今日は東日本大震災から5年めの「3.11」
(対岸に高浜原発が見える日引の棚田。直線距離はわずか3.5km)
5年という年月は長かったのか、短かったのか、個人的な感覚では、どちらでもあったような気がします。
5年前、東日本大震災で受けたショックは大きなものでした。津波はもちろん、将来の見通しも立たない原発の事故。日本でもこんなことが起こるんだと。意識はしていませんでしたが結果的に俺も「安全神話」に乗っかっていたんだなぁと思います。
最近は、5年前の記憶が薄れつつあります。俺自身もそうだし、日本人全体としてもそんな感じです。いや、もちろん現在進行形で復興にいっしょうけんめいになっている人や、生まれ故郷に帰れない人たちに、「記憶が薄れた」などというのは失礼の何物でもないでしょう。
5年前はあの原発事故を見て、多くの日本人は、「これではだめだ」、「変わらなければ」と感じたはずでした。あれは動物的な本能と言ってもいいような、人間の生存を根本から脅かす危険物に対する反応ではなかったのかなと思います。
でも、その後、だんだんと原発再稼働の動きが出てきて、あの気持ちはどこへ行ったんだという気にもなっていました。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」なのかなと。
でも、おととい、関西電力高浜原発3号機とトラブルで停止中の4号機について、大津地裁は、運転を差し止める仮処分決定を出しました。約70キロ離れた滋賀県の住民が申し立てた仮処分を認めたところが特に注目される点だといいます。
これは、原発は原発立地自治体の住人たちだけの問題ではなくなったということを意味しているのではないでしょうか。痛みはボディブローのように徐々に効いてきて、生存の危機感から脱原発の方へと向かっているような気がします。
いったん事故になったら広範囲にわたり、どんなことになってしまうのか。それを目の当たりにした日本人は骨身にしみました。もしかしたら、もはや日本だけの問題でもなく、世界の問題でもあるのかもしれません。そしてようやくそれに気が付いたのです。大きな代償を払って。
「できれば原発は使いたくない」というのが、多くの人の本音でもあるでしょう。ただし「できれば」というところが難しく、原発関連で仕事をしている人や、原発があることで経済が成り立っている人がいるのはわかりますが、そんな人でさえ、別な手段があればその方がいいと思っているのではないでしょうか。
福島原発の事故の原因もはっきりせず、避難方法もきちんとしたものは作られていません。メルトダウンしたものをどうやって取り出すか、まだ方法さえ見つかっていません。近々の課題として、汚染水の問題や除染で出た放射性廃棄物をどこに置くのか、問題は山積みです。事故は進行中なのです。にもかかわらず、再稼働するのはおかしいんじゃないかと疑問がわくのは当然のことだろうと思います。
今回のことで司法がちゃんと機能していることに安心しました。これは原発が好きか嫌いかの問題ではなく、法律的に再稼働が認められないということであって、法治国家であるならば、ここは尊重すべきだ思います。
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