アメリカ合衆国大統領選挙候補者トランプ氏で映画 『クラッシュ』を思い出す
今日はアメリカの大統領予備選挙の「スーパーチューズディ」です。
トランプ氏の勢いが止まりません。今日の投票でどうなるんでしょうか。
あの物言い、差別主義者そのものに見えますが、過激発言でニュースになり、宣伝費をかけずに話題を集めるところも、ビジネスマンとして抜け目ないというか。
ひどい候補者だなと思っていました。でも、どうもある一点では、トランプ氏に魅かれるのです。べつに俺はアメリカ人ではないし、有権者でもないので、魅かれる理由は、もちろん政治家としてではありません。もし日本でこんな候補者がいたら、きっと投票しないと思うし。
トランプ氏は堂々と差別主義を振りかざしています。でも、差別的発言はダメだといいながら、無意識では(裏では)差別をしている政治家や権威者に「あなたほんとにそうなのか?」と疑問を突き付けているような、そんなふうに見えるところが無視できないのです。
『クラッシュ』(原題: Crash)というアメリカ映画がありました。第78回アカデミー賞作品賞受賞作品です。
ロサンゼルスで発生したある交通事故から物語は始まって、アメリカ人の中の差別、偏見、憎悪がうごめく世界を描いていますが、後半では救いのある話が描かれて、ようやくホッとできる映画でもあります。
差別や偏見はいけない、と誰もがいいます。でも、けっこう難しい。いや正直、俺の中にもあります。
もしかしたら、やっかいなのは、自分が差別とか偏見をいっさい持っていないと思いこんでいる人、無自覚な人なのかもしれないのです。
映画でも、それを思わせるような登場人物がいます。若い白人警官のトムです。【ここからネタバレ注意】
最初は、ベテランの白人警官ライアンのあまりにも黒人差別的な態度に我慢ならずに、同じパトカーに乗ることを拒否したくらいでした。そして、あやうくほかの白人警官が黒人を撃ってしまうところを自分の説得で回避させたことで、彼の「無差別主義者」が証明されたような事件が起こります。たぶん、彼はそれでますます自分が無差別主義者であり、正しいのだと自覚したのでしょう。
ところが、です。ある黒人青年を車に乗せてあげたとき、彼がポケットから取り出そうとした人間のフィギュアを、てっきり拳銃と早とちりして、撃ち殺してしまうんですね。皮肉としかいいようがありません。
自分の意識できるところでは、「無差別主義者」でしたが、無意識では、どこかに差別や偏見があったのでしょう。ポケットに手を突っ込んだら「拳銃だ」と反応してしまうようなものが。白人ならこうはならなかった可能性が高い。
実際に1999年ニューヨークで起きたアマドゥ・ディアロ事件があります。ギニア人の移民であったディアロさんが、白人警官たちの発砲によって死亡しました。ディアロさんがポケットから銃を取り出すと誤解されたからでした。白人警官トムと同じような事件です。
社会心理学者のゴードン・オルポートの心理学実験があります。スーツを着た黒人と、手にナイフを持った作業着の白人が、地下鉄車内でもめているような絵を見せます。
それを「どんな絵だったか?」と伝言ゲームのように伝達してもらう実験をすると、黒人と白人が入れ替わってしまうというものです。ナイフを持っているのは黒人に違いないという思い込みというか偏見が、白人の心の底辺にしみこんでいます。
これほどやっかいなものです。「白人」とか「黒人」とか、見かけが偏見や差別の原因の大きなポイントであるらしい。見かけが大きいのです。「イケメン」とか「美人」とかも、見かけによる判断をしているという意味では同じ差別、偏見につながっているということなのでしょう。
トムと対照的に、差別主義者と自覚している、まるでトランプ氏のようなライアンなのに、ガソリンで爆発しそうになった事故車から、黒人女性を命がけで助けたりもします。
わからないんですよ、人間は。普段言っていることと違うことをやってしまう人間は、いくらでもいます。俺もそうかもしれません。
だからといって「差別的発言は正直で良い」と言っているのではないことは、わかってもらえると思いますが。
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