2016年初夏の撮影旅(19) 【犬狼物語 其の三十】 新潟県長岡市 悠久山公園 「白狗の塚」と蒼柴神社
長岡市の悠久山公園に行きました。
駐車場近くの道をさんだ反対側にある高さ1mくらいのこんもりとした小山の上に、目的の「白狗の塚」はありました。
立て看板には、
「貞享(1684-1687)のころ、三代藩主牧野忠辰(ただとき)は中沢の農家から白い犬をもらいうけて愛育していた。参府した主を慕ってこの犬は江戸に行き、ある日、尾張候の唐犬にかみついて傷を負わせた。忠辰がしかったところ、長岡の旧飼い主の家へ戻ってきたが追い出され、ここで息絶えた。のちの人々が、この白犬を義狗と称し、塚をもり、碑をたてた。」
とあります。
なんだか悲しい話です。犬にとっては主人を守ろうとして戦ったのでしょう。その相手が将軍家の親戚の尾張候の犬だなんて、関係ない話ですからね。
ところが主人のためにやったことが、逆に怒られてしまいました。殿様は「長岡に戻っていたらいたわってやれ」といなくなった白犬について家臣に命じ、探しもしたそうです。殿様も自分の立場があるので、白犬を叱ったことは、仕方なかったでしょう。でも内心は心配していたということですね。
その犬が人々に塚を作らせたのもわかるような気がします。この犬の姿に、自分たちの姿も重ね合わせたのかもしれません。自分が仕えている主人から、ときには理不尽な扱いを受けている人もいたでしょう。自分の忠誠心が主人に伝わらないということもあったかもしれません。でも、そんなことを口にできる身分ではなかったのです。
人々のこころの奥底に抱えた問題を白狗の塚で表現していたとも考えられるのではないでしょうか。
それと、哀れな犬に対する同情心や、成仏してほしいと願う気持ちもあったはずです。もっと言えば、「恨まないでね」という気持ちもあったのではないでしょうか。
近くには蒼柴神社があって、かつての殿様、牧野氏を弔った霊廟があります。また1km先には、お城をかたどった長岡市郷土資料館があるというので行ったのですが、その日、月曜日で休館でした。
それで蒼柴神社に引き返し、何か「白狗の塚」について資料がないだろうかと思い聞いてみました。
宮司さんに話を伺うことができました。看板とほぼ同じ内容の話ですが、尾張候の犬とは土佐犬だったという話も伝わっているようです。
「あくまでも伝説ですからね。だからほんとうの話だったかなんて、あまり詮索しても意味がないのではないでしょうか」
俺もそう思います。
伝説や昔話は、それがその形で残っていることで意味があるはずで、内容を科学的に検証してもあまり意味はないのではないでしょうか。むしろ伝説や昔話は地元の人たちの「欲する物語」なのだと思います。
現在、白狗の塚の掃除などの管理は蒼柴神社でやっています。それと、特別供養祭などは行っていないということでした。
ところで、この前の日曜日、神社では赤ちゃんの元気な泣き声を競う「一心泣き相撲」が行われたようです。
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