「田園風景に癒される」とは?
心理学実験で、「ミュラー・リヤー錯視」を体験しました。「錯視」というのは視覚の錯覚のことです。
矢印みたいな図、見たことあるのではないでしょうか。aとb、軸の長さは同じなのですが、俺には明らかに右の方が長く見えます。
個人的には、錯視量(実際の長さと、自分が同じだと感じた長さとの差)は少ないだろうと予想していましたが、なんと実験参加者16人の平均値よりも大きくなったのです。
一応俺も映像関係の人間で、「見る」ことには自信があったし、ミュラー・リヤー錯視についても、あらかじめ知っていたので、この結果に驚きました。
と、言っても、錯視量が大きいからダメだという単純な話ではなく、錯視とはある意味、物を見るとき頭を働かせすぎているともとれるわけで、そうしたほうが生き残る可能性が高くなる、環境に適応するための仕組みでもあるのだそうです。言ってみれば、過剰に反応するという意味で「視覚のちょっとしたアレルギー」とでも呼べるのかもしれません。
ミャラー・リヤー錯視がなぜ起こるのか、今のところ定説がないとのことですが、ある研究者がやった実験で、都市に暮らしている人間ほど錯視量が多くなるというデータがあります。
人間が物を見るとき、同じものが奥にあってもそれほど小さく感じないということがあります。奥にあるなら小さく見えているはずだと無意識に判断して、だから実際よりも大きく感じさせてしまう。このように奥行の手がかりが多いほど、つまり遠近感が掴みやすい四角い建物に囲まれた人間ほどこの錯視を起こしやすいということは言えそうです。
建物外壁の写真が、「a」に当たり、建物内部の写真が「b」に当たります。
そう考えると、最近、地方に行ってないし、町の中で撮影することが多かったので錯視量が多くなったのかもしれません。むしろ写真を撮るというのはファインダー越しにビルや建物を「良く見る」ことでもあるので、普通の人より錯視量が増えたと考えれば、納得できます。
もしそうなら、町に住んでいる人間を広々とした田園風景に連れていったとき、錯視量が変化するのかどうか、変化するとしたら、どれくらいの時間で、どのくらい変化するのか、興味がありますね。
「田園風景に癒される」と言われますが、どうして癒されるのか、という問題ともからんできそうな気がします。
錯視は人間が環境に適応するために脳で行っている活動であるなら、その活動が少なくて済むというのは脳の負担が減ることでしょう。そういうことが「癒される」ことと関係しているのかどうか。
関係はしているのでしょうが、でも、視覚だけの問題ではなくて、空気の匂いを感じる嗅覚とか、風を肌で感じる触覚とか、いろんな感覚が関係しているんでしょうね。
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