【犬狼物語 其の六十~六十一】 香川県善通寺市 弘法大師の犬塚と、赤門七仏薬師の犬「ころころ」の像
真言宗の開祖空海が唐から連れ帰ったとされる犬の墓である善通寺市の犬塚は、国立善通寺病院の近くの住宅街にあるはずでした。
塚を探して路地を歩いていた時、ひとりのおばさんが来たので、
「すみません、近くに犬塚があるはずなんですが、知りませんか?」
と尋ねました。すると、
「さぁ、わからないですねぇ」
という答えでした。がっかりして、そこから向かいの角を曲がったとたん、20m先にそれらしい屋根がかかった祠のようなものを見つけ、近づいてみたら、これが探していた犬塚でした。
「なんだよ。こんなに近くじゃないか」
と内心、さっきのおばさんにムッとしたのでしたが、でも、考えてみると、興味のない人には、物はあっても存在しないのと同じだということなんですね。おばさんを責められません。
この塚は、民家と民家の間にあって、狭い通路を10mほど進んでいかないと近づけないところでした。
教育委員会の看板が立っていて、
「この犬塚は、角礫凝灰岩製の笠塔婆で高さ2.5メートル、四方仏の梵字は大日如来を表す”バン”であり風化が著しい。作者は不明で鎌倉時代の作と推定される。空海が唐から持ち帰った薬草(麦の種子)にまつわる義犬伝説があり、昭和六十二年七月二十一日、市の史跡として指定され、古くからの信仰を今に伝えている。」
とありました。かなり石碑は風化していますが、上の方の梵字は何とか判別できます。これが”バン”なんでしょうか。
碑の周りの柵は新しく、市内の人の名前が刻まれていていますが(たぶんこの柵を寄贈した人?)、この碑が地元の人たちに大切にされているのを感じます。
その義犬伝説とは、善通寺市のHPによると、こういったものです。
「唐に留学していた弘法大師が天竺の国に行った時のこと。天竺の国王は大切にしていた薬草を持ち出されないように、番犬を使って畑を管理していました。他では手に入らない薬草を何とか手に入れたいと考えた弘法大師は、3粒の種を足の股の肉を裂いてその中に隠して持ち帰ろうとしました。ところが1匹の番犬がひどく吠え、問いつめられた弘法大師は盗んでないといい通し、犬は番人に叩かれて死んでしまいます。かわいそうに思った弘法大師は犬の死骸を持ち帰り、長安で真言の秘法を施して生き返らせます。薬草とともに犬も一緒に帰国し、その後、死んだ犬を祀ったという話です」
この伝説では、薬草(麦の種子)となっていて、空海自身が持ってきたことになっていますが、中国南部、少数民族には、稲の種子(モミ)を持ってきたのは犬だったという伝説もあります。犬の尾にモミを付けて持ってきたのではなかったでしょうか。犬の尾が稲穂を連想させることと関係があったような…(記憶違いならすみません)。
穀物起源の話と犬は意外と関係が深いようです。
もうひとつは、善通寺の赤門筋商店街の一角にある「赤門七佛薬師」の犬像です。
「赤門七佛薬師」の本尊である「七佛薬師」は、かつて弘法大師・空海が、7体の石仏を刻んで祀ったとされるもので、お参りすると乳の出が良くなるという言い伝えから「乳薬師」とも呼ばれ、昭和50年ころまで県外からもお参りする人が来るなどにぎわっていましたが、粉ミルクが普及して、かつての賑わいはなくなりました。
「赤門七佛薬師」は、総本山善通寺創建1200年を機に、本尊の吉原町七佛薬師寺より勧請され建立されました。
かわいらしい乳房をかたどった絵馬が数多く奉納されています。毎月八日を法要日とし、各商店が商品を特売する「八日市」も開催されています。目標は、「東京・巣鴨のとげぬき地蔵」をモデルにしているそうです。
2016年5月8日、女性の病気予防や治癒、子授けなどに御利益があるとされる本尊の薬師像や“安産犬”として親しまれている石像を前に、建立10周年を記念した法要が営まれました。
それに合わせて“安産犬”の名前を公募したところ、273通の応募があり、その中から「ころころ」に決まりました。
「ころころ」は香川県の庵治石製の犬像です。(庵治石といえば、思い出すのは、松山市道後温泉の湯船が同じ庵治石製だったと思います)
“安産犬”らしく、少しぽっちゃりしたワンコ(もちろん雌でしょう)の像です。名前「ころころ」そのままですね。
雨が降ってきたので、まるで背中がダルメシアンのようになってしまいました。
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