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2016/02/13

写真展「野町和嘉 天空の渚」を観て(体験して)

160213(写真展「野町和嘉 天空の渚」のDM)


キャノン、EOS 5Dsで撮影された、圧倒的な高解像度の大型写真の展示でした。明日、2月14日まで開催されています。

会場は、港区海岸の鈴江第3ビルの6Fですが、広々としたスペースのギャラリーです。こういうところでないと展示が難しいのではないかというくらい大きな写真の数々です。

「もはや鑑賞ではない。日本から1万数千キロ離れた異国の"体験"である。」とDMに書いてあります。

自分よりも大きな写真の前に立つことで、画面の中に自分も入り込んだような錯覚を覚えるほどです。

ある心理学研究で、実物の自然の前に立ったときと、写真や大画面テレビなどに写った自然の前に立ったときでは、ストレス度低減に差があるというものがあります。

「自然空間を見ることは実際にストレスを低減させるが、自然のデジタルな複製は、退屈な壁と同程度の影響しか持たなかったのだ。」(「自然な景観」が人に与える影響」参照)

癒されるためには、実物の方がいい。この結論は、やっぱりそうだろうなぁと、意外な結果ではありません。

では、本物と複製を観たとき、何が違うのでしょうか?

観ることが、単に視覚だけのことではないことを示唆しています。

風景を観るということは、目だけではなく、体全体を使っているらしいのです。それと、その本人が過去経験した記憶とか、物事をどう考えるのかという思考も関係してきます。総合的に判断して、風景を観るのが人間です。

だから極端には「観ることは体験することと同じ」といってもいいのかもしれません。

そこで野町さんの今回の写真展示に戻ると、あれだけ大きい写真の前に立って、頭を左右に振ったりしなければ、本当に目の前に広がる風景を観ているのとは変わりないかもしれません。

でも、違うんですね。本当の風景には、天気、気温、匂い、振動、風、など様々なものが取り巻いていて、その環境を人間は五感を総動員して取り入れて、目の前の風景を解釈しています。

だからDMにある「鑑賞ではなく、体験である」というところの「体験」とは、やっぱり野町さんの目(こころ)を通した表現を鑑賞している「体験」なのです。いわゆる、現場に立っているのと同じだという意味での「体験」ではないということになるのでしょう。

「異国の体験」ではなく、「野町さんという人間を感じる体験」というふうな。巨大な写真でも、あくまでも、「表現」なのです。しかも野町さんでなければできない「表現」。

ただし、今までの写真の鑑賞の仕方とは、変えなければならないかもしれないですが。

ところで解説文の中で、野町さんをイメージハンターと呼んでいたのは、なるほどなぁと思いました。
 
 
 
 
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