【犬狼物語 其の五十五~五十六】 兵庫県尼崎市 兵庫県動物愛護センター 「警察犬アルフと盲導犬チャンピーの像」
兵庫県尼崎市の兵庫県動物愛護センターは武庫川沿いにありました。
「愛護館」は、犬について学べるような展示室になっています。そして数体の名犬のブロンズふうの像が並んでいます。
「忠犬ハチ公」、「南極犬ジロ」、「盲導犬チャンピィ」、「警察犬アルフ号」、名犬ラッシーのモデル「ボビー」、「リーダー犬バルト」の像です。
ハチ公やジロはすでに取り上げているので、ここでは割愛します。また、ボビーとバルトもアメリカの話なので、「アメリカ編」で紹介することにして、ここでは割愛します。
「チャンピィ」はジャーマン・シェパードで、日本で育成された盲導犬の第1号です。1957年から滋賀県立盲学校教諭・河相洌さんの盲導犬として活躍しました。
「盲導犬チャンピィ」の話がNHKの「プロジェクトX」で放送されたこともあります。
河相さんがチャンピィと学校に通っていた姿を見ていた彦根市民は、
「とにかく大きい犬でした。シェパードは耳が立っているものですが、チャンピィは垂れていたので恐い感じは無かったですね」
と思い出を語っています。(彦根商店街参照)
もう1体が「警察犬アルフ号」です。オスのジャーマン・シェパードで、凛々しい姿でお座りしています。警視総監賞でしょうか、首にはメダルをかけています。
警視庁のHPには、「名警察犬アルフ号」として掲載されています。
正式な名前は「アルフ・フォン・ムト・ハイム号」だそうです。長い名前ですね。
HPから引用させてもらうと、
「昭和41年に生まれ、51年9月までの間、爆弾闘争や浅間山荘事件等で揺れる激動の昭和を警察官とともに支えた名警察犬でした。その優秀さを裏付けるように、警視総監賞2回、警察庁刑事局長賞2回、警視庁刑事部長賞9回など合計109回も表彰されています」
アルフはこのように優秀な警察犬でした。でも意外にも、初めはダメ犬だったそうです。
アルフを警察犬として訓練して育てたのは、天野重夫巡査でした。
警視庁の鑑識課に警察犬係と訓練所ができたのは昭和31年のこと。ここに転勤してきた天野さんは犬係となり、アルフの訓練も担当することになります。
ある日、民間の犬の訓練所から警察犬に向いた犬がいると連絡が入り、やってきたのがアルフでした。天野さんとアルフの出会いです。
初めてアルフ号を見た天野さんは、体が小柄なところを心配しましたが、投げたボールを取って戻って来る意欲「持来欲」を十分に持つ点と、当時優秀な成績を挙げていた担当犬アリス号と顔つきが似ている点に期待したそうです。
でもアルフは訓練を嫌がったり、すぐに下痢をしたりして、ダメ犬のレッテルを貼られてしまいます。民間訓練所への返す声も出たそうです。
それでも天野さんはアルフの才能を信じて根気よく、粘り強く訓練を続けました。体力以外に何か長所があると考えた天野さんは、アルフが匂いを追うことに関しては集中力の強さを見せる、警察犬としての適性を見出しました。こうしてようやくアルフは警察犬に採用されることになりました。
アルフの才能は開花します。普段はダメなやつでも、ある状況では急に才能を発揮しだすのは、犬ばかりではなく、人間もそうですね。どんな犬、人間にも、何かの才能があって、それを見出して伸ばしてくれる人に巡り合うのは幸運なことです。たいていは、自分の才能にも気が付かないまま一生を終わる犬や人間がほとんどでしょう。
アルフは当時社会に不安を与えていた過激派の検挙に大活躍することになりました。そして、ついに警察犬としては初めて警視総監賞を受賞するのです。
有名な事件としては、1972年に起こった「あさま山荘事件」があります。
テロリスト集団の連合赤軍が人質をとって軽井沢のあさま山荘にたてこもった事件です。当時テレビでは生中継されましたが、大きな鉄球で壁を壊すシ-ンは、今でもよく覚えています。
その中にアルフもいました。
雪の舞う零下15度の山中を約8kmにわたって追跡し、犯人らが隠していたダイナマイトや鉄パイプ爆弾、出納記録を記したノートなどの遺留品約300点を発見、さらに野宿した痕跡を2つ発見してメンバーらの足取りを明らかにし、事件解決の突破口を開き、大活躍しました。
アルフは、昭和51年9月18日、最期は、天野さんに抱かれたまま、眠るように息を引き取りました。老衰でした。享年10歳6か月、人間でいえば約70歳でした。
9月20日には訓練所で葬儀が行われました。墓地は東京家畜博愛院(東京都板橋区)にあるそうです。
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