【犬狼物語 其の九十五】 茨城県北茨城市 五浦海岸 忠犬ジョンの碑
茨城県は民間調査会社の魅力度ランキングで、最下位の常連です。でも、個人的には、茨城県には縁があって、何度も撮影に行っているし、魅力的な観光地もたくさん知っているので、このランキングにはちょっと疑問です。
北茨城市の五浦海岸も魅力的な観光地のひとつです。
五浦海岸は明治時代に岡倉天心たちが新しい日本画の創造に励んだ所です。現在の茨城大学美術文化研究所敷地内の「六角堂」は天心の思索する場所として作られました。
六角堂が真新しいのは、3.11の津波で流され、2012年4月に再建されたからです。茨城県も津波の被害がありました。
そしてここにもひっそりと犬像が建っています。
「忠犬ジョン之碑」ですが、見つけたのは偶然でした。震災前です。妻とヴィーノと3人で茨城県を旅行中、六角堂を見下ろす高台を歩いていると、松林の中にありました。
立派な碑で、台座の高さが1.8mほどもあって、その上にジョンの像が四つ足を踏ん張って立っているので、見上げる感じになります。だから股間を覗くかっこうになるので、図らずも雄犬だとわかりました。
それと舌を出しているのですが、そういえば、【犬狼物語】撮影中、舌を出した犬像は少なかったなぁと思います。だからジョンの舌出し犬像は珍しいものではないかと。
ところで、碑は高台にあるので3.11の津波被害は免れましたが、強い揺れによって、ジョンの石像は壊れ、頭と胴体と手足がばらばらになって台座の横に積まれていました。それが震災1年後の2012年4月19日に撮影した上の写真です。
今では、六角堂同様、この忠犬ジョンの碑もちゃんと修復されました。
さて、忠犬ジョンのことです。
あまり詳しいことはわかりません。市役所で聞いても、この碑については把握していないようでした。
碑文を要約すると、こんな感じでしょうか。
ジョンは賢くてとてもいい番犬だったので、それをねたんだ人に農薬を盛られ、死期をさとったジョンは主人の枕元で息絶えました。
憐れに思った主人は風光明媚なこの地にジョンを葬りました。
その後、忠犬のおかげなのか、花咲か爺さんのような幸運が舞い込みました。
忠犬ジョンの勇姿に接する人には、福が訪れるとのこと。この墓地を詣でて、ジョンの加護を受けましょう。
とあります。
碑が建てられたのは昭和30年(1955年)11月です。61年も前です。
「いい番犬」とあるので、吠えることは吠えたんでしょう。農薬を盛った犯人は、何度も吠えられたのかもしれないですね。もしかしたら、物色していた泥棒だったかもしれません。
碑文に「花咲翁」を持ち出しているのは意味深で、飼い主の「弔い合戦」にも思えます。
花咲かじいさんの話は、こんな感じだからです。
犬が畑で「ここ掘れワンワン」と鳴いたので、正直者の老夫婦が畑を掘ると、大判・小判がざっくざく。老夫婦は近所の人たちにも喜んで振る舞います。
それをねたんだ隣の強欲夫婦が、無理やり犬を連れ去り、財宝を探させようとしますが、掘って出てきたのはガラクタばかり。強欲夫婦は犬を殺してしまいました。
正直者の老夫婦は、死んだ犬を引き取り、庭に墓を作って丁重に弔いました。
最後には、夢で現れた犬の助言で枯れ木に花を咲かせて、大名から褒美を受けるのでした。
それと対照的に、犬を殺した強欲夫婦は罰を受けるという勧善懲悪の話です。
どうでしょうか。この昔話を持ち出した飼い主の思いを想像してしまいます。犯人に、報いがあると、警告しているようでもあります。
碑文は次の通りです。
「忠犬ジョンは資性怜悧にして能く番犬任を果し為めに主家をしてその守り堅きを誇らしめつつあったがその任に忠なる為にうかがうべき隙なきを憎みてか一夜農薬入りの食を与えし人あり
ジョンはその服毒の激痛に耐え夜の明くるを待ち怜悧にも己れの死期迫れるを知り未だに臥床中の主人の床に近づき告別の意を傅いて息断えたり
主人その死を憐れみ僧を招き厚く囘向し風光絶佳の此の地に懇ろに之を葬る
爾来今様花咲翁のそれの如く主家の幸運之より至る
之も忠犬の余念の存する為めならんと厚く讃ふ
以来當地に杖を曳く人名犬の死き憐れみこの墓地に詣ずる者多し
忠犬ジョンの勇姿に接する人には忠犬の守護あり
福運必ずその身に及ばん
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