映画 『かぐや姫の物語』 を観て。なぜ月は「美しく怖い」のか?
『かぐや姫の物語』 公式サイトはこちら。
http://kaguyahime-monogatari.jp/
不老不死の月の世界が、けっして「生きる」ことを実感させない世界として匂わせている、と感じました。
だから月(理想郷)に生きる人(神?仏? 完全なる者)たちとの対比として、かぐや姫は、地上(現実世界)に生きる生々しい人間(不完全なる者)として描かれていました。
月に生まれたかぐや姫が、月からすればどうしようもない地上に「生きる」ことを見つけ、ここに残りたくなった、でも残れないという葛藤は切なくなりますね。
とくに、その内面が現れていたのは、屋敷から抜け出すシーンです。まるで殴り描きのような絵が画面を疾走する感じが、とてもよかった。「なんだこれはー!」という斬新な表現。「生きる」を感じさせます。
ところで、『竹取物語』には、月を眺めるかぐや姫が、月を見るのはよくないですよとたしなめられる場面があるのですが、『かぐや姫の物語』 にはありませんでした。
月見の慣習が中国からはいってきて、月見を楽しむと同時に、月を見てはいけないという禁忌もあったらしいのです。
平安貴族は月を直接見ることをせず、杯や池に映して楽しんでいました。「満月が終わりの象徴」という説もありますが、なぜ直接見るといけないのか、はっきりわかりません。
月は「映す天体」。月は見る人の心(深層心理=狂気の部分)も映すからからか?などと勝手に想像していますが。
とにかく、月を見る(とくに女性が)ことに関しては、世界中に禁忌があります。
西洋でも月が人間を狂気に引き込むと考えられていたようです。「狂気」のことを英語では「lunatic ルナティック」。語源は後期ラテン語「lunatics」=「月に影響された」。「lunacy 」 =「精神異常。狂気」、「moonstruck」=「心が乱れた。狂気」 という言葉もあります。
「イヌイットの娘は月を見ると妊娠するから月を見ない」、アイスランドでは「子供が精神障害になるから妊婦が月に顔を向けてはいけない」など、女性が月を見ることを禁忌とした伝承もあるようです。(Wiki参照)
ちなみに、日本語の「つき」は、昔「つく」と発音されて、「憑く」からきているとの説もあります。
『かぐや姫の物語』でも、月の世界が理想郷であるはずなのに、忌み嫌われる世界でもあるということの両面性が共感できるところです。
清濁、善悪、明暗、相対するものが同居するものこそ美しいと思っているので、そういう意味で月も「きれい」ではなく「美しい」のです。「美しい」から「怖い」でもあるのです。
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