【犬狼物語 其の七十四】 長崎県大村市 小佐々市右衛門前親の愛犬「華丸」の像
長崎県大村市の本経寺には、小佐々市右衛門前親(こざさいちうえもんあきちか)の「華丸(はなまる)」の像と墓があります。
門を入り、本堂を正面に見て、左手に「義犬華丸像」が建っていました。
まるまるとしてかわいらしいワンコの像です。
「大村藩の義犬「華丸」像に」(長崎新聞2015年5月13日更新)には、
「義犬「華丸」の365回忌を記念して、大村藩士小佐々氏子孫の会の「小佐々氏会」は12日、華丸をイメージした石像を大村家の菩提(ぼだい)寺である本経寺(大村市古町1丁目)境内に設置した。6月21日に除幕する。
…(略)…
石像は高さ約30センチで、かわいらしい幼犬の姿。前親の子孫で日本獣医史学会理事長の小佐々学さん(75)=さいたま市=は「本経寺と市民の理解に感謝する。たくさんの人になでてほしい」と話した。」
華丸像ができたのは2015年6月だったんですね。1年3か月前です。どうりで新しいと思いました。犬は、雄の狆(ちん)だそうです。そう言われれば鼻先がつぶれているようです。
そしてたびたび当ブログでも参考にさせていただいている「日本愛犬史」の小佐々学氏も大村藩士小佐々氏子孫だったのですね。
華丸像と碑がある場所から、さらに奥に進むと、広い大村藩主大村家墓所で、平成16年に本経寺やこの墓所と共に前親や華丸の墓碑が国の史跡に指定されました。
小佐々前親の墓と華丸の墓は、三代藩主純信公の区画の一角にありました。
「日本愛犬史」から引用させてもらうと、
「小佐々前親は肥前国大村藩三代藩主大村純信の幼少年期の傅役(もりやく)で家老であった。自分が守り育てた純信が33歳の若さで江戸表で逝去したという悲報に接した前親は、慶安3(1650)年6月に純信に追腹して殉死した。
前親は大村家の菩提寺である本経寺で火葬されたが、このとき前親の愛犬華丸(ハナ丸)が主人の死を悲しんで涙して鳴き、荼毘の炎の中に飛び込んで焼死した。藩主の死に殉じた忠臣と、忠臣に殉じた義犬のことを「武士道の鑑」として後世に伝えるため、高さ3mの前親の大型墓に並んで高さ90cm(3尺)の華丸の墓が建てられた。
華丸の墓碑の拓本を取って碑文を調査したところ、墓碑前面には132文字に及ぶ漢文の由緒書があり、その中には「前親と華丸はお互いに親しんでおり、前親は常に華丸を愛して膝元に抱いていた」ことなどが記述されていることが判明した。
この碑文から、華丸は主人に殉じた義犬であると共に、愛犬や伴侶犬であったことが分かる。この碑文は漢学者であった前親の高弟が選文したとされ、『孟子』を引用した格調高い漢文であるが、前親と華丸の日頃の親密な交情が見事に活写されている。
江戸時代初期の高さ3尺の墓は上級武士と同等であり、五代将軍徳川綱吉の「生類憐みの令」より35年も前に建てられており、また忠犬ハチ公の墓より285年も前のことである。
さらに、欧米でも動物愛護の考え方がまだなかった時代であることから、前親と華丸の墓は動物愛護史や人と動物の絆(HAB)の歴史などの世界的な史跡ということができよう。」
ということです。
悲しい話でもあったんですね。
「主人の死を悲しんで荼毘の炎の中に飛び込んで焼死した」とは。けっこうすさまじい。
ただ「前親は常に華丸を愛して膝元に抱いていた」というあたりを聞くと、ホッとします。犬と人間の触れ合いは、昔から変わってないなぁと。
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