小野京子著 『表現アートセラピー入門』 写真療法の可能性
表現アートセラピー研究所の小野京子先生の入門書 『表現アートセラピー入門』です。
ナタリーロジャーズが、パーソンセンタード表現アートセラピーを確立したのは、心理学者の父と画家の母の影響で、大学では心理学とアートを勉強したそうです。ふたつが合わさってセラーピーが生まれました。
表現には、絵やコラージュや粘土や詩やダンスやいろんな表現が含まれます。いや、表現できる手段なら、すべて使えるということでもあるようです。
大人が行うプレイセラピー(遊戯療法)とも呼べるもので、すべての表現は遊びに通じ、どんな手段を使うかは、その時々で変わってくるのも自然なことだといいます。
同感です。俺も、結果としてアートセラピーを自分で実践していたことが、今になってわかったのですが、やっていると、写真だけではなく、時には作曲もしたくなるし、文章で表現したくなる時もあるし、また、旅に出たくなることもあります。
それは子供の遊びを見ていてもわかります。手段はまったく気にせず、楽しいことをやろうとしているだけです。それが本来の「遊び」というものでしょう。
こういう表現を「職業」ととらえてしまうと、「どれかひとつに絞りなさい」ということなのでしょうが、「療法」と言う面から見たら、その制約は百害あって一利なし、ということなのでしょう。(ただ、俺の場合結果として、一部は「職業」にもなっているのですが)
それともっと大切なのは、こういう複数の表現を遊びながら楽しみながらやるということで、バラバラになってしまった自己を統合して「自分というもの」を実感するためには、必要なことだと思うし。
この本のアートセラピーでは「写真」には触れていませんが、写真も当然表現アートセラピーとして使える手段のひとつです。
最近は、スマホ、携帯電話で撮る人が多く、今までのようにわざわざカメラを出して撮るというわずらわしさがないぶん、手軽に表現できる手段として、写真はますますアートセラピーとしての役割が注目されていくのではないでしょうか。
アートセラピーでは、作品の上手、下手は関係ありません。アートはその行為自体に癒しや心の活性化をはかる効果があって、写真を「評価」することは、セラピーという点からはむしろ害があるようです。
ただ、いい評価は、嬉しいことでもあり、たとえば、写真をSNSにアップして、「いいね!」をもらうことなどは、写真を撮り続ける動機付けにはなるかもしれないので、悪いことではないかもしれないですね。
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