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2016/04/30

「狭山新茶と花いっぱいまつり」の煎茶道

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祭りの会場は狭山市役所でした。

長野県人会による餅つきが行われていて、できた餅を、きなこ餅とあんこ餅にして販売していたので、両方買いました。俺は、もちろんあんこで、妻がきなこ。

狭山茶コーラもありました。ずいぶんレトロなデザインで、味はどうなんだろう?と思ったら、お茶とコーラを合わせた味でした。(当たり前か)

狭山けやき会の太鼓演奏を聴きながら、庁舎の中に入ると、手もみ茶製造の実演などの狭山茶コーナーがありました。

その先には、松風流と方円流というふたつの流派の煎茶のお茶席が設けられていました。流派で何が違うのかはよくわかりませんでしたが、狭山煎茶はどちらもおいしかったです。

最初にお茶をいただき、そのあとに甘いお菓子をいただきます。そして最後にもう一度お茶をいただきます。抹茶の茶道と違い、煎茶道では流派が違ってもこの順序は同じだそうです。

無駄を省いた美しい所作。薄緑色の狭山茶が入れられた美しい茶碗。和三盆の菓子。下の受け皿は銀錫です。

「器の模様を銀錫に映して見てもらうのもいいものです」

という言葉は良かったですね。茶席はもちろん茶を楽しむ席ですが、嗅覚や味覚だけではない、視覚的なものも重要なんだろうなと感じました。

Wikiによると、

「日本における煎茶道の開祖は、江戸時代初期に禅宗の一つである黄檗宗を開いた隠元隆琦とされている。 ・・・・・ 「茶の湯」が侘びを重んじたのに対し、煎茶愛好者たちは、古代中国の隠遁する賢人のような自由と精神の気高さを表す風流を重んじた。」

とのことです。

なお現在、全日本煎茶道連盟には39の流派が加盟しているそうです。

ところで、中国雲南省の白(ぺー)族には「三道茶」という茶のおもてなし法があります。一苦・ニ甜・三回味の3種類のお茶が出されます。

第一道: 緑茶(苦)
第二道: 蜂蜜入の茶(甜)
第三道: スパイス入の複雑味の茶(回味)

これら3種類は、人生にたとえられてもいます。

煎茶道とどこかで三道茶が繋がっているのか、ちょっとわかりませんが、思い出しました。
 
 
 
 
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2016/04/29

「モンスターボランティア」、被災者にとっての2次災害

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GWに被災地へ殺到する「モンスターボランティア」
(NIFTY NEWS http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/dot-2016042600035/1.htm)

「ボランティアが人助けになる」という単純な思い込みは、ある意味、善意の押し売りにもなりかねません。

「ボランティア」を錦の御旗に掲げ、偉いこと、すばらしいことをやっていると思い込んでいる「モンスターボランティア」が大挙して熊本などの被災地に殺到することは、被災者にとっては2次災害というものです。

「メサイア・コンプレックス」と言われますが、「力を持った者=ボランティア」対「力のない者=被災者」の構図ができてしまいます。いくら「人のために」と崇高な目的を持っていても、この構図から抜け出すのは難しいのです。モンスターボランティアは、ここに気が付いていない人たちです。無意識にかもしれませんが「力の行使」を楽しんでいる人たちです。

賢い人なら「あえて今は行かない」という選択肢も考えていいかもしれません。「なにかしたい」という気持ちはわかりますが、今の段階では、ぐっとそれをこらえる、それは被災地に迷惑をかけない一番賢い行動かもしれません。

仮に出かけてしまって、現場に着いて仕事がなかったとしたら「良かった」と言ってすぐに観光に切り替え、観光地でお金を使ってくることですね。ボランティアは、あなたでなければできないことは、たぶん無いです。あなたの代わりはたくさんいます。でも、観光は、ひとりでもたくさん来てもらったほうがありがたいのです。

あなたではなく、被災者の視点で行動するのが、ボランティア精神でしょう。あなたの思いより被災者の気持ちが大切だということです。観光地でお金を使うのも、りっぱな人助けです。

もちろんほとんどのボランティアの人は、「モンスター」ではないと思いますが。


なお、これから書くことはボランティアについての俺の考えなので、一般論ではないことを前もって断っておきます。

まず、俺は基本的に、ボランティアは好きではありません。他人の視点で行動するのがボランティアなのです。

でも、やっている活動が結果としてボランティアになることはよくあります。そしてそれで喜んでもらえたら、嬉しいことも事実です。

何をやるか決めるのは、興味があるかないかというだけです。

興味をもってやったことが、たまたま「お金」がもらえない活動だとすると、それが結果として「ボランティア」になるわけです。

ただ、災害や事故があった時などは別です。目の前の人を助けようとすることは「好き嫌い」は関係なく、みんな持っている本能でしょう。

俺の場合、災害や事故以外は、ボランティアは自分のためにやっていると言った方がいいでしょう。自分の体験、人生勉強、満足感、達成感、高揚感、感動といったものが、活動による「報酬」だと考えています。だから俺は無償でボランティアをやっているつもりはないのです。

ボランティアをやる人は目に見えない報酬を受け取っています。それはもしかしたら「お金」というものには比べようもない、もっと大きな報酬である可能性が高いのです。お金には換算できないほどすばらしい報酬です。

そんな大きな報酬を受けながら、さらに、感謝すべきだなどと言うのは、あつかまし過ぎます。もちろん感謝の言葉は、ボーナスみたいなものなので、もらったらありがたいし、嬉しいですが。それを「要らない」とはいいませんよ、俺だって。無給のボランティア活動だと思ったら、あとで、お金を払ってくれたケースもありましたが、そんなときはもちろんありがたくもらいます。

だから、やった活動に対して見返りが欲しいなら、ちゃんと初めからビジネスでやればいいんです。「お金をもらわないから立派だ」などと考えているようなら、ボランティアはやらない方がいいです。

それと俺は「対等」にこだわっています。例えば、俺が逆にボランティアに助けられるとき、ボランティアの人に、卑屈になったりするのは嫌じゃないですか。自分が困っているとき、さらにボランティアに気を使うなんて絶対嫌です。それを想像するからです。

どちらかが助ける、助けられる、という形は単なる見かけです。利益という点で見たら、双方が利益を得ているのです。Win-Wiの関係になる、対等なのが、一番気持ちの良いボランティア活動ではないかなと思います。

東日本大震災の時に、被災ペットのボランティアをやったのは、犬は感謝もしないし、苦情も言いません。一方の俺も犬に見返りを求めたりしません。言ってみればこれは究極の「対等」な関係でした。

そんなわかったようなことを言っている俺ですが、なかなか難しいのですが、実際は。

一番厄介なのは、ビジネスとボランティアの混在する現場です。たとえば俺の場合、写真を無料で貸してほしいなど、ビジネス目的のところから頼まれた場合なんかですね。あなたはボランティア活動でやっているんだから、写真だって全部無料でいいじゃないか、みたいな雰囲気を醸し出されたときは、正直困ってしまいます。俺はへそ曲がりなので、そんなときは、急にビジネスにシフトすることがあります。
 
 
 
 
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2016/04/26

正夢 「トイレ掃除」

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先日、こんな夢を見ました。

「トイレに入って用をすまし掃除をしようと思ったら、急に洋式便器が手のひらに載るくらい小さくなった。洗剤の付いたスポンジでごしごし洗った。用を足す前にやっておけばよかったと思った。便器が見違えるほどきれいになった。まるで翡翠のような薄青色をした輝く便器がとても美しかった」

というものです。こんな夢を見ただけだったら、あぁそうかぁ、面白い夢だねで終わるところなのですが。

その日、突然トイレ掃除をしてほしいと妻に言われたのです。もちろん夢のことは妻には話していませんでした。そして俺がトイレ掃除するのは年末の大掃除くらいなのです。だから偶然にしても、かなり確率は低いということになります。

まぁいわゆる「正夢」と言ってもいいのかもしれません。ある種の「偶然」です。この「偶然」に意味があると思うのか、それとも単なる偶然だと思って無視するのか。

そこで、これはユングが言っている「シンクロニシティ(同時性・同一性)」というものかと気が付きました。因果関係ではない「偶然」にも意味があるという考え方です。

「シンクロニシティ」は、けっこう難しい概念で、よくわかりません。それでも、この本には、多少わかり易く書いているので、こちらを紹介します。

河合隼雄&茂木健一郎対談集 『こころと脳の対話』。

この本のP104~106「非因果的関係をおもしろがる」、「因果のしがらみを解きほぐす」に、

河合 僕なんかは、この非因果的連関のほうをけっこうおもしろがって見ているわけですね。もちろん因果的にはつながらないんですよ。ただし、ミーニング(意味)はあるわけだから、そのミーニングを知ろうというわけですね。

茂木 そのシンクロニシティで出てくるものというのは、じゃあ、自分の無意識の中で大事なもの?

河合 そうであると、僕らは見るわけですね。自分では知らなくても、非常に大事なものであると。

茂木 そうか、シンクロニシティというのは、外のものと外のものとがシンクロするんじゃなくて、自分の無意識と外のものとが呼応すると。

河合 絶対、そうです。で、無意識が動いているのが、外に出てきたりね。その出てきたものの背後には無意識がある。

「シンクロニシティ」というのはだから夢と似ているとも書いてあります。直観に従うということでもあるようです。

そこで、俺が今回見たトイレ掃除の夢と、妻から言われて実際にトイレ掃除することになったことを、「シンクロニシティ」と考えると、思い当たるふしがあります。

ここでは、詳しく公にするのは抵抗があるので、いつかまたの機会にしたいと思いますが、要するに、俺が「思い当たるふしがある」ということがミソなのでしょう。

単なる偶然とは思わずに、ちょっと考えてみる。すると、これは俺の無意識であることに気が付けるということなんですね。俺にとって、「便器」か「トイレ掃除」は大切な「何か」なのでしょうね。

河合氏は、こうも言っています。

「いまの世の中は、そういう因果的な思考でがんじがらめになっている」

と。
 
 
 
 
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2016/04/23

河合隼雄著 『日本人の心を解く 夢・神話・物語の深層へ』 日本人の不完全な美

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この本は、日本人の心を考え続けた河合隼雄氏が、ユングが東西の出会いを求めて始めたエラノス会議(1983-1988年)で行った講演をまとめたもの。最初英文で出版されましたが、河合俊雄氏が日本語に翻訳したものです。

日本人とは何か?を夢・神話・物語からひも解くいい本だと思います。

面白い話がたくさん出てくるのですが、まずひとつは、中世の高僧、明恵が生涯夢日記をつけていたこと。でも、このことについては、また後日書きます。

俺も夢日記をつけ始めて1年半たちました。それなりに書きたいこともあるので、今回は、もうひとつ、日本人は、完成美を過少評価する傾向があるということについて。

こんな面白い禅の老師の話が出てきます。引用すると、

「ある若い僧が庭を掃いていた。彼は自分の仕事をできる限りやろうと努めていた。彼は庭を完ぺきに掃除したので、庭には何の塵も落ちていなかった。」

普通ならここで若い僧は老師に褒められてよさそうなものなのですが、

「彼の期待に反して、老師は彼の仕事に満足していなかった。若い僧はしばし考えてから木を揺さぶって、枯れ葉が庭のあちこちに落ちてくるようにした。老師はそれを見てほほ笑んだ。」

というのです。なんとなくわかりますね、この感覚。

この場合、木を揺らせて葉っぱを落としたから良かったのでしょうね。掃いたものから葉っぱを庭に戻したら、老師は渋い顔をしたと思います。たとえ、葉っぱの位置が同じであっても。

こんなものもあります。

吉田兼好の『徒然草』137段に、

「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に対(むか)ひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。」

という文があります。わかりやすい訳がこちらにありました。
                 
「桜は満開の時だけ、月は雲ひとつない満月だけを愛でるものだろうか?雨が降って月が見えなくても、雨雲の向こうの月を恋しく思ったり、簾(すだれ)をおろしたままで家にヒキコモリしてるうちに春の行方が分からなくなっても、それはそれで心に感じるものがあるはずだ。桜は満開の時だけじゃなくて、開花する前の蕾(つぼみ)にも、花びらが散って萎(しお)れた庭にも、それぞれの見どころがある。」(きっこのブログ 「雨に対ひて月を恋ひ」 2010.09.21より)

『徒然草』でもっとも有名な章段のひとつですが、これも不完全の美が主題になっているのだそうです。

桜の満開は美しいものです。でも吉田兼好の言うように、蕾がほころび始めた時もいいし、はらはらと花弁が落ちる桜や、新緑が美しい桜もまたいいものです。

「中秋の名月」というのがありますが、意外に思う人もいるかもしれませんが、これは「満月」ではありません。「中秋の満月」ではないのです。

たまたま「満月」の年もありますが、基本的には月はどこか欠けています。完全ではないのです。それでも美しいのです。いや、「それだからこそ美しい」と日本人は言うのかもしれません。

もっと言えば、満月だろうがなかろうが、気にしないという話なのでしょう。

「十三夜月」を愛でる習慣もあります。何?この13番目という中途半端な月は?と、西洋人なら思うかもしれないですね。

日本人は「完全」を意識しないということではないでしょうか。意識しないことが大切なのです。ここは明らかに西洋の美意識と異なります。

もっとも「中秋の名月」は中国由来なので、純粋に「日本的」と言えるのかどうかはわかりませんが。

ところで今年も「田毎の月」の季節がやってきましたが、いまだにどうして月を直接見るのではなくて、杯や盆や池や田んぼの水に映して鑑賞するのが良いのか、はっきりした理由はわかりませんが、何か、今回の話と関係するのかもしれません。

もし完ぺきな満月なら、それを崩す意味で、水に映した月を眺める。当然水面は動くので、完ぺきだった満月も、ゆらゆら揺れて不完全な満月になってくれる、ということ。どうでしょうか、この強引な解釈は。
 
 
 
 
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2016/04/21

昨日から、二十四節気「穀雨」、七十二候「葭始生(あしはじめてしょうず)」

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昨日から、二十四節気「穀雨」、七十二候「葭始生(あしはじめてしょうず)」です。

「アシ」は「悪し」にも通じることから「ヨシ(善し)」の別名もあります。

写真は渡良瀬遊水地のアシ原です。

なお、「穀雨」期間の七十二候は以下の通りです。

初候: 葭始生(あしはじめてしょうず 葦が芽を吹き始める)

次候: 霜止出苗(しもやんでなえいず 霜が終わり稲の苗が生長する)

末候: 牡丹華(ぼたんはなさく 牡丹の花が咲く)
 
 
 
 
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2016/04/20

「東北お遍路写真コンテスト」 正式募集。締め切りは2016年7月11日

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「東北お遍路写真コンテスト」 正式な募集はじまりました。締め切りは2016年7月11日です。

あなたの写真をお待ちしています。

チラシのデザインもできて、これから印刷し、東北の道の駅や東北お遍路の巡礼地に置かれる予定です。知り合いのギャラリーや、カメラ関係各所にも置いてもらいますが、もし、どなたか置いてもいいよというところがありましたら、事務局か青柳宛に、連絡をください。チラシをお送りします。
 
  
 
---------------東北お遍路(こころのみち)プロジェクトとは?----------------

東日本大震災により被害を受けた福島県から青森県までの沿岸地域に慰霊・鎮魂のための巡礼地を選定し、千年先まで語り継ぎたい物語を見出して「こころのみちの物語」として発信し続けます。

そして民族や宗教を越えた多くの方々に巡礼地を辿って頂くことにより、東北の各被災地が連携して、千年後までも経済的文化的に自立発展できる復興の一助となるよう、活動を続けています。

今回の写真コンテストと写真展は、このプロジェクトの趣旨に沿って開催されるものです。

 
------------------------------募集要項------------------------------

■募集テーマ: 東北お遍路にまつわる写真。東北の風景・人物・祭りなどの写真。東北の被災4県(青森、岩手、宮城、福島)の写真であればOKです。

■応 募 要 項

○資 格: プロ・アマチュア、国籍などすべて問わず、どなたでも応募できます。

○応募作品: 応募者本人が撮影した作品に限ります。ひとり5点まで。

○サ イ ズ: A4、または、六つ切りのプリント。入賞・入選作品はプリント展示をします。(ただしプリントサイズが320mm×240mm以下なら受け付けます。台紙に貼って展示しますので、大きさ厳守)

○各 賞: ●最優秀賞1点 ●優秀賞3点 ●佳作10点 ●入選36点
合わせて50点。最優秀賞にはいわて短角牛3万円分(1名様)、優秀賞には被災地産直うまいもの1万円分(3名様)、佳作には被災地産直うまいもの5000円分(10名様)、入選はロゴ入りタオルセット(スポーツ・フェイス2枚組)(36名様)が贈呈されます。

○応 募 票: 写真1枚ごとに、題名、氏名、撮影場所、撮影年月、住所、電話番号、メールアドレスを記入し、裏側に、作品の向きに合わせて貼り付けてください。チラシのPDFをダウンロードすれば、印刷して使用することができます。

○著作権・肖像権: 応募作品の著作権は撮影者に帰属します。応募作品に肖像権等を有する被写体がある場合は、応募者本人が公表の承諾を得た上で応募してください。

○締め切り: 平成28年7月11日(月)必着。

○審査員: 写真家 齋藤康一、写真家 青柳健二、民俗研究家・東北お遍路創生委員 結城登美雄、東北お遍路プロジェクト理事長 新妻香織。

○入賞発表: 審査終了後、入賞者に直接通知するほか、東北お遍路のホームページなどで発表します。

○活用方法: 入賞・入選作品は東北数カ所で開催予定の写真展で展示します。また東北お遍路ホームページで公表するほか、主催者が東北お遍路の各種催しなどで活用させていただきます。

○提出先およびお問い合わせ先: 東北お遍路写真コンテスト事務局

〒 976-0022
福島県相馬市尾浜字南ノ入241-3
TEL: 0244-64-2042


■主催 一般社団法人東北お遍路プロジェクト
URL http://cocomichi.jp/


こちらからコンテストのチラシ(PDF)をダウンロードできます。Pdf



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2016/04/19

【犬狼物語 其の一~三】 秩父地方の、お犬様信仰者の祭り 「オイヌゲエ」

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4月になって、また秩父に行き始めています。昨日、寄居町風布にある釜山神社と、釜伏山の北に3kmほど離れた長瀞町の岩根神社にも行ってきました。

埼玉県秩父には「オイヌゲエ」という祭りがあります。「お犬替え」がなまって「オイヌゲエ」。

お犬様を替えてもらうのです。ヴィーノが聞いたらドキッとするかもしれませんが。大丈夫、飼い犬を取り換えるという話ではありません。お札を替えてもらうだけです。

オイヌゲエを行っている神社の狛犬は、だいたいお犬様(オオカミ)です。中には愛嬌のあるお犬様もいます。どう見ても本当の犬もあります。最近作られたものはとくに。

最近はやらなくなった神社も多いそうですが、吉田の椋神社、寄居町の釜山神社など、秩父盆地を中心にして10社くらいではまだやっています。それがこの4月上旬から5月上旬に集中していて、オイヌゲエの季節なのです。

この犬札の絵柄がまた良いのです。版木は昔からのものだそうで、すり減った感じが年代を感じさせます。「版画」という美術品としても価値があるのではないかなと。

でも残念ながらある神社のものは、オリジナルの版木ではなくて、新しく作り直したものでした。宮司さんは、

「最近の若い人ははっきり見える方が好きだから」

と言いましたが、そうでしょうか。俺なんかは形が分からなくなるくらいすり減っていても、その方がいいと思うんですが。版木自体は持っているそうなので、そのうち、昔ので刷ってくださいと頼んでみようかなと。頼むから版木を捨てたりしないようにお願いします。

厳密にいうと神社によって、犬は神の使いの「眷属」であって神そのものではないところもあるらしい。(まだ調べている最中なので、詳しく書くことはやめておきます。間違ってるかもしれないので)

「お犬様」は、「犬」ではなくて実際はニホンオオカミのことでした。オオカミはイノシシやシカなど、秩父の農家の人たちにとっては「害獣」を追い払ってくれる存在なので益獣だったのです。また秩父の養蚕農家の大敵、ネズミからも守ってくれました。そこからオオカミ信仰が生まれました。もう絶滅したと言われていますが、生存を信じている人もいます。

あきらかに初めてオイヌゲエに行った4年前と比べると椋神社でも参拝者が少なかったようです。それと御神楽を観てる人たちも。

両神神社でもやっていたそうですが、数年前からやらなくなったそうです。(両神山開きの行事はやっていますが)

昨日の釜山神社の御神楽も、見物人、ひとりだけでした。(俺も含めればふたり) 寂しい限りです。「お犬様信仰」という山棲みの人たちの民俗文化の火が消えそうです。

生物多様性と言われてレッドリストに載る生物は多いのに、人間の民俗文化は、簡単に無くなっていくのは寂しい感じもします。その最たるものは「旧暦」だったりして。

オイヌゲエに含まれる歴史や意味は深いものがあると思うんですが。これも「時代の流れ」と言うしかないんでしょうか。

それと最近は猫ブームで、犬はだんだん肩身が狭くなっている風潮の中、お犬様の恩も忘れないようにしなければ。

全国的に見れば、「里犬」として犬の存在がまた復活しているところもあるらしい。村に犬がいると害獣がやってこないことが再認識されています。お犬様信仰者の俺としては嬉しいニュースです。
 
 
 
 
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2016/04/17

「NHK-BS [体感!グレートネイチャー] アラビア 神秘なる黄金の大地 オマーン」は、4月25日(月)19:00~20:30

160417(オマーンの写真はないので、代わりにイラン・ヤズド)


海工房の門田修さんが制作統括した「【体感!グレートネイチャー】 アラビア 神秘なる黄金の大地 オマーン」が放映されます。

日時は4月25日(月) NHK-BSで19:00~20:30です。

門田さんと会うのは久しぶりです。それと去年「感動地球スペシャル・中川翔子のボルネオ」でしょこたんを案内した動物生態学者の安間繁樹さんや、昔週刊誌・グラフ雑誌などでお世話になったデザイナーとか、数人集まって、門田さんから番組の制作秘話などを聞くことができました。

オマーンという国は、砂漠やイスラム教徒や石油くらいしかイメージがありませんでした。まったく縁がなかった国のひとつです。

ただ考えてみれば、オマーン湾をはさんで、対岸はイラン南部なので、イランとは隣国と言ってもよかったのですが。なにしろ棚田がなさそうな国は、はなから眼中にないという俺の偏った嗜好も関係しています。

オマーンはアラビア半島の南東部に位置します。北部は険しいハジャル山地が連なっています。『アラビアン・ナイト(千夜一夜物語)』のシンドバッドはソハール港から出港したとされています。

オマーンは最近、観光地でもあるらしい。しかもエコツアーも盛んだというのが意外です。ネットで調べたら日本からもツアーが出ていて、13万円代からあるんですね。知りませんでした。

門田さんに治安のことを聞いたら、隣がアルカイダなど最悪の治安と最貧国のイエメンであるにも関わらず、オマーンは裕福で、治安はいいとのことです。で、なければツアーも出ないんでしょうが。

アラビア半島は、昔から海になったり陸になったりを繰り返してきたらしいですね。だから地質学的にはおもしろいところで、「地質学のメッカ」とでも言えそうなところです。番組ではそのあたりを詳しく解説しているようです。もちろんアラビアの砂漠の風景も、中東のフィヨルドと呼ばれる絶景も出てくるようです。

門田さんの話がひと段落ついて、俺も少しだけ世界の棚田(とくにイランやマダガスカル)の映像を披露する時間がありました。みなさんからは「棚田の定義」について突っ込まれたりしながら、楽しく興味を持ってもらったのはありがたかったです。

門田さんには「そのうち世界の棚田の番組も作ってください」と、少し営業活動もしておきました。
 
 
 
 
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2016/04/16

平成28年 熊本地震

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熊本地震で被災された皆様にはお見舞い申し上げます。

4月14日の夜、ニュースを見ているときでした。緊急地震速報が流れ、その後熊本県を震源とする震度7の地震の映像が入ってきました。

夜中じゅう震度6、5程度の余震がずっと続いていたようです。建物の中は怖いので、外で一晩過ごした被災者も多かったらしい。

余震もおちついていくんだろうかと思っていた矢先、今度は16日午前1時25分頃、熊本県でマグニチュード7.3の地震が発生しました。最初のよりマグニチュードが大きく、これが「本震」らしく、最初の地震は「前震」になったようです。(あるいは「双子地震」とも) でも、これからも続く気配があり、どうなっていくかは予断を許しません。

旧暦棚田ごよみの今月弥生のページは、熊本県産山村扇田の写真を使用しています。この棚田は、阿蘇市からは北東に15kmしか離れていません。

震源が熊本県から大分県に移動しているような兆候も見られるので、産山村もちょうどその線上にあって、被災している人もいるのではと心配しています。

軽々しいことは言えませんが、とにかく地震から生き延びてください。


日本赤十字社 平成28年熊本地震義援金はこちら。

http://www.jrc.or.jp/contribute/help/28/


寄付・ボランティア受付窓口まとめはこちら。

http://grapee.jp/167570


 
 
 
 

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2016/04/15

「AIが書いた小説が文学賞の一次審査を通過」というニュース

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先日AIが書いた小説が文学賞の一次審査を通過したというニュースがありました。

人工知能が書いた小説、星新一賞の一次審査を通過「洋子さんは、だらしない格好でカウチに座り...」
http://www.huffingtonpost.jp/2016/03/21/ai-novel_n_9519634.html

囲碁の対戦でAIの「アルファ碁」が勝ったというニュースもありました。最近のAIはすごいですね。

先日は将来なくなるかもしれない仕事のリストについて書きましたが、それでも、最終的には、芸術的な仕事は最後まで残るだろうと思っていたところでの、このニュースなので、ちょっとショックというか・ ・ ・

俺も写真に関わっているので、この問題は他人ごとではありません。写真も、芸術としてなら残るだろうと思っていたからです。でも、小説までもAIが書けるとなってくると、写真も同じかもしれないですね。すでにカメラは手足のないロボットに進化していることは先日も書いた通りです。

でも、もしかしたらこういうこと?と、あることに気が付きました。

芸術というのは、作り手(芸術家)よりも、受け手(鑑賞者)のものであるという面があります。

小説でも写真でも、小説家や写真家が作った作品を楽しむことにこそ、その本質があるのは間違いないだろうし。

同じ芸術作品を見ても、ある人は感動するし、ある人は感動しません。と、すると、芸術作品側に理由があるのではなく、鑑賞者側に理由がある、ということになるんですね。感動するかしないかの価値感や感受性は、鑑賞者しだいということではないでしょうか。作者がだれであっても関係ないのです。AIが書こうが、人間が書こうが。

ところが「鑑賞」はAIにはできないし、そして作家側から言っても、書き上げるまでの過程が大切なのです。過程を楽しめるのも人間だけではないでしょうか。

とすると、この小説を書いたAIは、書くことを楽しんだわけではないし、クオリティも「その程度でいい」という小説だから書けただけです。「文学賞の一次審査」がどんなものかも、これで想像ついてしまいますが。

田原総一朗「急発達するAIが人間に絶対に勝てない仕事とは」
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/asahi-20160401-2016033000129/1.htm

この中にも、「AIに代替できない仕事とはどのようなものか。これは英語で言えば「プレイ」である。」と言っています。俺もそう思います。「遊ぶこと」「楽しむこと」は人間にしかできません。

人間がAIにとって代わられるというのは「仕事」の話です。「写真家」という職業はなくなっても「写真」はなくならないのです。写真を撮って楽しむこと。これはAIには無理です。

面白いことがありました、碁の対戦をやったとき、人間が勝った対局もあったのですが、そのとき、なぜ人間が勝ったかというと、定石ではない「適当な手」を打つと、AIは混乱して負けたようなのです。

これから考えると、人間の「いいかげんさ」や「あいまいさ」というのが、逆にAIに勝つというのは、ある意味人間を象徴している出来事のような気もします。
 
 
 
 
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2016/04/14

今日は、二十四節気「清明」、七十二候「虹始見(にじはじめてあらわる)」

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今日は二十四節気「清明」の末候「虹始見(にじはじめてあらわる)」です。

虹は太陽光線が弱いと現れません。ようやくこの時期になると虹が見られるようになるということなのでしょう。11月22日からは二十四節気「小雪」、七十二候「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」ですが、これと対になっているわけですね。虹が現れるのは、だから4月から11月まで、ということ。(↑に掲載の写真も夏の虹です)

どうして虹は「虫」偏なのか?

岩波書店 『広辞苑』によると、「形声。「虫」(=へび)+音符「工」(=つらぬく)。にじを、空にかかる大蛇に見たててできた文字」です。中国でも虹を蛇や龍にみなす風習があります。龍が雨水を司る神様であることとも関係しているのかもしれないですね。

それと前も書きましたが、虹の色を日本では「7色」と答えるのが一般的ですが、アメリカでは7色と6色に答えが分かれるらしい。

メキシコのチャムラ族は3色、リベリアのバッカ語では2色、ジンバブエのショナ語では3色、ドイツ語では5色です。

どう見たら2色に見えるのか、不思議だったのですが、↑に掲載の虹を見ると、2色とか3色にも見えます。強烈な太陽光線ではむしろこんなふうにコントラストが高くなって、2色に見えるということなのかもしれません。

どうも熱帯の国の言葉で、虹の色数が2色とか3色とか少ないのはそのせいかなと。
 
 
 
 
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2016/04/12

映画 『ダイダロス 希望の大地』を観て

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映画 『ダイダロス 希望の大地』 を観ました。2012年公開のカザフスタン映画、2時間18分の大作です。カザフスタン映画というのは珍しいかなと思います。

ロシアからの独立20周年記念作品として国家史上最高額の8億円を投じ、国の威信をかけて製作された、迫力の歴史スペクタクル作品です。2012年度アカデミー賞・外国語映画賞エントリー作品になりました。

だいたいのストーリーはこんな感じです。

18世紀のカザフスタンが舞台です。モンゴル族(「ジュンガル」と呼んでいました)が押し寄せてきて、家族を殺されてしまいます。いったん山奥で暮らしますが、民族の誇りと愛する人を守るため、カザフ族の青年サルタイは同じ10代の勇士たちと報復を誓い、敵陣へと乗り込んでいく、というものです。それは何十年に渡るモンゴル族の迫害から祖国を開放する歴史に残る闘いになりました。

物語としてはそれほど複雑ではないのですが、圧倒的なスケール感と、なんと言っても大草原のすばらしさには涙が出そうです。

カザフについては特別な思いがあるからです。

カザフという人たちを知ったのは、中国新彊ウイグル自治区の北西、博楽市にサリム湖(賽里木湖)と呼ばれる湖があって、そこに写真を撮りに行ったときでした。

透明な水をたたえた海抜2073メートルの湖の周りは、カザフ族の夏の放牧地で、青々とした草原に白いユルト(移動式天幕住居)が点在していました。

カザフ族は今は完全な遊牧民ではありませんが、夏・冬と家畜を移動させて暮らしているので、持ち運びができるユルト住まいなのです。草原では、馬、羊、ラクダの放牧をやっています。

俺は湖畔のドライブインの宿に10日ほど泊まって彼らの写真を撮っていました。

夏の3ヵ月間、カザフ族はサリム湖畔で暮らします。秋になって草原の草が枯れ、家畜の放牧ができなくなると低地へと帰っていきます。

10日間で結婚式にも参加したし、男たちと酒盛りもしたし、ある家族とは友だちになりました。

そろそろサリム湖を離れようと思っていた日のこと。空は青く澄みきって、快い風が吹いていました。俺は高原の空気を満喫しながら、何度かおじゃましていたユルトのおばさんが淹れてくれたお茶を飲んでいました。そして、何気なく、

「どうして夏はここで暮らすんですか?」

と聞いたのでした。彼女にこう聞いてしまったあと、「羊や馬の牧草のため」と、答えは分かりきっているじゃないかと、くだらないことを聞いてしまったなぁと後悔したのですが、彼女はこう答えたのです。

「だって低いところは今とても暑いのよ。ここは涼しくて気持ちがいいじゃない」

これは予想外の答えでした。そして、

「嫌なことはやらずに好きなことをやればいいのよ」

と言っているように聞こえたのです(そう感じたのです)。

あとで日本へ帰り、カザフ族のことを調べてみると、中央アジアの大草原で遊牧生活を送っていた人たちの一部が「自由人」という意味で「カザフ」と呼ばれたのが、今日のカザフ族のはじまりだと知りました。彼らは文字通り草原の自由人だったのです。

こんな体験があって、俺も遊牧民みたいな暮らしがしたいなぁとあこがれて、2009年には1年かけて、奥さんとヴィーノを連れて、日本一周の車旅に出たきっかけにもなりました。

俺には「カザフ」という人たちは懐かしくも、大切な思い出のひとつなのです。
  
 
 
 
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2016/04/08

36年前、スイスで出会ったドイツ人家族

160408(スイス・マッターホルンと月 1980年夏の夕暮れ)


先日一通のメールが届きました。件名も文面も英文なので、迷惑メールのフィルターをすり抜けてきた怪しいメールだと思って削除しようとしたとき、最初の「Dear Kenji,」というのが目に入り、あらためてメールを見直してみると、なんと36年前の知人からのメールでした。

そのドイツ人家族とはスイスのマッターホルンで出会ったのでした。いい天気で、マッターホルンの山頂も青空をバックにくっきりと見えていたのをはっきり覚えています。

その後、記念写真を送ったりして、お互い文通を何度かしたと思いますが、そのうち、手紙も出さなくなり、いつのまにか連絡先もわからなくなりました。

今までも、スペインでローマ時代の遺跡発掘のボランティアで知り合ったスペイン人とか、雲南省で出会った日本人学生(現在は大学の先生)とか、何度かこういった突然の再会を果たす経験があったのですが、そのたびに思うのは、ネットのすごさということです。

名前だけで探し出せる世の中になったというのは驚きです。もちろん俺の場合は、プロフィールも公開しているし、HPも多いので、探されやすいということはあるかもしれません。(でも当時写真家になるなどとは言ってなかったですが)

一般的には、同姓同名もたくさんいるので、そこから特定するのはそんなに簡単ではないかもしれません。

実際、昔中国で出会ったドイツ人(カメラマン志望者)を探そうとしたことがありましたが、同姓同名らしい人物がたくさん出てきて、顔写真でも載っていないかぎり、アドレスもなく、本人なのかどうなのか確かめようがありません。だから条件によってはそんなに簡単ではないかもしれませんが。

そのドイツ人家族の当時14歳だった女の子は、結婚して娘さんもいるそうで、その娘さんが俺が昔出したポストカードを見つけたらしいのです。それで思い出して俺を探したらしいのですが、簡単に見つかったと書いています。英文のプロフィールにも、出会った年にヨーロッパ旅行していることは書いていたと思うので、それから確認できたのでしょう。

とつぜん36年前にタイムスリップした感じ。36年間思い出さなかったことが、ちゃんと思い出せるって、考えてみれば、記憶というのはすごいですね。この記憶のことは自分のことに関する「自伝的記憶」といいます。

そういえば、妻も20代のころはよく思い出せると言っていて、俺もドイツ人家族のことはすぐに思出せましたが、若いころというのは良く思い出せるものらしい。

これは確か心理学の教科書にも載っていたなぁと思ったので、調べ直してみると、「レミニセンス・バンブ」というらしい。「レミニセンス」とは「追想」で、「バンブ」とは「盛り上がったところ」という意味。

高齢者に過去の体験を思い出してもらうと、10~20代にかけてのことが比較的よく思い出せるというものです。この「よく思い出せる」」という部分の盛り上がった曲線のことです。

どうしてか?というと、この時期は初めての体験が多くて記憶に残りやすく、また人生で重要な出来事が集中していて脳が活性化しているからではないか、という説が有力らしい。

最初の海外旅行はやっぱりインパクトありました。たくさんのことを覚えているし、ドイツ人家族と同じように、きっかけがあれば思い出せるような気がします。

多感な時期に外国旅行していたことが、人生の「核」になっているのを感じます。自分では良かったと思います。
 
 
 
 
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2016/04/04

今日は、二十四節気「清明」、七十二候「玄鳥至(つばめきたる)」

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今日は、二十四節気「清明」、七十二候(初候)は「玄鳥至(つばめきたる)」です。

「清明」とは「万物がすがすがしく明るく美しいころ」という意味です。

桜が満開を迎えていていますが、今日の関東の朝の天気は今一でしたが。午後は雨もやみました。

打ち合わせの移動に、たまたま皇居のお堀を通ったら、満開の桜にたくさんの花見客が列をなしていましたが、さすがにみごとです。

昨日はヴィーノを連れて稲荷山公園に花見に行ったら「桜祭り」をやっていました。↑の写真はそのときのものです。
 
 
 
 
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2016/04/03

「茶室」のような異空間。坂本長利さんのひとり芝居『土佐源氏』

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部屋にロウソクの明かり、ぎっしりと30人が座るという異空間。そこで行われた坂本長利さんの『土佐源氏』。

会場は和風喫茶店「楽風(らふ)」で、ゴザで囲まれた空間が、偶然なのですが、文字通り「茶室」のようになっていたのです。

茶室に入るときは武士も刀を外に置いたそうで、社会的な身分も上下も関係ない、非日常の空間です。その狭くて限られた空間が、かえって想像的な世界へと俺たちをいざないます。

ひとり芝居『土佐源氏』は、宮本常一著『忘れられた日本人』の中にある話です。

民俗学者 宮本常一さんが高知県の山の中、旧梼原村で出会った盲目の貧しい男の昔話を聞き書きしたものです。独白の内容は、過去に関係を持った女たちが登場する女遍歴(自慢?)なのです。

学問も才能も金もない男が女にだけはもてる。どうしてなのか? という自己分析もちゃんとしていて、それが妙に面白い。創作ではないか?と宮本さんが疑われるのもわかります。

人を騙してきたが牛と女にはもてた。牛と女は騙さなかった。牛と女の尻は舐めた(?)。この男にとって、何か牛と女には共通するものがあったのかもしれません。

芝居が終わった後、坂本さんを囲んでの懇親会になりましたが、初めて『土佐源氏』をやったのは30代だったそうです。そしてそのときは、芝居をやるというのではなく、こういう『土佐源氏』のような物語を広めたいという思いであったらしい。

宮本さんが講演をし、坂本さんが芝居をしながらふたりで日本国中周りたいと思っていたそうですが、残念ながら宮本さんは亡くなってしまい、その夢は現実になりませんでした。それこそふたりは「世間師」になりたかったのではないでしょうか。「マレビト」あるいは「トリックスター」としての存在です。

面白い話を聞きました。坂本さんがポーランドやオランダやドイツで海外公演をしたとき、通訳なしで日本語で演じたらしいのですが、それでも感動して涙を流し、手を握りしめる観客もいたそうです。

「男女の関係は万国共通からかなぁ」と言っていましたが、それもあるかもしれませんが、見た目がインパクトあり、どう見ても尋常ではない姿の「マレビト(稀人・客人)」なのではないでしょうか。「マレビト」はその共同体に属さない、異質のものであり、特別の力(良くも悪くも)を持っているものです。そこは言葉がわからないヨーロッパ人にも強烈に感じられたのではないかと思います。

実際、登場してきただけで、何か、見てはいけないものを見ているような、日常の平穏をかき乱されるような、心の嘘を暴かれるような、怖さまで感じるのです。「ヤバい」のです、存在そのものが。芝居だから安心して見ていられますが、本物なら逃げ出したくなりそうです。言葉以上のものを漂わせています。

ひとり芝居なので、坂本さんがセリフを言っていないときはシーンと静かになります。だからシャッター音が気にならないように、セリフにかぶせてシャッターを押すようにしていたのですが、何度か、どうしても撮りたい瞬間があって、あとで「うるさかった」と怒られてもいいやと、シャッターを押してしまいました。自分の意志ではどうしようもない、完全に坂本さん(男)に撮らされた写真になりました。それだけ魂を奪われる芝居だったのです。

坂本さんはたぶん、自分は「役者」ではなくて、「媒介者(メディア)」としてやっているのではないかと思っていましたが、今日の懇親会の話から、ますます、この男が坂本さんに乗り移ったような舞台を目指しているんだろうなぁと思いました。

現に原作者である宮本さんは、坂本さんの舞台を見て、ときどき坂本さんの表情がこの男と似ているとも言っていたそうです。

ちなみに松田哲夫編集の『6恋の物語 (中学生までに読んでおきたい日本文学)』に『土佐源氏』が載っているそうです。
 
 
 
 
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2016/04/02

北本自然観察公園の埼玉県自然学習センター

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北本自然観察公園は、昔からの自然を生かして、野生の生き物たちを観察できるように、散策路が作られています。奥の方、「かわせみ池」の先には、大きなエドヒガンの桜の木がありました。犬連れもOKです。

埼玉県自然学習センターは、北本自然観察公園の中にあります。埼玉県の自然学習、環境教育の拠点になり、生態系の仕組みなど学習できます。公園のビジターセンターです。

2階の双眼鏡からは沼そばの草地で休むカモなどの野鳥の姿が見ることができました。

1階にはコメの袋が展示されていました。「お米を食べて生き物を守ろう」というコーナーです。

生き物にやさしい田んぼで作られた全国各地から取り寄せた約20種類のコメの袋だったのですが、いろいろあって面白い。いろんな取り組みがなされているんだなぁと感心します。

生き物が豊富な田んぼが少なくなってきている「水田生態系の劣化」が進んでいます。それはトキ、メダカ、ゲンゴロウなどの湿地に住む生き物がレッドデータブックに載っていることでもわかります。乾田化や農薬・化学肥料の使い過ぎが主な原因です。

そういった現状をふまえて、全国には、生き物を守りながらの水田作り、コメ作りをする動きが広がっています。無農薬や有機栽培で作られたコメです。

例えば、石川県津幡町の「生き物元気米」というのがあります。チラシが置いてありました。その中からの抜粋です。

生物多様性アクション大賞、日本自然保護大賞を受賞したコメです。以下、3つの条件で認証されたコメです。

1: ネオニコチノイド系農薬などの殺虫剤空中散布をしない。
2: 畦に除草剤を散布しない
3: 田んぼごとに生き物の調査をする。

興味のある方は、HPもあるようなので、見てみてください。

http://kahokugata.cart.fc2.com/

他にも、

宮城県登米市の「めだかのおたより」、「雁の里米」、

長崎県対馬市「佐護ツシマヤマネコ米」、

宮城県大崎市「シナイモツゴ郷の米」、「ふゆみずたんぼ米」、「雁音米」、

新潟県佐渡市「朱鷺と暮らす郷米」、「トキひかり」、

神奈川県」茅ヶ崎市「湘南タゲリ米」、

埼玉県鴻巣市「こうのとり伝説米」、

兵庫県豊岡市「コウノトリはぐくむお米」などがあります。

コメのほか酒の紹介もあります。

売り上げ金の一部がトキ保護活動に充てられたり、コウノトリ育む農法で栽培されたコメ100パーセント使ったものだったり。
 
 
 
 
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