2016年初夏の撮影旅(22 最終回) 探求欲と巡礼
今日で、2016年初夏の撮影旅の連載を終わります。
探求欲については以前から気が付いていたことですが、今回ますますその欲が俺は強いんだなぁと自覚しました。
ある犬関連の本に、こんなことが書いてあります。
「犬は探すことが好きだけど、探したとたん、興味を失うことがある」
目的物そのものよりも、探す過程が面白い。たしかにそれもあります。
雲南の少数民族、メコンの源流や河口、世界の棚田、東北お遍路…。今まで取り組んできた旅のテーマをあらためて考えてみると、そこに共通するのは「探す」こと、と言うこともできます。もちろん目的物が興味深いから探そうとする動機が生まれるわけですが。
あるかないかわからないものが「あった!」と探し当てたときの喜びは何物にも換えられません。犬や人間だけじゃない、動物が本来もっている何かが刺激されるのです。「食欲」「性欲」「権力欲」がありますが、これはさしずめ「探求欲」かな。
そこで、巡礼について考えてみると、日本では、もともと巡礼は修行の一種で、即身成仏を果たすという仏教思想からきていて、ある祈願を持って定まった場所を定まった経路で参拝するというものでした。だから巡礼はある期間が必要です。1日で終わってはいけないのです。
四国八十八ヵ所霊場のような既に定まった場所を巡る巡礼も面白いのですが、雲南の少数民族、メコンの源流や河口、世界の棚田、東北お遍路、そして今回の「忠犬の物語(義犬[忠犬]の像・碑・墓)」など、今まであまり知られていなかったものを探しながら歩くのは、俺にとってはもっと刺激的な「巡礼」と言えるのです。
消えてなくなりそうなものを見つけて、それを手のひらで掬い取るような感覚もあります。宝物探しですね。
しかも巡礼中は、あまり余計なことを考えなくて済みます。「次へ移動する」ことだけ考えること、迷いがないというのは楽なのです。体が自然に動き、考えることが少ないというのは、脳細胞の負荷を減らすことになります。リラックス状態と言ってもいいのかもしれません。
巡礼はこころをリラックスさせ、おまけに探求欲も満たしてくれます。
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