【犬狼物語 其の百二十一】 神奈川県逗子市 延命寺 弘法大師と犬像&動物愛護慰霊
逗子駅から徒歩数分のところに延命寺があります。この寺は東京都の靖国神社と関係がありました。
本堂左側には、弘法大師を導いたという2匹の犬像があります。大師像の向かって右の犬が「四郎」、左の犬が「九郎」という名前です。「白」と「黒」ですね。
「お大師さまは真言密教を広める根本道場を開くために、適当な場所を求めて、各地を巡錫(じゅんしゃく)しておられました。ある日大和国(奈良県)宇智郡(五條付近)で、白黒二匹の犬をつれた狩人に出会い「どこに、行かれる」とたずねられました。そこでお大師さまは「伽 藍を建てるのにふさわしい場所を求めて歩いています」と答えられました。すると狩人は、「ここから少し南の紀州(和歌山県)の山中に、あなたの求めている よい場所があります。この犬に案内させましょう」といって、そのまま姿がみえなくなりました。この狩人が、今日高野山におまつりされている狩場明神(かりばみょうじん)であるといわれています。」(高野山真言宗総本山金剛峯寺の公式HP 高野山御開創①より引用)
この伝説は広く日本中にあって、千葉県久留里城址にある神社にも、伝説とともに、和犬型狛犬が1対鎮座していることは、以前の【犬狼物語】にも書いています。
また、正門近くに動物愛護慰霊もあります。これが靖国神社と関係しているものです。
昭和6年9月18日の満州事変勃発時、独立守備隊歩兵第2大隊の板倉至大尉の愛犬であった軍犬3頭の遺骨がここに眠っているそうです。
救助犬訓練士の山田道雄さんの「忠犬ここに眠る― 補 遺」には、この動物愛護慰霊碑のいきさつが書いてあります。(そこから要約すると)
3頭の軍犬は、金剛、那智、メリーといいますが、そのときの戦闘で行方不明になりました。4日目に、銃弾を受けた那智と金剛が発見されて、墓を建て手厚く葬られました。
メリーはその後大尉の自宅に戻って来ました。そして、メリーは戦死した大尉の遺骨と共に日本に送還されました。(今川勲氏の『犬の現代史』によると、真相は那智、メリーが戦死、金剛が行方不明だそうです)
大尉の家族が逗子に移り住んだ後、家族の愛犬ジュリー号が亡くなり、延命寺に犬の記念碑が建てられました。昭和8年7月7日、「忠犬之碑」の除幕式が行われました。その後、金剛(真実はメリー)、那智もここに合祀されました。
銅像はジュリー号をモデルにしたそうですが、金属供出で今はなく、そのレプリカ(模型)が延命寺から靖国神社に奉納されているそうです。
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