« 北本自然観察公園の埼玉県自然学習センター | トップページ | 今日は、二十四節気「清明」、七十二候「玄鳥至(つばめきたる)」 »

2016/04/03

「茶室」のような異空間。坂本長利さんのひとり芝居『土佐源氏』

160403_1

160403_2

160403_3

160403_4


部屋にロウソクの明かり、ぎっしりと30人が座るという異空間。そこで行われた坂本長利さんの『土佐源氏』。

会場は和風喫茶店「楽風(らふ)」で、ゴザで囲まれた空間が、偶然なのですが、文字通り「茶室」のようになっていたのです。

茶室に入るときは武士も刀を外に置いたそうで、社会的な身分も上下も関係ない、非日常の空間です。その狭くて限られた空間が、かえって想像的な世界へと俺たちをいざないます。

ひとり芝居『土佐源氏』は、宮本常一著『忘れられた日本人』の中にある話です。

民俗学者 宮本常一さんが高知県の山の中、旧梼原村で出会った盲目の貧しい男の昔話を聞き書きしたものです。独白の内容は、過去に関係を持った女たちが登場する女遍歴(自慢?)なのです。

学問も才能も金もない男が女にだけはもてる。どうしてなのか? という自己分析もちゃんとしていて、それが妙に面白い。創作ではないか?と宮本さんが疑われるのもわかります。

人を騙してきたが牛と女にはもてた。牛と女は騙さなかった。牛と女の尻は舐めた(?)。この男にとって、何か牛と女には共通するものがあったのかもしれません。

芝居が終わった後、坂本さんを囲んでの懇親会になりましたが、初めて『土佐源氏』をやったのは30代だったそうです。そしてそのときは、芝居をやるというのではなく、こういう『土佐源氏』のような物語を広めたいという思いであったらしい。

宮本さんが講演をし、坂本さんが芝居をしながらふたりで日本国中周りたいと思っていたそうですが、残念ながら宮本さんは亡くなってしまい、その夢は現実になりませんでした。それこそふたりは「世間師」になりたかったのではないでしょうか。「マレビト」あるいは「トリックスター」としての存在です。

面白い話を聞きました。坂本さんがポーランドやオランダやドイツで海外公演をしたとき、通訳なしで日本語で演じたらしいのですが、それでも感動して涙を流し、手を握りしめる観客もいたそうです。

「男女の関係は万国共通からかなぁ」と言っていましたが、それもあるかもしれませんが、見た目がインパクトあり、どう見ても尋常ではない姿の「マレビト(稀人・客人)」なのではないでしょうか。「マレビト」はその共同体に属さない、異質のものであり、特別の力(良くも悪くも)を持っているものです。そこは言葉がわからないヨーロッパ人にも強烈に感じられたのではないかと思います。

実際、登場してきただけで、何か、見てはいけないものを見ているような、日常の平穏をかき乱されるような、心の嘘を暴かれるような、怖さまで感じるのです。「ヤバい」のです、存在そのものが。芝居だから安心して見ていられますが、本物なら逃げ出したくなりそうです。言葉以上のものを漂わせています。

ひとり芝居なので、坂本さんがセリフを言っていないときはシーンと静かになります。だからシャッター音が気にならないように、セリフにかぶせてシャッターを押すようにしていたのですが、何度か、どうしても撮りたい瞬間があって、あとで「うるさかった」と怒られてもいいやと、シャッターを押してしまいました。自分の意志ではどうしようもない、完全に坂本さん(男)に撮らされた写真になりました。それだけ魂を奪われる芝居だったのです。

坂本さんはたぶん、自分は「役者」ではなくて、「媒介者(メディア)」としてやっているのではないかと思っていましたが、今日の懇親会の話から、ますます、この男が坂本さんに乗り移ったような舞台を目指しているんだろうなぁと思いました。

現に原作者である宮本さんは、坂本さんの舞台を見て、ときどき坂本さんの表情がこの男と似ているとも言っていたそうです。

ちなみに松田哲夫編集の『6恋の物語 (中学生までに読んでおきたい日本文学)』に『土佐源氏』が載っているそうです。
 
 
 
 
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

|

« 北本自然観察公園の埼玉県自然学習センター | トップページ | 今日は、二十四節気「清明」、七十二候「玄鳥至(つばめきたる)」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 北本自然観察公園の埼玉県自然学習センター | トップページ | 今日は、二十四節気「清明」、七十二候「玄鳥至(つばめきたる)」 »