【犬狼物語 其の五十二】 奈良県王寺町 達磨寺「聖徳太子の雪丸像」
秋の撮影旅では、途中から、【犬狼物語】シリーズをアップするのをあきらめました。
旅中に写真をアップして、記事を書くのは、時間的に余裕がなくなったからです。ヴィーノの世話もあったし、いろいろ調べてからでないと、正確に書けないので、まずいと判断したからでした。
それで今日から、中断していた【犬狼物語】の残りの犬像たちの紹介を再開しようと思います。(毎日ではありません。不定期になります)
まずは、三重県伊勢市の伊勢参りをしたという代参犬の「おかげ犬」の続きです。
三重県から奈良県王寺町の達磨寺を目指しました。達磨寺は町役場を南へ500mくらいいったところにありました。
ここには、聖徳太子の愛犬だったといわれる「雪丸塚」があります。
門をくぐって中に入ると、本堂を正面に見て、右側に鐘つき堂があり、左側に小さい池があります。この池の奥に、雪丸塚はありました。並びには何かの碑と「片岡八郎公(17代)の墓」もあります。
石造の雪丸像は、丸っこくてかわいい姿で、愛嬌があります。前掛けをしています。お座りをしている姿で、デフォルメされた像ですが、けっこう現代的なデザインです。古さを感じさせないので、初め、最近作ったのでは?と疑ったくらいです。
「聖徳太子の愛犬雪丸像も町文化財に」という朝日新聞によると、
「雪丸は、江戸時代末から明治時代初めごろの作成と考えられる古文書「達磨寺略記」に、聖徳太子の愛犬で、人の言葉が理解できてお経を読んだ、という記録がある。像は1791(寛政3)年出版の「大和名所図会」にも登場。花崗岩(かこうがん)製で、江戸時代に作られたとされる。台座と合わせた高さは65センチ。」
とあります。
また産経新聞によると、
「江戸時代には「雪丸像が元日に鳴くとその年は豊作になる」との言い伝えがあった」
そうです。
雪丸像が江戸時代に作られたというのはちょっと驚きです。この像がそんなに古いものだとは。そして人間のことばをしゃべる犬とは。なんだかソフトバンクの「お父さん犬」を連想してしまいますが。
塚の立て看板には、
「雪丸は人のことばが理解できたといい、達磨廟(達磨寺3号墳・本堂下に所在)を守るために遺骸を本堂東北隅に葬るように遺言して世を去ったという。このため雪丸像は達磨寺1号墳の石室近く(本堂の東北)に祀られていた。」
像は太子自ら石工に命じて作らせたそうですが、当時の像はどこにあったかというと、本堂東北隅。それで本堂の東北側に周ってみると、墳墓の跡のようなものがあります。ここだったのでしょうか。
今の雪丸像は江戸時代のもので、平成15年に本堂の西南(今の位置)に移されたようです。
寺は保育園にもなっていて、遊び時間になった時、見守りのスタッフの人が着ていたポロシャツの背中には、雪丸がデザインされていました。それで背中を撮影させてもらいました。町のマスコットキャラクター「雪丸」はもちろん、この雪丸がモデルです。
寺の売店でも雪丸をモチーフにしたグッズが何種類か販売されていましたが、スタッフによると、役場でも購入できるということでした。(駅ビルに『雪丸ミニプラザ』がオープンしているそうです)
「いつから雪丸が町のキャラクターになったんですか?」と聞くと、「2、3年前くらいかなかなぁ」という答え。それほど前からではなく、つい最近のようです。
ネットで調べてみると(王寺町公式サイト)、平成23年2月、王寺町商工会がキャラクターデザインを一般公募して、現在の「雪丸」イラストが生まれたそうです。
平成25年6月には「雪丸」が「王寺町公式マスコット」に認定され、同年8月、ゆるキャラ「雪丸」がデビューしました。そして「雪丸」は「王寺町観光広報大使」に任命されました。
平成26年11月、「ゆるキャラグランプリ2014」では、401,189票を獲得し、全国1,699体中11位の好成績を収めたそうです。
たしかに、保育園スタッフが言うようにキャラクターが正式にデビューしたのは3年前だったようです。そして俺もユルキャラに「雪丸」という名前を聞いた気がします。姿と名前は一致しません。なんとなくの、うる覚えですが。
駅から寺までの通りは、「雪丸ロード」と名前が付いていて、烏帽子(えぼし)をかぶったキャラクター雪丸のイラストとともに「あいさつ プラスわん 運動」という幟が立っています。
雪丸が王子町の町おこしで大活躍しているようです。
王寺町公式HPでは、「これからも「雪丸」を活用し、ハード、ソフトの施策を展開し、地方創生につなげてまいりますので皆様のご理解とご協力をお願いします。」と結ばれています。
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