【犬狼物語 其の十九】 千葉県匝瑳市 円静寺の「愛犬之墓」と芭蕉の句碑
千葉県匝瑳市にある円静寺の「愛犬之墓」を探しに行きました。
匝瑳市のHPの「円静寺の忠犬」(原話 八日市場の歴史と民俗)には、こんな話が載っています。(HPから抜粋)
「円静寺のお坊さんはとてもりこうな犬を可愛がっていた。毎日のように散歩や檀家回りに連れて歩いた。ある年、お坊さんが病気にかかり寝込んでしまった。お坊さんは手紙を江戸まで届けるよう犬に頼んだ。りこうな犬は、言いつけどおりに江戸へ出かけていった。帰り道、大雨にあい、やっとの思いでお寺にたどり着いた。それから何日もしないうちに、犬は高い熱を出して、食べるものも食べず苦しそうな毎日を送っていた。村人の手厚い看病の甲斐もなく、とうとう死んでしまった。お坊さんと村人は、この忠実な犬をねんごろに弔った」
義犬(忠犬)の話ですね。伊勢参りした犬とは違いますが、江戸に行って帰ってきたというあたり、伊勢参りの犬と似ていなくもないなぁと感じます。何か関係するのでしょうか。
ところで、この円静寺なのですが、寺の場所がわからず、偶然道を尋ねた奥さんから、地元の歴史に詳しい人がいますよと教えられ、その人に電話してくれて、お宅におじゃますることになりました。
その人に案内してもらって「愛犬之墓」に行きました。
実は墓は、その人の家の裏側にあったものを、平成10年ころ、道路を作るとき寺に移したそうなのです。
もともとあった場所には芭蕉の句碑もありました。だから「愛犬之墓」も芭蕉の句碑といっしょにあったのです。
そこには「震松(ゆるぎまつ)」という名木が立っていた場所でもありました。江戸時代には、その人の先祖が木を切ろうとしたら、中から血のような赤いものが出てきたので、切るのをやめて、塔婆を建てたという記録も残っているそうです。
そんな名木も、昭和50年(1980年)、松喰い虫にやられて枯れてしまいました。なので、今は句碑だけです。
「此道に出て涼しさよ松の月 はせを」
とあります。「はせを」は「芭蕉」のこと。「松」とあるので「震松」を詠った句なのでしょうか。
さて、愛犬之墓ですが、円静寺の鐘つき堂のそばにありました。
高さは70cmくらいで、「祐尊者所愛犬之墓」と刻んだ石碑でした。
愛犬の話は600年ほど昔のことですが、後の時代、寛政11年(1799年)に、地元の木下覚寿という人が墓を建てたそうです。そういえば、芭蕉の句碑は寛政12年に建立されているので、ほぼ同じ時期です。
芭蕉はこの墓を見たのでしょうか。愛犬の話を聞いたのかどうか、ちょっと気になります。
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