【犬狼物語 其の九十二】 群馬県太田市 石原賀茂神社 例幣使一行を助けた「救命犬之像」
群馬県太田市の石原賀茂神社には、例幣使一行を助けたという「救命犬之像」があります。
石原賀茂神社は国道122号線太田バイパスの交差点「東長岡」を少し東へ入ったところにあり、ちょうど出勤通学時間帯だったので、車と人で混雑した中での撮影になってしまいました。
この神社は、「鳥居のない神社」と」しても有名です。入り口にはその碑も建っているくらいで、「ナニコレ珍百景」などテレビでも紹介されました。
二本の柱が立っていますが、てっぺんはしめ縄で結ばれているだけです。
犬像は、社殿を正面に見て左側にあります。もっといかつい犬を想像してきたのですが、かわいらしい犬像です。「鳥居がない」ことには、この犬が関係していました。
平成18年(2006年)に建立されたこの「救命犬之像」の後ろには、「鳥居の無い由来の碑」があります。それによると、
「徳川のむかし、京都を発した日光御礼参の例幣使の行列が道中の安全祈願をかねてしばらく賀茂神社の境内で休んでいる時、にわかに一匹の犬が激しく吠えはじめた。
不審に思った供侍が吠えたてる犬を追い払おうとして何度も何度も制したけれど犬はなお激しく訴えるように吠えたてて逃げようともしなかった。怒った供侍はとうとうこの犬を切り捨ててしまった。
すると意外なことに胴をはなれた犬の首は空に飛び上った。あれよと人々が見上げると犬の首は鳥居の上の大蛇に噛みついた。たまたま鳥居下に休んでいた例幣使に犬は大蛇のいる危険を知らせる為に盛んに吠えたのだった。
例幣使は自分を助けようとして吠えたことがわかった。このため日光から帰ってくるまで犬の供養をして塚をこしらえておくようにいってこの神社を去った。
そこで犬を供養しその上に石尊様をまつった。この為村では鳥居があったので蛇がそこへあがったということで神社の鳥居をはずしてしまい今もないのだという。」
鳥居がないのは、こういう理由だったのですね。へ~。
ところで、「例幣使」とは何なのでしょうか?
徳川家康の没後、東照宮に幣帛(神への供物)を奉献するための勅使だそうで、一行が通ったところが日光例幣使道と呼ばれる街道です。
「犬が猛烈に吠えるので首を切られ、その首が蛇に噛み付いて人を助け、助けられた人が後悔する」というパターンの伝説は全国各地にあるようです。
古くは室町時代、15世紀前半にできた説話集『三国伝記』に出てくる「小白丸伝説」でも犬が誤解されて殺されてしまうというのがあるそうです。
図を想像するとすさまじい。地獄絵図のようでもあります。
Wikiには、もっとすごい話が。
犬の怨念を利用した呪術について載っています。犬好きが聞くと卒倒しそうな方法ですが、食べ物に飢えた「犬頭」を使うというものです。そういう「犬頭」のイメージも何かこの伝説には関係しているのでしょうか。
いろんな解釈ができると思うのですが・・・。
類型化した伝説は歴史的事実というより、もっと人間が共通して持っている集合的無意識を表したもの(だから夢にも似ている)、と心理学的には考えることもできると思います。
賀茂神社の場合は、日光例幣街道という地理的なものと類型化した話がくっついたのでしょう。
その類型化した話が表す、人間の深層心理とは何でしょうか。
これは伝説ですが、現代の教訓話としてみても、似たようなことはあるかもしれません。
たとえば、「他人の耳の痛い忠告を煩がって、その人を遠ざけたけれど、何かトラブルが起きて、忠告されたとおりになってしまった。自分のために忠告してくれていたんだとわかっても、後の祭り。その人は自分の元から去ってしまって後悔する」などという話は、ありそうではないですか。
本当の忠義とは何なんだろう?と考えさせる話でもあります。
ここで犬が登場し、忠義の象徴になっているのは自然なことのように感じます。自己犠牲の精神で飼い主を助ける忠犬の話は、全国各地にたくさんありました。
そしてもうひとつ、皮肉というか、戒めというか・・・。
犬は首を切られてまで忠実に主人を守ったのです。ところが主人は、犬を信用していなかったという話でもあります。
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