララ・ユスフザイさんがノーベル平和賞を受けて、世界中から注目されています。「欧米的価値観」に沿った発言をしてくれるので広告塔としてはもってこいですし。

一方、同じ年代、同じ時期に、アメリカの無人機の誤爆によって自身も怪我をし、祖母を殺されたナビラ・レフマンさんが先日来日していましたが、彼女はアメリカ議会公聴会で被害を訴えましたが、議員は5人しか参加しなかったそうで、彼女の訴えはほとんど無視されました。誤爆したのがアメリカだからです。

マララさんはもてはやされているのに、ナビラさんは無視される。この違い、この不公平は何なのでしょうか? 

でも、俺も偉そうなことは言えません。どこに関心があるかで、ニュースの意味の大きさ・重みが変わってくるというのはだれでも同じでしょう。客観的な現実なんて二の次です。

とくに、欧米の価値観に疑問をもたず、淡々と生活を楽しんでいられる圧倒的優位派の国と人々にとっては。

この不公平さに耐えられなくなることがあります。別に俺はナビラ・レフマンさんたちに同情しているわけではありません。そんなやさしい人間ではないし、俺も欧米の価値観の中で、ぬくぬくと暮らしている一人です。

それでも、俺も日本の「本流」からははずれたところで生きているので、少数者の立場に立って想像することはできます。

この現実を見て、アメリカが標榜している、人権やら、自由やら、平等やらの「人間の普遍的価値」のむなしさを覚えます。「人間の普遍的価値」なんて都合のいい建前ではないかと。

この不公平を破壊したくなる衝動が起こります。

誤解されないように断っておきますが、だからと言って過激派にシンパシーを感じるわけはありません。あまりこういうことを言うと、「テロを容認している人間」というレッテルを貼られる恐れもあります。注意しないといけません。すぐ曲解する人たちが多くなっている日本です。

とは言え、この不公平をどうやって解決すればいいのか、正直俺もわかりません。

「テロとの戦い」は、外部にあるのではなく、心の内部での戦いなのかもしれません。こういった不公平に目をつぶることがテロを生む原因のひとつだとしたら…
 
 
 
 
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