藤田嗣治の戦争絵画と映画 『現代日本 子供篇』
(4F休憩室「眺めのよい部屋」からは皇居と丸の内のビル街が)
東京国立近代美術館では、MOMATコレクション特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示が開催中です。戦争画14点の一挙展示は初めてだそうです。(2015年12月13日まで)
第2次大戦中、戦争画を描いたことから「戦犯」と批判されて、嫌気がさした藤田は、日本を出てフランスに渡りました。
「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」と言ったそうです。1955年にはフランス国籍を取得しました。
戦争画を描いたのは、ヨーロッパから帰国後の1932年(昭和7)から1949年(昭和24)の間です。『哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘』、『アッツ島玉砕』などの作品を手がけました。
陸軍報道部からは、国民を鼓舞するための絵を求められて描いたそうですが、戦場で戦う兵士たちの暗い画面の群像は、戦争の残酷さ、惨めさなどを感じさせる、おどろおどろしい絵のように感じます。「戦争協力者」の批判が的外れに感じるほど、人間の本質を描いた作品のようでもあります。
藤田は、西洋で認められた画家で、日本人画家には羨望の眼差しで見られていました。陸軍関係者の多い家柄だったということもあり、戦犯として批判するにはもってこいのターゲットだったのでしょうか。
なお展示会場の一角には、俺にはすごく興味深いコーナーが設けられていました。藤田が監督した日本の子供たちの生活を撮った映画です。
『現代日本 子供篇』"Episode of children" from Picturesqu Nippon.
1935年(昭和10)製作、8分38秒の作品です。
日本に帰国後、藤田は戦争画を描くと同時に、民俗学者のような視点で地方の文化も描くようになったそうです。ヨーロッパを見続けた藤田にとって日本はエキゾチックな「「異国」に映ったに違いありません。創作意欲が刺激されたのではないでしょうか。
そんなとき、海外向けに日本を紹介する映画シリーズ『現代日本』の監督の依頼がきました。担当したのが『日本風俗』の5巻。ただ、現存するのは唯一この『子供篇』だけだそうです。
ロケ地は愛媛県松山市。散髪屋、紙芝居、祭り、遊びなどの映像が、少ないセリフとともに淡々と流れます。昭和初期の風俗がめちゃくちゃ面白いですね。夜には真っ暗になり、妖怪がまだうようよいた時代です。
でも驚いたことに、子供たちが「貧しげで国辱的」と批判を受けて、お蔵入りになってしまった映画だそうです。どこが「国辱的」か俺にはわからないですねぇ。子供たちは生き生きしていると思いますが。批判した人間は何と比べて「貧しい」と判断したのでしょうか。
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