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2016/05/01

映画 『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』 を観て

160501


ロサンゼルス映画批評家協会賞、イギリスのインディペンデント映画賞などで称賛されたスティーヴン・ナイト監督・脚本による2013年公開の異色のサスペンス映画です。

あらすじをWikiから引用すると、

「バーミンガムで建設工事の現場監督を務めるアイヴァン・ロックは、7か月前に一夜限りの関係を持った同僚のベッサンが早期分娩の危機にあることを知る。翌日にはコンクリートの大量搬入が予定され、自宅では妻と息子たちがサッカー観戦のために彼の帰宅を待ちわびているが、ベッサンの出産に立ち会うため、ロックはロンドンへ向かう。子供の頃に父に見捨てられ、いまだに父を許していないロックは、自分は父と同じ過ちを犯すまい、と心に決めている。」(Wiki参照)

ロックは、自分の行動が、まわりを不幸にするのを知りつつも、良心に従った「善き心」をまっとうする主人公です。

日本人ならこうはいきません。仕事を優先してしまうでしょう。仕事を終わらせてから、翌日、浮気相手(ベッサン)が赤ちゃんを出産する病院へ駆けつけるのではないでしょうか。

しかしロックは違いました。明日朝からの仕事を放棄してまで、つまりクビになってもいいからと、行動してしまいます。

途中何度か、すでに亡くなっているらしい父親の幻視と話すシーンがあります。自分は父親とは違うんだと言っているところを見ると、これは「父親殺し」の物語でもあるのかもしれません。

父親に見捨てられた主人公は、未だに父親が許せません。だからその父親を殺す(超える)必要があったようです。赤ちゃんを認知し、見捨てないのが、父親を超えることになると考えているようです。

浮気をしたことを妻に懺悔し、許しを請おうとします。実際、浮気相手はまさに今、赤ちゃんを産もうとしているわけですが、彼は、けっして浮気相手を愛しているわけではないのです。ただ赤ちゃんが生まれる責任は自分にあるから、その責任を果たす、決着をつけるためにロンドンの病院に車を走らせているのです。

つまり彼の行動は、まったく「自分」のためなのです。浮気相手のためでもないし、生まれてくる赤ちゃんのためでもないし、ましてや妻のためでもありません。自分のためです。

そういう意味では、このあたり典型的なヨーロッパ人と言えるのか、キリスト教徒らしいと言えるのか、あるいは自我が強すぎる男なのかわかりませんが、日本人にはできない行動かもしれないですね。日本人には、非常に自己中心的に見えるのですが、「神」対「私」の関係を重視するとこうなってしまうのかと。

それにしても、映画に出てくるのは主人公ロックひとりだけで、あとの登場人物は電話の声だけです。しかも画面は車内とハイウェイの様子だけ。でも、なぜか飽きさせない。

車のヘッドライトや街灯の動きや、窓ガラスに反射したりぼかした色彩の、なんとも言えない美しさが、画面の単調さを救っていて、監督はただならない才能の持ち主だなと感心します。

特異と言えば特異なスタイルの映画です。斬新です。癖のある映画なので、好き嫌いははっきり分かれるでしょうが。
 
 
 
 
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