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2017/01/17

【犬狼物語 其の百十二】 東京都中野区 綱吉時代の「お囲い御用屋敷」跡の犬像

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中野に徳川5代将軍、綱吉時代に作られた犬屋敷跡がありました。現在中野区役所のそばに犬の群像が置かれています。

とくに、夜になると、色が目立たなくなるので、本物の犬たちがたむろしているように見えます。臨場感のある犬の群像です。

群像の解説碑文には「かこい」とありました。この「かこい」というのは、「お囲い御用屋敷」のことで、犬の住居(保護施設)だったところです。中野4丁目の旧町名「囲町」はこれに由来します。

綱吉の「生類憐みの令」は有名ですが、殺生を制限したこと、特に犬は厳重に保護されました。「犬公方」と呼ばれるほどの犬への偏愛は、綱吉が戌年生まれということがあったようです。

大八車は犬をひき殺さないように注意すること、犬の喧嘩は水をかけて引き分けるように、芸を仕込んで見世物にしてはならないなどなど。

お囲いは15年間存続し、最盛期には約29万坪(東京ドーム約20個分)もあり、10万頭の犬が暮らしていました。1年間の総経費は現代の金額で、約122億5000万円にも上りました。

元禄八年(1695)十月の記録では、中野のお囲いには「犬小屋」が290棟、「日除け場」が295棟、「子犬養育場」は459棟、他に「餌場」などの建物があり、多数の役人や犬医者を置いて飼育にあたらせました。

元禄十五年には約29万坪に拡張され、一の囲から五の囲まで作られた。現在の「なかのゼロホール」の辺りに一の囲、JR中央本線の北側のサンモールから区役所のあたりに二の囲、「中野四季の都市」あたりに三の囲、環状七号線の東側あたりに四の囲、そして中央本線の南側に五の囲を増築しました。

上に掲載の街並の写真は、中野駅南口、マルイの西側で、このあたりに「五の囲」が設けられました。

でも「過保護」が幸せにするとは限らないということはこの場合も言えるようで、もともと残飯などを食べて気ままに暮らしていた犬は、珍客へのご馳走のように「白米のご飯に魚」という贅沢料理を食べるようになり、しかも囲われていているので、思いっきり走ることもできなくなって「食っちゃ寝生活」がたたり、たちまち病気になって死んでしまうものが出たそうです。

宝永六年(1709)、綱吉の死とともに「生類憐みの令」は撤廃され、中野の囲いも廃止されました。
   
ところで、「生類憐みの令」は「天下の悪法」と言われてきましたが、日本獣医史学会理事長の小佐々学氏は、「生類憐みの令」の再評価について、

「旧弊である武断政治を文治政治に変えるために、命の大切さを理解させる手段であったとも考えられる。人と動物の命を同等視して、人も動物の一員であると考えていた可能性があるのは注目されていいだろう。動物のみならず人の保護まで含んだ世界最初の動物保護法として極めて重要であり、今後は動物愛護やヒューマン・アニマル・ボンド(略してHAB)の視点から再評価されるべきだろう」

と述べています。

ヒューマン・アニマル・ボンドとは「人と動物の絆」のことで、最近の研究によって「人と動物とのふれあいが、人と動物双方に精神的・身体的にいい効果をもたらす」ということが示されています。

これからの犬(動物)との関係を考える上での新しい視点と言えるでしょう。
 
 
 
 
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