【犬狼物語 其の百九】 東京都千代田区 靖国神社 軍犬慰霊像
イチョウ並木が美しい第一鳥居(大鳥居)から、青銅製の鳥居としては日本一の大きさを誇る、明治20年(1887)に建てられた第二鳥居をくぐり、神門を入ります。
拝殿を正面にして右へ進むと、英霊の遺品などが展示されている遊就館の前庭の一角に、犬の像が建っています。
凛々しい姿をしたジャーマンシェパードの犬像。
戦争の犠牲となった犬の死を悼むために、平成4年(1992)3月20日(動物愛護の日)に奉納された「軍犬慰霊像」です。元陸軍航空士官の彫刻家 市橋敏雄氏が製作しました。
軍犬になった犬は、伝令、警戒、捜索、運搬、襲撃など、戦場では様々な仕事を与えられました。戦場に送られた犬は1万頭に上りますが、終戦時、軍馬同様1頭も国に生還していません。
軍犬慰霊像の隣には、「戦歿馬慰霊像」と、「鳩魂塔」も建っています。
「戦歿馬慰霊像」は実物大の馬の姿をしています。昭和33年(1958)建立されました。
昭和4年(1929)中野の陸軍電信隊内に建立された鳩のブロンズ像は、昭和14年(1939)、上野動物園に移転され、昭和57年(1982)、遊就館の前に復元奉納されて「鳩魂塔」になりました。丸い地球の上で鳩がはばたく鳩魂塔は世界の平和を祈念しています。
昭和17年、支那事変で活躍した「利根」という名の軍犬は文部省唱歌にもなりました。利根を取り上げた『初等科國語一』の教科書には、必死で「戦友」を助ける兵士の姿があります。
利根は、もう百メートルで、本部といふところへさしかかりました。ちゃうどその時、敵の彈が、ばらばらと飛んで來ました。利根は、ぱったりとたふれました。
「ようし、來い、利根。ようし、來い、利根」
と、かかりの兵隊さんは、氣がくるったように呼びつづけました。
この聲が通じたのか、利根は、むっくりと立ちあがりました。しかし、もう走る力がありません。かかりの兵隊さんは、敵の彈が飛んで來るのもかまはず、はふやうにかけ出して、利根のからだを、しっかりとだきかかへました。
利根はこのとき脚に怪我はしたが、命は助かったそうです。戦場ではあっても、犬は兵士を愛し、兵士も犬を愛していました。その点だけを見れば、犬と人間のいつもの関係に変わりはないでしょう。いや、お互いいつ死ぬかわからない状況下ではもっと犬と兵士の絆は深かったのかもしれません。まさに「戦友」だったのでしょう。
「戦争」という状況にあっても「犬狼物語」は存在します。しかも、日本軍だけではない、中国やアメリカ軍の犬と兵士の関係も同じだったでしょう。
犬は戦争の意味を知りません。国のために戦ったのでもありません。
人間がこのような最悪の状況を作ってしまったわけで、犬が自分の意思で戦ったわけではもちろんありません。ただただ兵士との絆や愛情や信頼のために従ったにすぎません。
でも、彼らの活動が「軍事行動」になり、彼らが「軍犬」と呼ばれるのは、人間が作った戦争という状況があるからです。
この「軍犬慰霊像」は、人間に対する戒めの像でもあるのです。犬、馬、鳩の姿を鏡とする人間の愚かさを再認識する場、なのではないでしょうか。
戦争という最悪の状況に二度と陥らないために。
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