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2016/05/31

2016年初夏の撮影旅(05) 山形県朝日町 椹平の棚田 6月4日(土)は、ひめさゆりまつり

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昨日、福島県から山形県に入りました。連日暑い日が続きます。山形県の村山盆地は意外と暑いのです。最近は、埼玉県や高知県が最高気温更新でニュースになりますが、それまではずっと山形県が最高気温記録保持者でした。

朝日町の椹平の棚田に寄ってみました。一本松公園の展望台からは田植え直後(まだ終わっていない田んぼもある)の棚田が、夕方の雲を映して光っています。

この時期に訪れたのは、ずいぶん久しぶりかもしれません。秋が多かったような気がします。でも、「棚田百選」が選定されて、すぐ全国の棚田を周ったとき、初めてここを訪ねたのが今の時期でした。

なんて開放感のある棚田だろうと思ったのが、第一印象です。これだけの展望台は、百選の中でも数か所あるかないかでした。でも、今は、全国の棚田に新しい展望台ができてきたので、他にもあるのでしょうが。

今の季節は淡い緑がすがすがしく、美しい季節です。

売店には「東北お遍路写真コンテスト」のチラシを置かせてもらっていますが、いつもお世話になっている役場の阿部さんとはここで待ち合わせです。妻とヴィーノは阿部さんとは初対面です。

今年は田植えが遅れているそうです。だからまだ田植えをやっているところもあったのですね。

あたりには、ひめさゆりが咲いています。ちょうど見ごろを迎えていますが、今度の土曜日、ひめさゆり祭りが行われるそうです。

~ ひめさゆりまつり ~
6月4日(土) 11時30分頃~
一本松公園(雨天の場合は能中公民館)

棚田ママの会・いきいきクラブの方々を中心に、山菜汁・笹巻などを準備して待っているそうです。棚田も美しい季節です。ぜひ行ってみてください。
 
 
 
 
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2016年初夏の撮影旅(04) 福島県下郷町 芦ノ原の棚田

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福島県下郷町の芦ノ原へ向かいました。ここには好きな棚田があります。近くを通るときは寄るようにしています。

国道沿いに民家が並んでいて、その北側の広い斜面がすべて棚田になっていて、かなり大きな棚田です。

南側のこんもりとした山が、芦ノ原の風景の特徴になっています。
 
 
 
 
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2016/05/30

2016年初夏の撮影旅(03) 【犬狼物語 其の二十一】 福島県須賀川市 十念寺 代参犬シロの犬塚

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NHKで放送された『リトル・チャロ~東北編~』は100年前の東北地方を、チャロという名前の子犬が、さまざまな人や妖怪に出会いながら旅するアニメです。第6話『人のために』は須賀川が舞台でした。

須賀川の代参犬「シロ」をモデルにしたストーリーだそうです。これで「シロ」の存在がもっと知られるようになったわけですね。

その代参犬「シロ」とは、今まで何度か書いてきた、主人の代わりに伊勢参りをした犬のことですが、須賀川市十念寺にはシロの犬塚が残っています。

東日本大震災の爪痕も生々しい数多くの墓石が倒れたままになっている十念寺にあります。参拝客用の駐車場からすぐ見えました。

あれが犬の像か。想像よりも小さい像で、ちょうどヴィーノと同じ、長さが60cmくらいでしょうか。でもあとで、「シロ」は秋田犬だったことが判明しました。

犬と言われれば犬ですが、一見すると赤ちゃんが床にはいつくばっているふうにも見えます。後ろの方に回り込むと、足と尾が犬らしい。おそらく耳は壊れてしまったので顔の部分がのっぺりしたふうになってしまったのでしょう。

風雪にさらされて、今のような形になりましたが、そこに長い歴史を感じることができます。

犬塚の台座の右側にはこうありました。

「寛政のころ、市原貞右衛門綱稠の飼い犬が主人の命を受け、伊勢参りに行った」

それと台座の後ろ側には、

「昭和44年秋彼岸」

とあります。台座は昭和44年ですが、犬の像じたいの年代はいつなのでしょうか? 

お寺の人に博物館になら資料があるのでは?と教えられ、寺から600mほどのところにある須賀川市立博物館を訪ねました。

職員の女性が親切に資料を探してくれて、『郷土 須賀川 / 須賀川市史 別巻』に〈お伊勢参りをした忠犬〉という項目を見つけました。結局これにも犬の像の年代は書かれていませんでしたが、だいたい210年ほど前の話になるのではないでしょうか。

〈お伊勢参りをした忠犬〉によると、

白毛の「シロ」は、人間の言葉がわかって、買い物をしたり、手紙を書いて箱に入れて首に結わいてやると、ちゃんと返事をもらってくるという利口な犬で、町中の評判でした。

市原家では、毎年伊勢神宮に、主人が欠かさず参拝するならわしになっていましたが、ある年主人が病気になってしまい、みんなで相談して、このシロを代わりにお参りさせることにしました。

2ヶ月後、シロが無事帰ってきました。”主人に代わってお伊勢参りをした忠犬”ということで、町の大評判となって、みんなに可愛がられていましたが、3年目に病気で死んでしまったそうです。

それで市原家ではシロの像をつくり、市原家の墓所に祀っていましたが、今は、不動堂のすぐ裏に移されています。
 
 
 
 
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2016/05/29

2016年初夏の撮影旅(02) 福島県天栄村 棚田とヴィーノ

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今回はヴィーノ連れですが、日本一周した時のように、車の窓から耳をひらひらさせて匂いを嗅ぐのは、相変わらず楽しそうです。犬は匂いで世界を知るんだなぁとあらためて思います。

写真は、福島県天栄村の道の駅で撮影したもの。稲刈り直後の棚田に夕陽が当たって美しい季節です。

福島県須賀川市の「市川家のシロの犬塚」を探したことについてはまたあとでアップします。資料ももらったので、アップするのに時間がかかるので。

旅先からのリアルタイムでのアップはけっこう大変なのです。(と言い訳をしておきます)
 
 
 
 
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2016/05/28

2016年初夏の撮影旅(01) 【犬狼物語 其の二十】 栃木県佐野市 犬伏の里(鷲宮神社)

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今回の撮影旅は、山形市での講演会、世界遺産 平泉の撮影、棚田撮影、いろんなことを同時にやることになりますが、ひとつ「忠犬の物語を探す旅」というテーマもあります。

もう19ヵ所をすでにアップしてありますが、【犬狼物語】のテーマです。

そして今回【犬狼物語 其の二十】は、栃木県佐野市、犬伏の里(鷲宮神社)。

佐野市のHP「犬伏」のページには、「犬伏」の地名の由来としていくつか載っていますが、その中の(1)は、

「古老の話では大昔、この地に大猿が出て婦女子を餌食にするので、何とか防ぐ方法として年に1回の祭に娘を供養に出すことになってから被害は少なくなりましたが、年々娘たちが少なくなっても困るというところから、近江国より、ちょっぺ太郎という大犬をつれてきました。娘の代わりに供養に出したところ犬と猿との戦いによって、両者死に絶えました。それからは人畜に全く被害がなくなりました。これも太郎のおかげであるとのことから、或る丘に犬を埋め供養したことから、犬が丘に伏せているということが伝わり、犬伏町というに至ったものと伝えられています。」

という伝説です。

こういう話は類型があり、借りてきた犬が化け物(猿神)を退治する話で、犬の名前「ちょっぺ太郎」とは少し違いますが「しっぺい太郎伝説」というそうです。江戸時代、この伝説は日本中で流行ったらしい。外国にも紹介されていた日本を代表する伝説でした。

今度の6月5日は、まさにこの「しっぺい太郎伝説」の祭りに行こうと計画していたので、その繋がりに縁を感じます。山形県鶴岡市、「めっけ犬」を祀っている大山の椙尾神社のお祭りなので「大山犬祭り」ともいいます。

ここでも犬の名前が「めっけ犬」といって「しっぺい太郎」ではないですが、内容は同じような伝説です。

「大山犬祭り」については、6月5日以降アップできると思うので、そのとき詳しく書きます。


佐野駅の北東に位置する鷲宮神社あたりは「犬伏」という地名ですが、一の鳥居をくぐっていくと、こんもりした杜の中に吸い込まれていきます。静かで、それこそ妖怪が棲んでいそうな場所です。

妖怪をやっつけてくれるのが「ちょっぺ太郎」。今回の旅はヴィーノ連れで、ヴィーノは「ちょっぺ太郎」になってくれるのでしょうか。北海道でヒグマに遭遇した時のことを思い出すと、「ちょっぺ太郎」は無理かもなぁと、期待薄ですね。

上に掲載の狛犬が、 伝説の「ちょっぺ太郎」と伝えられているものですが、両手がなく、独特のフォルムをしていて、ネットで初めて見たとき、カンボジアのアンコール遺跡群を思い出しました。まるでクメールの石像のようです。狛犬の石像の存在感はすごいです。

背中に「元禄十@」とかいう文字が見えました。元禄時代に寄進されたものでしょうか。

最初から両手がなかったわけではなく、後で折れた(折られた)ようです。造形的にもすばらしい作品だと思います。

「しっぺい太郎」伝説とはいったい何を表すのでしょうか? 

伝説や昔話は、人間の深層心理の反映でもあり、その話がその土地にずっと伝わってきた理由もあるはず、とユング心理学では言っています。そのうち考えてみたいと思いますが、今は旅の途中なので、旅を楽しむことを優先したいと思います。

ちなみに、新潟県十日町市まつだいにも、「犬伏」という地名があります。武田信玄ゆかりの地で、犬伏城の跡があります。標高365mの犬伏山の頂上にあった山城ですが、地形を利用した、越後と関東を結ぶ 最短ルート上にある要衝の地でした。
 
 
 
 
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2016/05/27

【犬狼物語 其の十九】 千葉県匝瑳市 円静寺の「愛犬之墓」と芭蕉の句碑

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千葉県匝瑳市にある円静寺の「愛犬之墓」を探しに行きました。

匝瑳市のHPの「円静寺の忠犬」(原話 八日市場の歴史と民俗)には、こんな話が載っています。(HPから抜粋)

「円静寺のお坊さんはとてもりこうな犬を可愛がっていた。毎日のように散歩や檀家回りに連れて歩いた。ある年、お坊さんが病気にかかり寝込んでしまった。お坊さんは手紙を江戸まで届けるよう犬に頼んだ。りこうな犬は、言いつけどおりに江戸へ出かけていった。帰り道、大雨にあい、やっとの思いでお寺にたどり着いた。それから何日もしないうちに、犬は高い熱を出して、食べるものも食べず苦しそうな毎日を送っていた。村人の手厚い看病の甲斐もなく、とうとう死んでしまった。お坊さんと村人は、この忠実な犬をねんごろに弔った」

義犬(忠犬)の話ですね。伊勢参りした犬とは違いますが、江戸に行って帰ってきたというあたり、伊勢参りの犬と似ていなくもないなぁと感じます。何か関係するのでしょうか。

ところで、この円静寺なのですが、寺の場所がわからず、偶然道を尋ねた奥さんから、地元の歴史に詳しい人がいますよと教えられ、その人に電話してくれて、お宅におじゃますることになりました。

その人に案内してもらって「愛犬之墓」に行きました。

実は墓は、その人の家の裏側にあったものを、平成10年ころ、道路を作るとき寺に移したそうなのです。

もともとあった場所には芭蕉の句碑もありました。だから「愛犬之墓」も芭蕉の句碑といっしょにあったのです。

そこには「震松(ゆるぎまつ)」という名木が立っていた場所でもありました。江戸時代には、その人の先祖が木を切ろうとしたら、中から血のような赤いものが出てきたので、切るのをやめて、塔婆を建てたという記録も残っているそうです。

そんな名木も、昭和50年(1980年)、松喰い虫にやられて枯れてしまいました。なので、今は句碑だけです。

「此道に出て涼しさよ松の月 はせを」

とあります。「はせを」は「芭蕉」のこと。「松」とあるので「震松」を詠った句なのでしょうか。

さて、愛犬之墓ですが、円静寺の鐘つき堂のそばにありました。

高さは70cmくらいで、「祐尊者所愛犬之墓」と刻んだ石碑でした。

愛犬の話は600年ほど昔のことですが、後の時代、寛政11年(1799年)に、地元の木下覚寿という人が墓を建てたそうです。そういえば、芭蕉の句碑は寛政12年に建立されているので、ほぼ同じ時期です。

芭蕉はこの墓を見たのでしょうか。愛犬の話を聞いたのかどうか、ちょっと気になります。
 
 
 
 
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2016/05/26

2016年の主要国首脳会議(サミット)開幕

160526_1(伊勢神宮 内宮前のヴィーノ)

160526_2(内宮の初穂曳き 五十鈴川での神事)

160526_3(外宮に奉納する新穀)


主要国首脳会議(サミット)が始まりました。国際的な経済の問題や、ISを初めとするテロの問題など、いろいろ話合われて、より良い世界になるような会議を期待したいと思います。

日本の美しい自然、豊かな文化、伝統を世界のリーダーたちに肌で感じてもらえる場所にしたいと考え、伊勢志摩が選ばれましたが、確かに伊勢神宮もあって「日本のこころ」に近い開催地とは言えると思います。

G7首脳たちも正式参拝の「御垣内参拝」で内宮に参拝します。「御垣内参拝(みかきうちさんぱい)」は、「正式参拝」や「特別参拝」とも呼ばれるそうです。安倍さんはすでに昨日参拝して、打ち合わせを終えていました。

ただ、外宮から内宮に参拝するのが習わしですが、今回は時間の都合で内宮のみの参拝にとどまるらしく、「二拝二拍手一拝」の作法も求めず、あくまでG7首脳たちの自由に任せるらしい。こういったこともあり、政教分離の原則には抵触しないと判断されたようです。「宗教」としてではなく「文化」として見てもらったらいいと思います。

ところで、昨日の夜の日米首脳会談後、オバマ大統領と安倍総理のちぐはぐな共同記者会見がありました。

アメリカが、沖縄に関心があまりないことがすけて見えるようなオバマ大統領の会見でした。沖縄の怒りを軽く見ているのでしょうね。アメリカの読みは甘いと思いますよ。
 
 
 
 
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2016/05/25

伊勢志摩サミット、オバマ氏来日のタイミングで起こった沖縄米軍軍属の事件

160525_4(キャンプシュワブ)

160525_15(東村北部訓練場)


主要国首脳会議(サミット)が開催され、オバマ大統領が広島を訪問するというニュースがあったところで、また最悪の事件が起こってしまいました。

女性に乱暴し遺体を遺棄した疑いで米軍軍属の男が逮捕された事件です。個人の事件とは言え、こういった米軍関係の事件は数多く、沖縄県人の反発が大きくなるのは必至です。我慢の限界です。

被害者女性の遺体が発見された現場に赴いた彼女の父親の言葉は印象的でした。

「お父さん、迎えに来たよ。いっしょに帰ろうね」

父親は娘さんの魂を拾いに来たのだといいます。道を迷わないように大きな声で娘の魂に呼びかけたそうです。

「魂を拾いに来た」という表現が、父親の心情を表してるようで、胸に突き刺さります。

突然残忍な殺し方をされた娘の父親として、現実を把握できず、納得できず、悲しくて、悔しくて、犯人を憎らしく思う、ぐるぐるした整理の付かない感情が渦巻く中、今娘さんに対してできる唯一のことが「魂を拾うこと」であるのかもしれません。そうすることで、ようやく自分が保てるのではないでしょうか。


1995年、米兵による少女暴行事件があって、反米感情が高まりました。当時は基地反対派の知事だったので基地の整理縮小の方向に話が動きました。

オバマ大統領が来るというタイミングなので、今回もそのくらいの衝撃はあるのではないでしょうか。95年と同程度の大規模な抗議集会が開かれるそうです。

「米軍が日本を守っている」、「米軍の存在が抑止力になる」という理屈で、沖縄人に接してはいけないのでしょう。こんな事件が頻発している中で、「日本は守っているかもしれないが、沖縄は害されている」と感じていたらどうでしょうか。「米軍の存在が抑止力になる」という言い方は沖縄人の日本政府に対する反発を、結果的に強めてしまうでしょう。

そして実際米軍は「日本を抑えている(コントロールしている)」という役割も担っています。

アメリカは、いや、「第二次大戦戦勝国」は、日本が軍国化するのを嫌がっているのは確かでしょう。無意識では、北朝鮮より、日本の軍国化や核武装化を怖がっているのかもしれません。日本の方が何をやらかすかわからない国なので。歴史が証明しています。吠える犬は咬まないですが、吠えない犬は突然ガブッと咬みます。

米軍に守られているなどというのは、一面にすぎないと思います。日本を守るというのは、人を守るということではないのでしょうか。人も守れないで、何が抑止力でしょうか。
 
 
 
 
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『松田重仁展 ~水の祈り~』

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彫刻家、松田重仁くんの個展のお知らせです。


「松田重仁展 ~水の祈り~」

2016年5月27日(金)~6月5日(日)
12:00~18:30 (最終日17:00)
東京都国立市東2-25-24 工藝火水土2F
WATERMARK arts&crafts
http://watermark-arts.com/exhibit/1017


偶然なのですが、松田くんの作品は、「棚田」と関係がなくはない、生命の大切さ “浮遊する水”をテーマに木を素材として制作しています。なので共感できるところが多くあります。ノミの跡が残っている優しい作品群です。

去年の秋は、『越後妻有 2015 大地の芸術祭』で展示されていたので、俺も撮影がてら棚田の中で、彼の作品を鑑賞してきました。

興味のある方は、覗いてみてください。
 
 
 
 
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2016/05/24

【犬狼物語 其の十八】 千葉県銚子市 銚子電鉄犬吠駅の「貧乏がイヌ」

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犬吠駅は、濡れせんべいが会社を救った話で有名な銚子電鉄の、犬吠埼灯台の近くの駅です。そのひとつ先が、終点駅の外川になります。

犬吠駅は意外と南国風のモダンな駅舎でしたが、外川駅はローカル線のいい感じの駅舎でした。かつて走っていたのでしょうか、赤い車両が置いてあります。

犬吠駅舎前に、新しい石像があります。

隣の碑によると、

この石像は平成19年建立されていて、「幸せ三像」のひとつ。貧乏神にイヌが乗った石像は「貧乏がイヌ」という。イヌは福禄寿の化身で、幸運、子宝、長寿の神と言われている。イヌの頭をなでるとご利益あるそうです。

「幸せ三像」とは、何のことかわからなかったので調べました。

Wikiによると、

「駅前広場にはゲーム『桃太郎電鉄』シリーズの協賛企画「しあわせ三像」のうち「貧乏がイヌ(居ぬ)」像がある」

とあります。そういうことか。

「犬狼物語」とは、趣旨が合わないかなぁと思いますが、一応紹介しておきます。何百年後かにこれも「伝説」になっているかもしれないし。
 
 
 
 
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2016/05/23

【犬狼物語 其の十七】 千葉県銚子市 義経伝説の「犬岩」

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「犬」のつく地名で犬吠埼を訪ね、ここが義経伝説と関係あるという話は昨日も触れましたが、灯台から車で数分のところにある「犬岩」という名前の岩も同じ義経伝説を由来としています。

銚子ジオパークのHPによると、

「犬岩は、義経一行が奥州へ落ち延びて行く折、海岸に残された愛犬の若丸が主君を慕って七日七晩鳴き続け、八日目に犬の形をした大岩が現れ、地域の人々がこの巨岩を“犬岩”と名付けたといわれています。」

とのことです。

犬岩は、千葉県で一番古い「愛宕山層群」の一部だそうで、地殻変動と、風雨、波の浸食作用で作られた奇跡の奇石だそうです。

両耳が立ったような姿がまさに「犬」で、お座りして海を眺めているように見えるのですが、この両耳の部分にも断層があって、いつずれてしまうかわからないようです。「奇跡の奇石」と言われるわけです。
 
 
 
 
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2016/05/22

【犬狼物語 其の十六】 千葉県銚子市 白亜の犬吠埼灯台

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千葉県の犬吠埼へ行ってきました。

ヴィーノを連れて日本一周をしたとき、出発から第4日目に通過したところです。

「犬が吠える岬」で犬吠埼なんでしょうか。

Wikiによれば、

「義経の愛犬「若丸」が岬に置き去りにされ、主人を慕う余り、7日7晩鳴き続けたことから犬吠(犬が吠く)と名付けられたという説である。他にはかつて一帯にはアシカ(ニホンアシカ)が繁殖しており(近隣には海鹿島があり、明治時代には2 - 300頭のアシカが生息していたと伝えられる)、その鳴き声が犬に似ていたことから、犬吠埼と名付けられたという説もある。」

とあります。ゴーゴーと風と波の音がして、それ自体が犬の遠吠えのように聞こえることもあります。

どちらにしても、犬には関係があるところですが、美しくて楽しいところですね、犬吠埼は。

青空に映えて白亜の灯台が輝いて見えましたが、入り口のところに、これまた真っ白なポストが立っていました。

ネットで知っていたのですが、なんでも、全国初の白い丸型ポストは、2012年のホワイトデーから使われ始めたのだそうです。

夜、海岸に出てみたら、灯台の上の半月に円形の傘雲が見えました。
 
 
 
 
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2016/05/20

フランス人建築家、ル・コルビュジエが設計した国立西洋美術館、世界文化遺産確実か

160520_1(オーギュスト・ロダンの「カレーの市民」)

160520_2(ヨース・ファン・クレーフェの「三連祭壇画:キリスト磔刑」)


中世末期から20世紀初頭にかけての西洋絵画が展示されている上野の国立西洋美術館へ行った話は、以前こちらに書いています。

国立西洋美術館は、近代建築の巨匠、フランス人建築家、ル・コルビュジエが設計したもので、そのとき、フランスなど6か国と共同で世界文化遺産に推薦しているというのが、ニュースになっていました。

そしてそれが現実になりそうです。

ル・コルビュジエの世界文化遺産に登録される計17件は、日本、フランス、ドイツ、スイス、ベルギー、アルゼンチン、インドにまたがっています。そんな登録の仕方もあるんですね。

「明治日本の産業革命遺産」の構成資産も23あり、福岡、佐賀、長崎、熊本、鹿児島、山口、岩手、静岡の8県11市にまたがっています。旅する立場で言うと、これも大変だなぁと思っていましたが、今回は世界中に点在しているので、これを全部見てまわるのはもっと大変です。

評価されたのは「世界に近代建築運動を広めた」点、国立西洋美術館については「世界遺産登録を強く支持するなど地元の積極的な参画が認められる」点とのことです。

国立西洋美術館の建物より、建物前に展示してあるロダンの彫刻の方に興味がいってしまうのは、建築のことはわからない素人だからでしょうか。
 
 
 
 
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2016/05/19

【犬狼物語 其の十四~十五】 東京都 セラピードッグ「名犬チロリ記念碑」と「乙女と盲導犬の像」

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東京都内にある犬の像を巡ります。

東銀座5番出口を出て、通りを渡ると首都高の上に作られたちょっとした公園になっています。近くの建設現場で働く人たち、20人ほどが休憩していました。

円形の広場の入り口に「名犬チロリ記念碑」はあります。

殺処分寸前で助けられたチロリは、のちにセラピードッグの代表犬として全国で活躍しました。社会福祉に貢献した犬として、名誉セラピードッグ認定1号犬の称号を与えられています。2006年3月16日永眠。

この記念碑は、2007年5月26日に設立されました。


そしてもうひとつは、JR新橋駅西口にある「乙女と盲導犬の像」です。1969年に建立されました。台座には作詞家、脚本家の川内康範氏による詩が刻まれています。

夕方なので、帰宅するサラリーマンや、これからどこかで一杯飲んでいこうというのでしょうか、仲間と待ち合わせるサラリーマンなど、日常の風景が広がっています。その片隅に乙女と盲導犬の像はありました。

この像を出発点として盲導犬のパレードや募金活動が行われたそうで、盲導犬理解が広がる拠点になったところだそうです。

当時、盲導犬として活躍していたのがジャーマンシェパードだったから、この像になりましたが、今は、主にゴールデンレトリバーが活躍しているそうです。


どちらも現代的な犬の像ですが、先日の「唐犬 八之塚」のように、何百年単位で考えれば、これも同じような愛犬の供養塔、慰霊碑となり、ずっとこれからも誰かの目に留まり、記憶に残ることでしょう。

昔の人たちが供養塔、慰霊碑を建てようと思った動機は同じ様なものだと思うし、彼らの気持ちを理解するためにも、これはぜひ取り上げなければと思う次第です。
 
 
 
 
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2016/05/17

【犬狼物語 其の十三】 東京都墨田区 動物供養で有名な回向院の「は組新吉の八之塚」

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今日は、回向院の「唐犬 八之塚」です。どちらもワンコの名前は「ハチ」です。

昨日も書いたとおり、忠犬ハチ公の話は日本人には有名ですが、犬についていろいろ調べている中で知った「唐犬 八之塚」を探して訪ねました。

回向院がペット供養をやっているという話はなんとなく知っていましたが、境内には、「猫塚」、「オットセイ供養塔」、義太夫協会の「犬猫供養塔」、「小鳥供養塔」など、さまざまな動物の慰霊碑、供養碑があります。

江戸の「振袖火事」で亡くなった身元のわからない人々、身寄りのない人々を手厚く葬るために「万人塚」を設けたのが回向院ができたきっかけで、「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」が理念だそうです。

境内の馬頭観世音菩薩像が安置されている馬頭堂がペットの納骨堂にもなっています。お堂の前には犬の像のある献花台、周りには、数えきれないほどの卒塔婆があって、半分は愛犬、半分は愛猫ですが、中には兎、鳥、モルモットもありました。

さて、目的の「唐犬 八之塚」ですが、なかなか見つかりません。それでお堂の献花を取り換えていた女性に聞いたら、いっしょに探してくれるというので、探したら、鼠小僧次郎吉の墓の裏側にひっそりとありました。

塚は、高さ74cmくらいの石で「唐犬 八之塚」という文字や犬の像が刻んであります。「唐犬」とある通り、耳は垂れていて、和犬の姿とは違っていました。左下「施主 は組新吉」とあります。慶応二年(1866)のものです。

北海道の小樽には「消防犬ぶん公像」というのがありましたが、町火消 「は組」の新吉が飼っていた八も、「消防犬」だったのでしょうか。

それにしても、文字や絵の彫が浅く、所々剥奪しているので、ちょっと見では、これが犬の塚だとは気が付かれないかもしれません。さっき通り過ぎた時も、目には入ったはずですが、(しかもネットで前もって見ていたはずなのに)、通り過ぎてしまったくらいです。

小佐々学氏「日本愛犬史」によると、グレイハウンドやマスチィフに似た大型の洋犬の姿が彫られていることが判明したそうです。「大型で珍しい洋犬を引き連れて,胸を張って誇らしげに幕末の江戸市中を歩く新吉の姿が想い浮かぶのは筆者だけではなかろう」と言っています。

ところで、塚をいっしょに探してくれた女性の話は興味深いものがありました。

回向院では、もしペットが亡くなった時、火葬してお経も上げてもらえるという。誰でも受け入れてくれるそうです。

「最近の飼い主さんはずいぶん様変わりしましたよ」
「どういうふうにですか?」
「ただ可愛い可愛いだけの飼い主さんが増えてきたような気がしますねぇ」

彼女の言わんとしていることはわかる気がしました。犬を「愛玩動物」というより「愛玩道具」だと感じているのでは?と思える人も、確かにいます。

「人と犬はお互い、持ちつ持たれつで、ただ可愛い可愛いというだけのペットではないと思います」とのこと。

それと面白い話を聞きました。

「犬の飼い主は丁寧にお参りしていくんですが、猫の飼い主は意外にあっさりとお参りを済ませて帰ってしまう人が多いですね」
「それって、犬と猫の性格そのものですね?」
「そうなんですよ」

飼い主の性格と、動物の性格が似ているという話はよく聞きますが、お参りの様子にも現れていることに気が付くというのは、さすがここで長年働いている人だなと、妙に感心しました。
 
 
 
 
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2016/05/15

【犬狼物語 其の十一】 東京都渋谷区 都会の中の異界、宮益御嶽神社

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何だか、お犬様を求めて旅をするようになったら、時代が50年ほど昔に戻ったような、不思議な感覚に陥る機会が多くなったような気がします。

秩父地方そのものが、一つの小宇宙だったということがあって、古い文化が残ってきたのはわかりやすいのですが、まさか大都会のど真ん中、渋谷駅の近くにこういう空間があると、とても驚くのです。

渋谷駅を出て、宮益坂を上り始めるとすぐ、ビルの間に続く階段が現れます。そこへ入り込むと、突然静かになります。

表通りはあんなにも人がたくさん行き来しているのに、こちらへ入ってくる人はいません。いや、ほとんどの人はここに神社があることさえ気が付きもしないのです。俺も何度もここを通っていますが、階段に気が付いたのは初めてです。

そのギャップ。これも都会の神社ならではでしょう。

鳥居と碑があるので、神社がこの先にあるんだろうなと想像できるのですが、ビルへ飲み込まれていきそうな階段が、どこか異界へ迷い込む道のようでもあり、少し不安感をあおります。

これも神域へ入っていく舞台装置としては、都会的で面白いかなと思うのですが。

しばらく上ると、二の鳥居が現れ、その下にお犬様の狛犬が見えました。これは偶然なのか、計算された演出なのか。

上り切ったところはビルに囲まれた宮益御嶽神社の境内になっていて、美しいジャリ石が敷かれています。

拝殿の手前にある狛犬はブロンズ製で、新しいように見えます。元々の狛犬像は、江戸時代の延宝年間の作品だそうですが損傷が激しいので社務所で保管し、これは原形をモデルにして製作されたブロンズ製なのだそうです。

社務所では、お犬様のお札と、御朱印をいただきました。お札は少しだけ凹凸があったので、もしかしてと思い、「これは手刷りですか?」と聞いたら、「そうです」というではないですか。

今では、お犬様のお札は印刷が増えてきたということは、秩父の神社でも聞いていたので、こんな大都会の真ん中の神社で、手刷りのお札を出していること自体、とても驚きました、でも、考えてみると、「手刷り」の価値が見直されていることを考えれば、むしろ先進的な都会の神社で出していることは、ある意味必然のようにも思いますが。

お札を定期的に替える行事や祭りはありますか?」と聞いたら、「そういうのはないです。みなさん自由に求められて、替えているのではないでしょうか」ということでした。さすがにここで「オイヌゲエ」はありませんでした。昔はどうだったかわかりませんが。

御朱印の方にも一対の黒いお犬様が描かれています。
 
 
 
 
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2016/05/14

【犬狼物語 其の十】 東京都大田区北嶺町 御嶽神社のお犬様札

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ヴィーノを連れた日本一周の旅で、全国には犬にまつわる、犬に関連する観光ポイントがたくさんあることを知りました。それでいつかはそれを拾い集めるような旅をしたいと考えてきましたが、今年に入ってからようやく本格的にスタートしました。

これを仮に【犬狼物語】としておきます。

カテゴリーとしては、「犬の付く地名」、「犬の像(供養塔や墓など)」、そして「お犬様の神社」。「百景」というくらいなので、100ヵ所くらいは集めたいですね。

「お犬様」は厳密に言えば犬ではなくて、オオカミではあるのですが、「お犬様」と呼んでいることじたいが日本的でもあるし、一応、【犬狼物語】に含めてみたいと思います。何しろ、お犬様のお札が大変気に入ってしまい、【犬狼物語】から外すのが忍びないという個人的な思いもあるからです。


さて、お犬様の神社は、東京都内にもあって、今日は、大田区の御嶽神社へ行ってきました。

池上線の「御嶽山」の駅を出ると商店街になっています。それを抜けるとすぐ見えてきます。

明日5月15日は「五月祭」という祭りだそうで、境内でも地面の区割りや新しいしめ縄の準備をしていました。

立派な神社で、拝殿の前には、一対の「お犬様(オオカミ)」の狛犬。左右どちらも、口に何かくわえた姿です。左は棒状のもの、右は筒状のもの。でも、どちらも折れてしまっているようで、原型はわかりません。

社務所ではお犬札をいただきました。お札を替える秩父の「お犬替え(オイヌゲエ)」のようなものはないとのことでした。

本殿の背後には「霊神の杜」が広がっています。約30基の霊神碑群と潜在自然植生のもとに植樹した木々が神秘的な杜です。なお、霊神碑群は木曽御嶽山の形状をモチーフに並べられているそうです。

明日の「五月祭」では境内でフリーマーケットも開かれるようです。それから餅つき大会や、木曽観光ブースと物産展、模擬店など、楽しいイベントがたくさんあるようです。
 
 
 
 
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2016/05/12

犬がお伊勢参りをした話は本当か? 仁科邦男著 『犬の伊勢参り』

160922_8(伊勢神宮おかげ横丁で手に入れた「おかげ犬」)

160512_2(金刀比羅宮のお土産「こんぴら狗」)

160512(お伊勢参りしたという犬の供養碑。群馬県長野原町の「犬塚」)

160529_2(福島県須賀川のお伊勢参りをした犬「シロ」)

160611_2_2(宮城県栗原市で発見されたお伊勢参りの参宮犬石碑)

160914_3(山梨県上野原市のお伊勢参りをした犬の碑)


ワンコがひとりでお伊勢参りをして、飼い主のもとへ戻った話、などと聞くと、「何をバカな」とか「ありえないでしょ」とすぐ思ってしまうのは、現代人の悪い癖なのかもしれません。

司馬遼太郎氏も『街道をゆく』の中で、このお伊勢参りの犬の話は、御師(神宮関係者)の作り話だと断定して、信じていません。

俺もヴィーノを連れて日本一周したとき立ち寄った香川県の金刀比羅宮で、お参りをしたという犬「こんぴら狗」の話を聞いたとき、最初はフィクションなんだろうと思いました。

この仁科邦男氏の 『犬の伊勢参り』(平凡社)を読むと、こんぴら参りをした犬も、伊勢参りをした犬も、話自体は本当なんだなとわかってきます。もちろん犬の意志ではありませんが。

また、谷口研語氏の『犬の日本史』では、

「お伊勢参り犬の話は、幕末の多くの書物に書かれており、名札などの遺物もあちこちにのこされているようである。『耳囊』には安芸(広島県)から伊勢参宮をした豚の話までおさめられているが、「犬に伊勢参宮のこと毎々聞きおよびしが、豚の参宮は珍しきことと、ここに記す」とある。」

豚のお伊勢参りまであったというのは驚きですが、犬の伊勢参りは珍しくなかったというだけでも、現代人には十分に驚きです。

それと、歌川広重の描いた『伊勢参宮・宮川の渡し』の左下にも、しめ縄をした白い犬「おかげ犬」が描かれています。

いたことはいたらしいのです。こういう奇特な犬が。まったくのフィクションではないようです。ただ、具体的にどれくらいの犬数か、とか、割合となるとわからないようです。

『犬の伊勢参り』によると、最初の犬の伊勢参りは、明和八年(1771年)四月十六日、山城国の高田善兵衛の犬が外宮、内宮に参拝したという記録が残っているそうです。245年前の話です。

伊勢神宮は犬は不浄な動物で、犬が宮中に立ち入るのを禁止していましたが、それをかいくぐって、本宮前の広場で拝礼の姿勢を取った。それを見て、神官たちはこれは普通の犬ではないと、犬をいたわり御祓をくくりつけてあげたらしい。次の内宮でも拝礼したので、追い出すわけにはいかなくなったという。

「拝礼の姿勢」とは、ようするに「伏せの姿勢」だったのでしょうが、この話の本質は、ここではありません。大事なのは、その犬が道中いろんな人たちに助けられてお伊勢参りをしてから飼い主のところへ戻ったというのがすごいところでもあるし、日本的なのです。

犬は殺されることもなく、お布施を盗まれるどころか、重いだろうからと、代わりに持ってあげた人もいたそうです。

この話を聞くと、当時の日本人の旅する犬に接する姿がありありと想像でき、街道の様子まで見えるような気がしてきます。なんだかほのぼのとして、ユーモアもあって、面白いですね。俺はこういう話、好きですね。

「犬の伊勢参りは人の心の生み出した産物でもあった」と著者は言います。例えが適切かどうかわかりませんが、「こっくりさん」と似ているのでしょうか。みんなの意識・無意識の願望や希望が犬を導いたということらしい。

犬が伊勢神宮の方を向いて歩いていれば、「参拝に行くのに違いない。感心な犬だ」と思い、また札には飼い主の住所も書いてあったから、いろんな人の世話によって、飼い主のもとへ導かれた。犬がどこかへ行きそうになると、そっちじゃないと、道案内までしたそうなので、結果的に犬は参拝して、飼い主のところに帰ることができたのです。

今でもそんな傾向がありますが、日本人の親切心は、当事者の意思とは関係ない方向へと導いてしまうこともあります。犬の意志とはあまり関係ないかもしれません。

ただ、自発的にお伊勢参りをした犬の話もあって、「こっくりさん」だけでは説明できない「不思議」な話はたくさんあるんですね。

とにかく、「こんぴら狗」の話といい、お伊勢参りの犬の話といい、素朴な人たちがいた時代だったんだなぁと思います。

明治になってお伊勢参りの犬がいなくなったのは、それまで日本では地域で飼っていた「地域犬」が一般的でしたが、文明開化で西洋の考えが入ってくると、犬は個人が管理するものというふうになってきて、「地域犬」のように自由な犬が一掃されてしまったから、ということも理由としてあるらしいのです。

犬の習性でもあるのですが、何かのタイミングで人といっしょに歩き始めることがあります。人も楽しいし、犬も楽しい。WIN-WINの関係です。アジアの犬はいまだに多くの地域犬がいるので、それがよくわかります。

ところが日本ではもう自由勝手に歩く犬は見られません。なので、今の日本人は犬の習性を知らなくなっているということはあるでしょう。だから結構、こういった「人と歩く犬」や「人を案内する犬」について、疑り深い人も出てくるんだろうなと思います。
 
 
 
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日本全国の犬像を訪ね歩いた『全国の犬像をめぐる:忠犬物語45話』(2017年4月)、『犬像をたずね歩く:あんな犬、こんな犬32話』(2018年8月 ともに青弓社)が出版されました。伊勢神宮や金毘羅大権現に参拝した代参犬、「おかげ犬」や「こんぴら狗」についても書いています。

全国の犬像をめぐる

犬像をたずね歩く

 
   
  
  
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2016/05/10

榛名山の水仙の前でヴィーノの記念写真

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ゴールデンウィークも終わりましたが、今年は妻とヴィーノと久しぶりの車中泊の旅でした。日本一周したのは、もう数年前のことです。

ヴィーノはあのとき2歳の青年でしたが、いまや8歳のオッサンになって、お腹周りがぷっくらとしてきたのは人間と同じですね。

それでも相変わらず坂道は一心不乱に上るし、リードは引っ張るし、若いころと性格は変わっていません。ただ、とつぜん「疲れていること」に気が付くんですね。そしてパタッと寝ます。

「どうして坂を上るの?」

と聞けば、きっと

「そこに坂があるから」

と答えるに違いありません。

無目的に行動するって、うらやましいですね。人間には難しいですから。

人間はどうしても、「×××するため」とか「こうしたら×××できる」とか考えてしまいます。

ところで、日本一周へ出かける前、練習を兼ねて、秩父の道の駅「龍勢会館」に泊まったのですが、そのときパトカーが来て職務質問されたことを思い出しました。なんと、今回も、同じようにパトカーが来たからです。

でも、奥さんと犬連れで、まずいこともしないだろうと思ったのか、そのまま通り過ぎていきました。

秩父地方の「オイヌゲエ」や群馬県の「犬塚」をまわりましたが、途中、さわやかな空気の榛名山は良かったですね。水仙が満開でした。
 
 
 
 
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2016/05/09

イヌの家畜化、発祥の地は中央アジアか?

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イヌが初めて家畜化されたのは、中央アジアあたりらしいという研究発表がありました。米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に発表された研究論文です。

http://www.afpbb.com/articles/-/3063617

これまでも一部の考古学者の間では、中央アジアがイヌの家畜化の発祥地だろうと考えられていましたが、遺伝学的な研究は今回が初めてらしい。長年の謎の解明に一歩近づいた感じです。

論文によると、遺伝子の分析結果は「イヌが中央アジア、現在のネパールとモンゴルのあたりで家畜化された可能性が高いことを示唆している」というものです。

「ネパールとモンゴル」とあるので、2ヶ所、という意味なのか、それとも、チベット高原とその周辺地域という意味なのか、どちらかはわかりません。

でも、俺が犬に咬まれて犬恐怖症になったのは、まさにこのあたり。チベット高原のモンゴル寄りの場所です。

今でもチベット犬は獰猛で、本当に咬まれます。よそ者だから、ではありません。地元の人たちも、犬にはよく吠えられるし、苦労しています。だから撃退法もいろいろあります。

甘粛省のある草原のチベット人天幕住居を訪ねたときの体験は強烈なものでした。

3匹の大型のチベット犬が俺の前後を挟みうちにし、ワンワン吠え立てたのです。何もしなければ大丈夫だと言われていたので、それを信じて、手を合わせ、天を仰ぎ、はやく退散してくれーッと祈るようなポーズで目をつぶって待ちました。

ところが、右くるぶしに衝撃を感じたのです。なんと、後ろにいた犬が俺の右足のくるぶしに噛み付いたのでした。俺はとっさにまたやられると思い、ワーワーと騒いでしまったのです。それでますます犬たちは獰猛な牙をむいて威嚇しました。もう終わりだーッと思いました。

騒ぎを聞きつけて、近くの天幕住居から女の子が出てきました。女の子は、石をくくりつけた紐を持って、それを自分の頭上で回しながらやってきました。まるでヘリコプターのようです。こうすると犬は近づかないようです。

驚きました。自分の犬なのに、こんな自衛手段を取らないと、近づけないくらい獰猛な犬なのか?と思いました。

女の子は俺のところまで来て、ようやく犬を追い払ってくれました。 

チベット犬、恐るべし。

オオカミからようやく家畜化された時代、そのままの状態が続いているように見えてきます。

チベット高原で家畜化され、それが同心円状に伝播していくなかで、オオカミではなく、より「イヌらしい性格」になっていったというストーリーはわかりやすいとも言えます。「発祥の地には、古いものが残る」ということと矛盾しないからです。

まぁこのあたり、科学的な根拠なしで言っていることなので、話半分で聞いてください。俺には上記のような体験があるので、妙に今回の研究結果が信ぴょう性があるなぁと思ったしだいです。
 
 
 
 
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2016/05/08

【犬狼物語 其の九】 群馬県長野原町の「犬塚の跡碑」

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ここ何日か、犬の話題が続きます。

犬の民俗文化と言ったらいいか、「オイヌゲエ」などの行事に、自然との関係性を大切にしてきたことを見ることができる、という話です。

そもそも犬や猫などのペットというのは、「自然への窓口」、「身近な自然」という面もありますね。とくに都会に住んでいる飼い主にとっては。俺たちの暮らしが都会化すればするほど、ペットは多くなっていくのかもしれません。

ところで、自然との関係性を知ることができるものに、供養塔や供養碑もあります。魚の供養祭が築地市場で行われていることは昨日も書きました。「供養」には、殺すことや、食べることの罪悪感を薄める「装置」という意味もあると指摘されています。(長野浩典著『生類供養と日本人』参照)

群馬県長野原町に「犬塚峠」というところがあります。ヴィーノを連れて行ってきました。

国道145号線のバイパスが交差する「大津」という交差点で、ゴールデンウィークでもあり、交通量がめちゃくちゃ多い一角に「犬塚の跡碑」の犬の像がありました。

犬の像は、まだ若い和犬のようですが、首から紐をかけて、左側に垂らし、細長い札のようなものを下げているようです。

像の右隣には「建碑由来」というのも建っていました。それを読むと、この犬の話はずいぶん昔の話だと分かりました。350年も前の話だったのです。

内容をごく簡単に要約すると、

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昔、村にどこからともなく迷い犬がやってきた。この村にいついた犬は、地域犬として暮らすことになった。あるとき姿が見えなくなった。2ヶ月以上すぎたころ、突然犬は村に舞い戻った。「天照皇大神の大麻札」を背負っていた。村人は、犬が伊勢参宮をしたのだと信じた。それからこの「天照皇大神の大麻札」を村の丘の上に祀って崇め拝むことを怠らなかった。その犬はますます村人から愛されたが、何年か後死んだ。その亡がらを葬ったのが犬塚である。

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「建碑由来」には、平成5年9月とあるので、この像自体は23年前に建てられたということでしょうか。これが建てられる前も、何かはあったと思いますが。

そして気になったのは犬の名前が記されていないことです。「飼い犬」か「野良犬」かの境は、名前を付けられているか、いないか、というのがひとつ指標になるからです。(アジア各国での俺の体験から) ただ、「地域犬(里犬)」は微妙で、付けられていなかったとしてもおかしくないかもしれませんが。

江戸時代は、金毘羅参りや伊勢参りがブームになりました。そしてなんと、「こんぴら狗」という犬がいました。

飼い主の代わりに金毘羅参りをしたのが「こんぴら狗」。伊勢参りをした犬もいたそうです。

「金毘羅参り」の袋に、飼い主を記した木札、初穂料(お賽銭)、道中の食費を入れて、旅人に飼い犬を託しました。無事、お参りを済ませた犬は、ふたたび旅をして家族のもとへ帰っていったというのです。

これを「代参」と言いますが、この「犬塚」の犬も村人の代わりに「代参」に行ってくれたということなのでしょう。

犬がお参りしてきたお札を、今も祭っている祠があり、そして愛された犬は、丁重に葬られて、犬塚を作ったというのはすごくないですか。

2010年、宮崎県の口蹄疫の発生では多くの牛が殺処分され、現地では牛の供養碑が建てられました。311の震災後、原発の放射能問題で、牛を手放さざるをえなかった酪農家の人たちも、家族同様の牛と離れるとき涙を流していました。

幕末に宣教師がきて日本人に説教したらしい。

「人間は神が造った最高の被造物である」と。

すると日本人たちは「どうして人間が一番偉いのか?」と聞き返したそうです。動物も家族の一員であり、人間と動物とを区別し、「人間が上に立って動物を支配するのは当然」といった西洋とは考え方が違っていたのです。

動物はもちろんですが「針供養」、「人形供養」さえある国です。だから犬ならなおさらのこと。人間と同じように丁重に供養されたということでしょう。
 
 
  
 
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2016/05/07

【犬狼物語 其の四~八】 秩父地方の、お犬様の札を替える行事「オイヌゲエ」

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4月上旬から始まって、このゴールデンウィークで、今年の秩父地方の「オイヌゲエ」のシーズンは終わりました。

俺たちもヴィーノを連れて、いくつかの「オイヌゲエ」を周りました。

5月3日には城峯神社(秩父市)と八日見龍頭神社、5月5日には城峯神社(神川町)と両神御嶽神社。

それと、オイヌゲエが先月18日に終わっていた両神神社のお札だけは、隣の両神山荘で譲ってくれるというので、管理人さんに頼んで譲ってもらいました。

オイヌゲエに関わる神社の狛犬は、お犬様の像ですが、中には、どう見てもオオカミではなくて、本当に犬のように見える狛犬もありました。

それぞれ、お札にも特徴があって面白いですが、その神社での物語がまた良かったのです。歴史を感じさせる使い込まれてすり減った版木の数々や、神社のロケーションと宮司さんのおもてなしには感動しました。

こんなところがまだ東京に近い関東圏に残っていること自体、奇跡と言えるほどで、もしかしたら、二ホンオオカミの目撃情報は、本当かもしれないなどと思ったくらいです。

宮崎駿監督の『もののけ姫』にもオオカミが登場します。白く大きな三百歳の犬神、モロの君。もののけ姫のサンがモロの君に育てられたという設定です。

日本ではオオカミは絶滅してしまいました。森のカミが消える(カミを殺す)ということの意味は、文字通りオオカミを殺すこと以上に、自然との関係性を断つものなのだなぁとあたらめて思うのです。

宮司さんが出してくれたおいしい山菜料理の数々は、どれもが山に自然に生えていたものだそうで、山に暮らす人たちが、山から恵みを受けてきた確かな証です。その感謝の表現としてお犬様(オオカミ)信仰があるというふうに見えてきます。

だから「オイヌゲエ」が古臭い行事なのではなくて、むしろ現代人には必要な行事なのかもしれないのです。もちろん、形としてはこのまま続いていかないと思うので、現代的なアレンジは必要だとは思いますが。

オオカミに育てられたもののけ姫のサンは、自然と人間の橋渡しをする立場でもあります。「オイヌゲエ」も、自然と人間の関係性を象徴するものではないでしょうか。

ちょうどこの前、築地市場では魚の供養祭が行われていることを知りました。これもまた日本人の、自然との関係性が垣間見えるものなのかなと思います。

日本人は、人間だけ独立して存在するのではなく、森や海やオオカミや犬や魚など、草木虫魚、あらゆる自然との関係性を大切にしてきたのではなかったでしょうか。
 
 
 
 
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2016/05/05

今日は、二十四節気「立夏」、七十二候「蛙始鳴(かわずはじめてなく)」

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今日は、二十四節気「立夏」、七十二候「蛙始鳴(かわずはじめてなく)」

春になると田んぼでは雄のカエルが鳴き始めます。鳴き声は、雌に対する求愛、他の雄に対するなわばり主張の両方の意味があるらしい。

カエルは降雨を予報し害虫も食べるので、田の神の使いと考えて、信仰の対象にしているところもあります。稲作とカエルは切っても切れない深いつながりがあるようです。


「立夏」の七十二候は以下の通りです。

初候: 蛙始鳴(かえるはじめてなく 蛙が鳴き始める)

次候: 蚯蚓出(きゅういんいずる 蚯蚓が地上に這出る)

末候: 竹笋生(ちくかんしょうず 筍が生えて来る)
 
 
 
 
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2016/05/02

パスポートの要らない外国旅行 (西川口の巻 2)

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義理の妹夫婦が西川口に住んでいて、かなりディープな中国料理店に連れて行ってもらった話は、以前こちらに書きましたが、今回は、あれ以上のすごい店がありました。

客のほとんどは外国(中国)人です。日本語メニューもありますが、ほとんど中国語が主で、店員さんも日本語が流暢ではありません。

まるでパスポートの要らない中国旅行をしているようで、久しぶりで俺も中国語をしゃべることができて、テンションが上がりっぱなしでした。

店の名前は「小城」です。西川口駅の北側の古いビルの1階にあります。

基本、中国東北地方の料理ですが、なんといってもお勧めは、「カオヤンロウ(烤羊肉)」です。羊の焼肉ですが、「ジンギスカン」などと呼ぶ甘っちょろい日本料理とは違って、まさに、「肉を食らう」という表現がふさわしい野性味あふれる焼肉です。

前足、後足など、部位によって値段が違います。

●烤羊腿(前腿): 前足 3800円
●烤羊腿(後腿): 後足 4800円
●烤羊排: スペアリブ 3800円

俺たちは「カオヤンパイ(烤羊排 スペアリブ)」を注文しました。肉は切ってもらいました。(「切らないで」と注文すれば丸焼きでも提供可だそうです)

それで出てきたのが写真(↑)の大皿です。この盛り方も中国的で圧倒されました。5人で食べてもお腹いっぱいなるくらいの量がありました。

この肉と骨の塊を炭火で焼いて、トウガラシ、クミン、炒り塩?(何かよくわからない)の3種を混ぜたものを付けて食べるわけですが、この食べ方の豪快さと相まって、大陸風の匂いと味が口の中から脳天に突き抜けてゆきます。

日本人客が来た時のためでしょうか、「ジンギスカンのたれ」も用意してあります。市販のボトルをテーブルに置いてくれましたが俺は使わず、とくにクミンを付けて食べるのは相性抜群だし、現地ふうでもあるし、一番おいしく感じました。

他に、サラダや、ピータンや、羊肉炒めなど頼みましたが、どれも美味しく、しかも値段も安めなので、大満足です。ビールもおいしく飲みながら外国旅行の話で盛り上がるのは最高です。

最後に店員さんに「この羊肉はどこの? 中国産?」と聞いたら、

「シンシラン」

との答え。予想を外されて、少しショックが。いやいいんです。考えてみれば当然のことです。中国産の羊肉が簡単に手に入るとも思わないので許します。「シンシラン」とは「新西兰(ニュージーランド)」のことです。

ビル奥のトイレや廊下もインパクトありました。はっきり言って、あそこは日本じゃないです。

体中から羊の匂いが出ているのを自分たちでも感じながら駅の方に歩き、妹夫婦のマンションに戻りました。

新大久保も好きな街ですが、日本人客が多くなると、どうしても「日本化」が進み、本来持っている癖や粗っぽさや野性味が失われていくのはちょっと不満だったのですが、西川口は、まだ何があるかわからない面白さがあります。
 
 
 
 
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2016/05/01

映画 『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』 を観て

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ロサンゼルス映画批評家協会賞、イギリスのインディペンデント映画賞などで称賛されたスティーヴン・ナイト監督・脚本による2013年公開の異色のサスペンス映画です。

あらすじをWikiから引用すると、

「バーミンガムで建設工事の現場監督を務めるアイヴァン・ロックは、7か月前に一夜限りの関係を持った同僚のベッサンが早期分娩の危機にあることを知る。翌日にはコンクリートの大量搬入が予定され、自宅では妻と息子たちがサッカー観戦のために彼の帰宅を待ちわびているが、ベッサンの出産に立ち会うため、ロックはロンドンへ向かう。子供の頃に父に見捨てられ、いまだに父を許していないロックは、自分は父と同じ過ちを犯すまい、と心に決めている。」(Wiki参照)

ロックは、自分の行動が、まわりを不幸にするのを知りつつも、良心に従った「善き心」をまっとうする主人公です。

日本人ならこうはいきません。仕事を優先してしまうでしょう。仕事を終わらせてから、翌日、浮気相手(ベッサン)が赤ちゃんを出産する病院へ駆けつけるのではないでしょうか。

しかしロックは違いました。明日朝からの仕事を放棄してまで、つまりクビになってもいいからと、行動してしまいます。

途中何度か、すでに亡くなっているらしい父親の幻視と話すシーンがあります。自分は父親とは違うんだと言っているところを見ると、これは「父親殺し」の物語でもあるのかもしれません。

父親に見捨てられた主人公は、未だに父親が許せません。だからその父親を殺す(超える)必要があったようです。赤ちゃんを認知し、見捨てないのが、父親を超えることになると考えているようです。

浮気をしたことを妻に懺悔し、許しを請おうとします。実際、浮気相手はまさに今、赤ちゃんを産もうとしているわけですが、彼は、けっして浮気相手を愛しているわけではないのです。ただ赤ちゃんが生まれる責任は自分にあるから、その責任を果たす、決着をつけるためにロンドンの病院に車を走らせているのです。

つまり彼の行動は、まったく「自分」のためなのです。浮気相手のためでもないし、生まれてくる赤ちゃんのためでもないし、ましてや妻のためでもありません。自分のためです。

そういう意味では、このあたり典型的なヨーロッパ人と言えるのか、キリスト教徒らしいと言えるのか、あるいは自我が強すぎる男なのかわかりませんが、日本人にはできない行動かもしれないですね。日本人には、非常に自己中心的に見えるのですが、「神」対「私」の関係を重視するとこうなってしまうのかと。

それにしても、映画に出てくるのは主人公ロックひとりだけで、あとの登場人物は電話の声だけです。しかも画面は車内とハイウェイの様子だけ。でも、なぜか飽きさせない。

車のヘッドライトや街灯の動きや、窓ガラスに反射したりぼかした色彩の、なんとも言えない美しさが、画面の単調さを救っていて、監督はただならない才能の持ち主だなと感心します。

特異と言えば特異なスタイルの映画です。斬新です。癖のある映画なので、好き嫌いははっきり分かれるでしょうが。
 
 
 
 
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