【犬狼物語 其の九十三】 北海道南富良野町 忠犬ハチ公の碑
南富良野の「忠犬ハチ公」の像を訪ねたのは、日本一周していた2009年のことです。あらためて【犬狼物語】として取り上げたいと思います。
南富良野には映画『鉄道員(ぽっぽや)』の中で、「幌舞駅」として登場するJR北海道根室本線の「幾寅駅」があります。駅舎は映画のために改装されているそうですが、木造の駅舎は魅力的です。
幾寅駅から北へ1kmほどいったところに、道の駅「南ふらの」があります。道の駅には、ドッグラン「ワンちゃん広場」が併設されていました。
「ドッグランでワンちゃんの旅の疲れを癒してあげてください」というようなことが書かれており、やけに犬に優しい道の駅だなぁと思いました。全国の道の駅を泊まり歩いている身ですが、今も、ドッグランのある道の駅は少ないと思います。
ヴィーノをこのドッグランで遊ばせた後、観光案内の看板地図を眺めていると、この近くに、「忠犬ハチ公の碑」というのがあることがわかりました。
「どうしてここにハチ公の碑が」?と不思議に思ったものです。この「ハチ公」とは渋谷の「ハチ公」だと思い込んでいたからです。
ところが、この「ハチ公」は、渋谷の「ハチ公」とはまったく関係のない犬だと分かりました。
南富良野町の国道38号線の樹海峠(碑には幾寅峠と書かれていますが)に、「鳥獣魂碑」と「幾寅峠ハチ公之碑」は建っていました。
あるとき、この幾寅峠に薄茶色の北海道犬が姿を見せるようになりました。その迷い犬は、通り過ぎる車や人を眺めながら、ひたすら主人の戻るのを待っているようでした。
幾寅の住民がこの迷い犬を見守っていました。でも、昭和50年1月18日、その迷い犬は除雪作業車に轢かれて死んでしまったそうです。
のちに全国の愛犬家の人たちがお金を出し合ってこの碑を建てました。
台座の上に立つ御影石に、彫った犬の絵があります。尻尾が太くて、首輪をしています。
「迷える忠犬の碑」の碑文には、
「この坂道を下れば心あたたかい人里あり、遠く望むれば北国の雄大な原始の姿蘇る 雪深き昭和50年1月18日、一頭の迷えるうす茶色の北海道犬ここ幾寅峠に歿す 麓の里にひとときのねぐらも 一片の糧も求めんとせず通い来る人々の愛と恵みに支えられ一年有余に亘り 何故か道行く車を見つめつつ只ひたすらに恩のある主人のみ慕いて迎え来る日をここに待つ 主よ何処に 悲哀なるその姿 死せる今なお脳裏離れず ■の絆 永遠に断ち難し この忠犬の在りし日を偲び世の心ある人々の志を得てここに碑を建立す」
と、あります。
完全に飼い主がわからない迷い犬に対しての慰霊碑というのも珍しいかもしれません。たいていは、誰かが可愛がっていた愛犬とか、盲導犬やセラピー犬といった、有名な犬の像や碑が多いからです。
でも、この「北の国と南の島」というHPには、当時の思い出としてハチのことに触れていて、碑が建ったいきさつがわかりました。
「その犬のことは、地元の北海道新聞にも写真入りで記事になり、飼い主に置き去りにされたので、じっと飼い主の帰りを待ち続けているらしいと書いてあったように記憶しています。そのため、忠犬ハチ公と呼ばれるようになりました。」
まぁ、最終的には新聞に載ったのですね。それじゃぁ、もう無名犬ではなく有名犬なわけです。名前も同じで、新聞で有名になり、碑が建ったといういきさつも渋谷の忠犬ハチ公と同じです。
ところでこれは、40年くらい前の話です。迷い犬とは言え、住民に見守られ、1年あまりそこで暮らしていたのだから、「野犬」とはいえず、立派な「里犬(地域犬)」といってもいいでしょう。
今ならどうでしょうか。そのまま見守ってあげられるのでしょうか。「里犬(地域犬)」も存在するのが難しい世の中です。
新聞に載ったとはいえ、碑を建ててもらえたというのは、それだけ愛されていたんだという証拠でもあるだろうし、「里犬(地域犬)」冥利につきるでしょう。
こちらの書籍に「南富良野のハチ公」の記事も載せています。
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