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2016/01/04

【夢日記】 シンポジウムの内容がわからない

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こういう夢をみました。残念ながら初夢ではありません。初夢は忘れてしまいました。

   ☆

何かの講演会かシンポジウムの会場。

俺は友人と離れてひとり前のほうに座ってスクリーンに映し出されている写真やファイル内容を眺めていた。

でもあまり内容がわからない。

終わった時、主催者側のスタッフの女性が来て「どうですか?」と聞いた。俺は正直に「内容が頭に入らなくて」と言った。

いつのまにか場所が会議室のようなところに変わっていて、丸テーブルの周りに座った数人のスタッフたちと話をしていた。

俺は「写真はドンピシャなんですよね」と言った。写真を撮っているのは、それに興味を絞っているからというシンプルな理由を説明したつもりだった。でも彼らは納得しなかったようだ。

世の中のすべてのことに興味を持っていて、「そうじゃなきゃいけない」というふうに思っているらしい。

だから俺は「それじゃぁイラクのバグダッドの裏路地のカフェの椅子のことなんか、あなた興味ないでしょ?」と言った。

みんな「極端だなぁ」という顔をしている。世界を救っているのは俺たちだと言わんばかりの態度に違和感を持った。

  ☆

と、いう内容。

この中の主人公である 「俺」はスタッフたちと対立していますが、むしろ現実の俺は、「俺」よりもスタッフたちの方なのではないかなと思います。登場人物としては現実とは逆転しているようなのです。夢ではよくあることです。

この場合、「写真」は象徴であって、なんでもいいのでしょう。「写真」というわかりやすいカテゴリーを作ることに、スタッフたちは反発している、というふうに感じます。

「地球を救う」というのは「俺」が勝手に推測したことにすぎません。そして「俺」が「そうじゃなきゃいけない」と思っているだろうというのも推測です。そこまで大げさに考えてはいません。

スタッフたちは、「わかりやすいカテゴリーがすべてじゃない」と言いたいだけなのです。それは現実の俺も同じです。

人や物を判断するとき、型にはめてみないでほしいということなんです。「カテゴリー」と「カテゴリー」との間にこそ真実があるかもしれないのです。「内容が頭に入らなくて」という「俺」も、このシンポジウムをある型にはめて理解しようとするから「わからない」のではないでしょうか。

既存の「カテゴリー」に縛られたくないという夢なのではないかなと思います。
 
 
 
 
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