【犬狼物語 其の百十三】 東京都港区 新橋駅前の「乙女と盲導犬」像
JR新橋駅の日比谷口を出ると、正面に蒸気機関車が置かれている西口広場の一角に「乙女と盲導犬の像」はあります。
向かって左側にワンピースの少女が立って、盲導犬のハーネス(胴輪)に付いているハンドルを左手で握っている像です。盲導犬は基本的には人の左側を歩くそうです。
当時、盲導犬として活躍していたのがジャーマン・シェパードだったので、犬の像はジャーマン・シェパードになっていますが、現在は主にラブラドール・レトリーバーとゴールデン・レトリーバーが活躍しているそうです。頭がいい上に性格が穏やかで見た目が愛らしいので社会に受け入れられやすいからです。
どうもジャーマン・シェパードは容姿が精悍すぎて怖い印象を与えるらしく、国内では盲導犬としてはほとんど使われなくなっています。見かけで怖がられたり敬遠されるのは人間も同じですが、ジャーマン・シェパードは本当は従順で聡明な性格だそうです。
昭和42年(1967年)財団法人日本盲導犬協会が設立され、昭和44年(1969年)6月28日、橋本次郎氏の手によるこの「乙女と盲導犬の像」が建立されました。当初、この像は日比谷公園心字池の西側に置かれていました。
昭和44年と言えば、東大安田講堂事件が起こるなど学生紛争がピークに達して、世の中は騒然としていた時期です。台座には作詞家・脚本家の川内康範氏による詩が刻まれています。
新しい日本に変わろうとする大きなうねりのただ中にあって、障害を持った人たちに対する関心がだんだん高まっていく時期でもありましたが、盲導犬に対する理解はまだ低かったようです。
昭和47年(1972)4月2日に「乙女と盲導犬の像」を出発点として、日本で初めて15頭の盲導犬が参加したパレードが行われましたが、警視庁の許可がなかなか下りなくて困ったそうです。
犬が暴れだして通行人に被害が出たら大変だというのが理由だったので、「そこ(警視庁)に盲導犬を連れて行くので、よく訓練されていることをその目で確かめてほしい」と申し出たら、ようやく許可が下りたそうです。
でもパレードの最中も、歩道と車道の間に柵を設け、パレードの移動とともに、柵も移動したそうで、これも歩行者を盲導犬から守るという意味で取られた措置だったらしい。
昭和49年(1974年)10月28日に、この像は盲導犬の認知度を上げるために、日比谷公園から現在の新橋駅西口広場に移設されました。
その後盲導犬は、飛行機、鉄道、バスなどの交通機関に同伴同乗できるようになり、平成14年(2002年)には盲導犬を含む身体障害者補助犬の同伴受け入れを義務付ける「身体障害者補助犬法」が成立しました。
こんなふうに、少しづつ盲導犬への理解も進み、法律ができてもいますが、日本の盲導犬の普及率は、欧米先進諸国と比較すると、まだ少ないことが課題だそうです。
この「乙女と盲導犬の像」は、ここを出発点として盲導犬のパレードや募金活動が行われた、盲導犬理解が広がる拠点になった記念碑的な像なのです。
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