【犬狼物語 其の六十三】 徳島県阿波市 犬墓の弘法大師の義犬塚
四国第十番札所「切幡寺」から西へ数キロメートル行った静かな里は、「犬墓(いぬのはか)」という地名です。田んぼや畑が広がり、近くには低い山が続いている典型的な里の風景です。
ここに、弘法大師伝説の義犬塚があります。
阿波市観光協会HPによれば、
「犬を連れてこの地の山に分け入った弘法大師が猪と遭遇したところ、その犬が弘法大師を猪から守りました。しかし犬は、誤って滝壺に落ちてしまい、犬の死を憐れんだ弘法大師が犬の墓を立てこの地を犬墓と名づけたと言われています。墓は享保(1716~36)の頃、犬墓村庄屋松永傳太夫が造ったとされています。」
「犬墓大師堂」の前には、弘法大師と大師に従う義犬(忠犬)の像が置かれています。この像自体は、平成14年8月に建てられました。約14年前です。
像の反対側には、いくつか古碑や祠が並んでいますが、その中に丸い石が載ったお墓があります。これが義犬の墓です。
34cm×40cmの基礎石(五輪塔の地輪部分が残ったもの)の正面に「戌墓」と刻んであります。その上に径が36〜40cm、高さ23cmの楕円形の自然石を置いてあります。
基礎石の右側面を覗いてみると、犬のレリーフがありました。長さは20cmくらいでしょうか。一部は苔が生えていて、うっかりすると見逃してしまいそうな可愛らしいレリーフです。
大師堂は比較的新しい建物で、江戸時代の地図には「四足堂」とあるそうです。「四足堂」とは雨露をしのぐために四隅に4本の柱を立て、屋根を葺いただけの簡素な建物のことです。
愛媛県の城川町は「茶堂」が多く残っているところとして有名で、俺も何ヵ所か写真を撮っていますが、それも四隅に柱を立てて、壁がない簡素な造りの建物があり、昔は、お遍路さんなど旅人が休憩したところだそうです。「四足堂」はそんなイメージでしょうか。
近所のおじさんがいて、しばらく立ち話をしました。
「あれが、犬の墓なんですね?」
と、「戌墓」を指して確かめたら、
「そうです」
との答え。
「犬墓(いぬのはか)」という地名は珍しいでしょう?」
と、おじさんは言いました。
「そうですね、聞いたことはありませんね。「犬飼」とか「犬塚」とかはありますが」
あとで調べてみたら、小佐々学氏「日本愛犬史」によると、「犬墓」という地名は、ここ以外には和歌山県にあるだけらしい。やはり珍しい地名のようです。
「映画の『八つ墓村』が流行った時、犬墓がモデルではないのかと地元では話題になったんですよ」
そういわれれば、そんな雰囲気も感じられます。「やつはか」、「いぬのはか」。たしかに似ているかも。地元の人が言うんだから確かでしょう。あんな凄惨な事件は起こってないと思いますが。
お遍路さんも犬墓大師堂に時々立ち寄っていくそうです。昔はこのお堂にお遍路さんが住み着いて、掃除もして、お堂の管理をしてくれる人もいたという。
今は、いろんな問題があり、原則としてお堂の中にお遍路さんを泊めることはありませんが、外でテントを張って泊まるお遍路さんはいて、そんなときは、おにぎりなどの差し入れをしたこともあるそうです。
あるときは、大雨でずぶ濡れになったお遍路さんを、次の第十一番札所まで車で乗せて行ったこともあるそうです。このあたり、「お接待」という四国人独特のおもてなし文化が今でも息づいているということなのでしょう。
「昔は、毎年8月20日に”おはつか”という集会がありました。今も、村人が集まって酒盛りしたりしますが、昔は、縁日の露店なんかも出て、にぎわいました。おもちゃを売る露店はうれしかったですねぇ。この辺りの店にはおもちゃなんか置いてなかったし。それと昔は10月に獅子舞を踊る秋祭りもやってたんですが、それももうやっていません」
「楽しかったでしょうね」
「そうですね」
おじさんは懐かしそうに言いました。
「時々犬連れの人もここにやってきます。お堂の中も自由に見て行ってください」
お堂に上がると、奥の方には弘法大師の像の隣に、亡くなったのか、愛犬の写真が奉納されていました。ここも犬好きの人たちの聖地のひとつのようです。
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