« 榛名山の水仙の前でヴィーノの記念写真 | トップページ | 【犬狼物語 其の十】 東京都大田区北嶺町 御嶽神社のお犬様札 »

2016/05/12

犬がお伊勢参りをした話は本当か? 仁科邦男著 『犬の伊勢参り』

160922_8(伊勢神宮おかげ横丁で手に入れた「おかげ犬」)

160512_2(金刀比羅宮のお土産「こんぴら狗」)

160512(お伊勢参りしたという犬の供養碑。群馬県長野原町の「犬塚」)

160529_2(福島県須賀川のお伊勢参りをした犬「シロ」)

160611_2_2(宮城県栗原市で発見されたお伊勢参りの参宮犬石碑)

160914_3(山梨県上野原市のお伊勢参りをした犬の碑)


ワンコがひとりでお伊勢参りをして、飼い主のもとへ戻った話、などと聞くと、「何をバカな」とか「ありえないでしょ」とすぐ思ってしまうのは、現代人の悪い癖なのかもしれません。

司馬遼太郎氏も『街道をゆく』の中で、このお伊勢参りの犬の話は、御師(神宮関係者)の作り話だと断定して、信じていません。

俺もヴィーノを連れて日本一周したとき立ち寄った香川県の金刀比羅宮で、お参りをしたという犬「こんぴら狗」の話を聞いたとき、最初はフィクションなんだろうと思いました。

この仁科邦男氏の 『犬の伊勢参り』(平凡社)を読むと、こんぴら参りをした犬も、伊勢参りをした犬も、話自体は本当なんだなとわかってきます。もちろん犬の意志ではありませんが。

また、谷口研語氏の『犬の日本史』では、

「お伊勢参り犬の話は、幕末の多くの書物に書かれており、名札などの遺物もあちこちにのこされているようである。『耳囊』には安芸(広島県)から伊勢参宮をした豚の話までおさめられているが、「犬に伊勢参宮のこと毎々聞きおよびしが、豚の参宮は珍しきことと、ここに記す」とある。」

豚のお伊勢参りまであったというのは驚きですが、犬の伊勢参りは珍しくなかったというだけでも、現代人には十分に驚きです。

それと、歌川広重の描いた『伊勢参宮・宮川の渡し』の左下にも、しめ縄をした白い犬「おかげ犬」が描かれています。

いたことはいたらしいのです。こういう奇特な犬が。まったくのフィクションではないようです。ただ、具体的にどれくらいの犬数か、とか、割合となるとわからないようです。

『犬の伊勢参り』によると、最初の犬の伊勢参りは、明和八年(1771年)四月十六日、山城国の高田善兵衛の犬が外宮、内宮に参拝したという記録が残っているそうです。245年前の話です。

伊勢神宮は犬は不浄な動物で、犬が宮中に立ち入るのを禁止していましたが、それをかいくぐって、本宮前の広場で拝礼の姿勢を取った。それを見て、神官たちはこれは普通の犬ではないと、犬をいたわり御祓をくくりつけてあげたらしい。次の内宮でも拝礼したので、追い出すわけにはいかなくなったという。

「拝礼の姿勢」とは、ようするに「伏せの姿勢」だったのでしょうが、この話の本質は、ここではありません。大事なのは、その犬が道中いろんな人たちに助けられてお伊勢参りをしてから飼い主のところへ戻ったというのがすごいところでもあるし、日本的なのです。

犬は殺されることもなく、お布施を盗まれるどころか、重いだろうからと、代わりに持ってあげた人もいたそうです。

この話を聞くと、当時の日本人の旅する犬に接する姿がありありと想像でき、街道の様子まで見えるような気がしてきます。なんだかほのぼのとして、ユーモアもあって、面白いですね。俺はこういう話、好きですね。

「犬の伊勢参りは人の心の生み出した産物でもあった」と著者は言います。例えが適切かどうかわかりませんが、「こっくりさん」と似ているのでしょうか。みんなの意識・無意識の願望や希望が犬を導いたということらしい。

犬が伊勢神宮の方を向いて歩いていれば、「参拝に行くのに違いない。感心な犬だ」と思い、また札には飼い主の住所も書いてあったから、いろんな人の世話によって、飼い主のもとへ導かれた。犬がどこかへ行きそうになると、そっちじゃないと、道案内までしたそうなので、結果的に犬は参拝して、飼い主のところに帰ることができたのです。

今でもそんな傾向がありますが、日本人の親切心は、当事者の意思とは関係ない方向へと導いてしまうこともあります。犬の意志とはあまり関係ないかもしれません。

ただ、自発的にお伊勢参りをした犬の話もあって、「こっくりさん」だけでは説明できない「不思議」な話はたくさんあるんですね。

とにかく、「こんぴら狗」の話といい、お伊勢参りの犬の話といい、素朴な人たちがいた時代だったんだなぁと思います。

明治になってお伊勢参りの犬がいなくなったのは、それまで日本では地域で飼っていた「地域犬」が一般的でしたが、文明開化で西洋の考えが入ってくると、犬は個人が管理するものというふうになってきて、「地域犬」のように自由な犬が一掃されてしまったから、ということも理由としてあるらしいのです。

犬の習性でもあるのですが、何かのタイミングで人といっしょに歩き始めることがあります。人も楽しいし、犬も楽しい。WIN-WINの関係です。アジアの犬はいまだに多くの地域犬がいるので、それがよくわかります。

ところが日本ではもう自由勝手に歩く犬は見られません。なので、今の日本人は犬の習性を知らなくなっているということはあるでしょう。だから結構、こういった「人と歩く犬」や「人を案内する犬」について、疑り深い人も出てくるんだろうなと思います。
 
 
 
----------------------------- 書籍のPRです ---------------------------

 
日本全国の犬像を訪ね歩いた『全国の犬像をめぐる:忠犬物語45話』(2017年4月)、『犬像をたずね歩く:あんな犬、こんな犬32話』(2018年8月 ともに青弓社)が出版されました。伊勢神宮や金毘羅大権現に参拝した代参犬、「おかげ犬」や「こんぴら狗」についても書いています。

全国の犬像をめぐる

犬像をたずね歩く

 
   
  
  
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

|

« 榛名山の水仙の前でヴィーノの記念写真 | トップページ | 【犬狼物語 其の十】 東京都大田区北嶺町 御嶽神社のお犬様札 »

コメント

ああああさん

コメント、ありがとうございます。

>なにも全てが全て上手くいった訳ではない。

その通りだと私も思います。

ただ、こんな犬が実際いたらしいというのが面白いと思うところです。(犬だけではなくて豚までも)

投稿: あおやぎ | 2017/09/16 23:34

なにも全てが全て上手くいった訳ではない。

おかげ犬から金奪って殺す輩がたくさんいる話は文献に残っている。
江戸の町方では犬は殺されて食べられるため、ほとんどいないという文献もある。

なにも全てが全て上手くいった訳ではない。

投稿: ああああ | 2017/09/16 20:01

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 榛名山の水仙の前でヴィーノの記念写真 | トップページ | 【犬狼物語 其の十】 東京都大田区北嶺町 御嶽神社のお犬様札 »