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2016/08/29

レオナルド・ディカプリオの映画 『レヴェナント 蘇えりし者』は西部劇の進化形

160829_1(根室市 ミズナラの風衝林)

160829_2(札幌市 アイヌ文化交流センター「サッポロピリカコタン」)

160829_3(松前城 シャクシャインの耳を埋めた「耳塚」)


レオナルド・ディカプリオが、ついに悲願のアカデミー賞主演男優賞に輝いた映画『レヴェナント 蘇えりし者』を観ました。音楽は坂本龍一が担当しています。

「レヴェナント(Revenant)」とはどういう意味か調べたら、「帰ってきたもの」「亡霊」などという意味だそうです。

【ここからネタバレ注意】

映像はすばらしいと思うし、とくに熊との格闘シーンはすごかった。それと雪の大自然。朝夕の時間帯だけで撮影した「暗さ」が独特の雰囲気を醸し出しています。これだけでも観る価値はあると思いますが、ストーリー自体は単純で、要するにこれは「西部劇」ですね。

息子ホークを殺された主人公グラスが執念で復讐を果たすというもの。これを「ネタバレ」とも言わないほど、ストーリー展開は予想通りで、結果もその通りになったので「西部劇」という感想になったのですが。

唯一「西部劇」の進化形だと思われる部分は、先住民族、ネイティブ・アメリカンの描き方が、単なる「野蛮人の敵」といった単純なものから、むしろ白人側の蛮行を描いたり、先住民族に人間味を持たせた部分(公平さ)にあると言えるかもしれません。

主人公の立ち位置がまさにこの部分に関わるもので、先住民族、ポーニー族の中で生活をして妻と息子と暮らしていたグラスは、だから白人と先住民族との懸け橋になっている人物なのです。

熊に襲われることを含めて数多くのトラブルに見舞われるグラスですが、その度になんとか生きのびます。驚異的なサバイバル術です。普通の人間なら完全に死んでいたでしょう。

「生」に対する執念はすさまじいものでした。これは「息子を殺されたことへの復讐心」が支えていたのかもしれませんが。「生」に特化した動物に成り切ったグラスの姿は神々しくもあります。

「西部劇」のような単純なストーリーだからこそ、主人公グラスの動物的な美しさが強調されているのかもしれません。

それにしても、いつも映画を観ると、その中の印象的なセリフを思い出すのですが、今回はまず、グラスの息子を殺した裏切者ジョンが言ったセリフを思い出しました。

それは自分がグラスを助けなかった裏切り行為を、「神が決めたことだ」と言うのです。これは自分の行為を正当化するための方便なのでしょうか。とするならば、ジョンも、少しは良心の呵責は感じているということなのでしょう。

「神」は、ずいぶん便利なものなんだなと思います。(皮肉を込めてですが)「神の御意志だ」と思えば、このようにすべての行為も正当化できてしまうんだなと。

そういえば、最後のシーンでも「神」が登場します。今度はグラスが言うセリフです。ジョンと闘ってとどめを刺そうとしたとき、「これは神に任せる」といったことを言い、自分では最後の最期、ジョンを殺さず「神に任せた」のです。結果的にジョンは他の先住民族に殺されてしまうのですが。「神が決めたことだ」と言ったジョンのセリフは、ブーメランのように自分の運命に帰って来たということでもあります。

ところで、この映画の舞台は1820年代初頭のアメリカですが、たぶん北海道でもこんなことが起きていたのではないだろうかと想像しました。先住民族のアイヌと和人の争いです。

舞台が寒いところなので、余計北海道を連想させたのかもしれません。実際1669年6月には、松前藩に対するシャクシャインを中心として起きたアイヌの大規模な蜂起「シャクシャインの戦い」というものもありました。
 
 
 
 
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