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2017/07/31

【犬狼物語 其の百八十一】 埼玉県坂戸市 狼民話の「恩がえし公園」

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北大塚という地域に伝わる民話をテーマにした公園です。ネットで検索して知った狼ゆかりの場所です。

坂戸市では有名な狼の民話なのかどうか、それと、他にモニュメントなどあるのかどうか知りたくて、市役所に確認してみました。

坂戸市の住民にとっても、広く知られた民話ではなく、かなり地域限定の民話だそうです。地域に密着した公園ということで、この民話を参考に、トイレやベンチに狼の意匠を施したということだそうです。

公園に設置されている解説プレートからこの民話を要約すると、

「昔は、この辺りにもたくさんの狼がいた。その中にどん吉といういつもお腹をすかした、のろまな狼がいた。ある日、どんぐりの木に隠れて獲物をねらっているとおばあさんがやってきた。狼はおばあさんを食べずに、家まで送っていった。おばあさんは、そのお礼として魚をお供えした。狼たちは喜んで魚を食べた。どん吉はあまり急いで食べたので、骨を喉につまらせた。そこへ酔った大工さんが通りかかり骨を取ってくれた。大工さんはそこで寝てしまった。夜中、目を覚ますと周りには狼がいっぱい。食べられると思った大工さんは「わしは、一日にどんぐり5個しか食っとらんからまずいぞ」 すると狼は「さっきはありがとう。忘れた道具箱を届けにきました」 それから毎朝大工さんの家の前には、どんぐり5個がおいてあったとさ」

狼の恩返しの民話です。これは前に訪ねた東大和市の「藤兵衛さんと狼」と似ています。「喉につかえた骨を取ってもらって、狼が恩返しをする」という民話の1パターンのようです。

「藤兵衛さんと狼」でも書きましたが、忘れないようにもう一度書いておきます。

狼の恩返しの物語で、日本最初のものは、平岩米吉著『狼 その生態と歴史』によると、『日本書紀欽明天皇紀』の「秦大津父(はたのおおつち)」の話にまでさかのぼるそうです。

要約すると、

商人であった秦大津父は、山道で、二頭の狼が血を出して争っているのを止めました。「汝は、これ貴き神」と呼びかけ、もし猟師に見つかったら捕らえられてしまうからと、咬み合うのを止め、血に濡れた毛を洗いぬぐって、両方とも無事に放してやりました。

その後、天皇が不思議な夢を見て、秦大津父を探し出し、大蔵省(おおくらのつかさ)に任じました。

と、いった話です。

この話を平岩は、「これは、狼に対する信仰の物語であると同時に、いわゆる狼の恩返しの物語の最初のものである。」と書いています。
 
 
 
 
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2017/07/30

【犬狼物語 其の百八十】 埼玉県川越市 氷川神社の「戌岩」と三峯社

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埼玉県川越市の氷川神社は、妻の実家へ行くときに通る道沿いにあり、何度も参拝しているし、初詣が氷川神社だったこともあります。

だから身近な神社ですが、「犬像」という観点では行っていなかったので、あらためて参拝しました。

木製では国内有数の高さ15mの大鳥居をくぐると、参拝客がたくさん。着物姿の女性も多いし、風鈴の音も響き、華やいだ雰囲気です。

ちょうど、9月10日まで「縁むすび風鈴」が開催中でした。境内には江戸風鈴が吊り下げられています。写真を撮る人も多い。たしかにこれは「インスタ映え」しますねぇ。

氷川神社は、6世紀が創建といわれる川越の総鎮守で、もともと夫婦の神様を祀っていることから、縁結びや恋愛のパワースポットとして有名ではあったようですが、「インスタ映え」もそうだし、SNSを使って「縁むすび風鈴」の写真の奉納もできたりと、いろんなアイディアで営業努力しているようです。だから活気があるんだなと思います。

最近話題の「パンダ宮司」もあるし、参拝客を増やすべくどこも努力しているようです。

そして境内には、安産・子宝に御利益があるとされる「戌岩」があります。

正直、「犬」を意識しないと、犬には見えづらい。でも、これが「犬」だという情報をもらうと、見えるようになってきます。

人間は目だけで物を見てそれがなにかを判断しているのではなくて、自分の体験・知識・期待などもいっしょに活用して「おそらくあれだろう」と考えて答えを出しています。

なので、これを「犬」に見える人は、「犬」に見たいから見えるようになる、ということです。だから「犬」に見えなくても心配いりません。見えない人は「見たくない」「関心がない」から見えないだけで、異常ではありません。

ちなみに俺がこの「戌岩」が「犬」に見えるのは、当然「犬像病」だからです。

お産が軽い、多産であるという犬の特徴から、安産・子宝を象徴する動物になっています。願う人は、戌岩の鼻先を撫でるといいそうです。

本殿の横の方に、絵馬のトンネルが続き、境内社が鎮座する一角があります。この中に三峯神社もありました。

2対の像が社を守護していますが、手前の像は、狼(お犬さま)というより、狐に見えます。これも狼なんでしょうか。テーブルには、「三峰神社」の文字と、狼の姿が入っている記念スタンプが置いてありました。
 
 
 
 
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2017/07/29

【犬狼物語 其の百七十九】 東京都渋谷区 忠犬ハチ公&渋谷区郷土博物館・文学館

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渋谷駅でハチ公の撮影をしようと、駅ビルの2階から、像が見える場所を探したら、ありました。ガラス窓がかなり汚れていて見づらいし、しかも、今、像の周りが工事中になったようで、青いフェンスが張り巡らされて、美しくありません。

そんな中でも、とくに、外国人観光客は、順番待ちで、ハチ公の前で思い思いのポーズで写真を撮っています。ハチ公にもたれかかり、悲しそうな表情の女性の撮影意図はよくわかりませんが、何か、ハチ公との物語を想像させます。まるで昭和の匂いがする映画のワンシーンのようです。

たとえば、ハチ公像は 昭和19年(1944年)に戦時中の金属類回収令によって鋳つぶされてしまいますが、その悲しい命令を聞いて、ハチ公にすがって泣いた女性だったり…

「ハチさん行かないで!」

「泣くのはおよし。体は融かされても、心はきみといっしょだよ」
 
 
そのあと、駅から30分ほど歩いて、渋谷区郷土博物館・文学館を訪ねました。

入り口を入ると、純白のハチ公像がお出迎えです。

これは駅前の像と似てはいますが、完全コピーというわけではなく、ディスプレイ会社に依頼して制作されたもので、だれか有名な作家の物ではないそうです。

『全国の犬像をめぐる』で使用したのは、駅前のハチ公像を後ろから撮影した写真です。ハチ公の尻尾は、後ろに伸びています。でも、この像は、手前に巻いています。

今、ここで、2015年に発見されたハチ公の写真が初公開されています。

写真には、

「渋谷駅前のハチ公」 寄贈:安藤士

とタイトルが付いています。

渋谷区猿楽町に住んでいた山本勇さんという方が撮影したものです。山本氏の遺族が見つけ、戦後の2代目ハチ公を作った安藤士氏に贈りました。そして安藤氏が貴重な写真を後世に残したいと、この博物館に寄贈したということです。

セピア色の写真です。左の方にうつぶせに座るハチ公と、駅の改札が映っています。改札手前にいるのは新聞の売り子さんでしょうか。

いろんな検証作業から、この写真は、昭和7年10月から昭和8年11月23日の間に撮影されたとのこと。

ただ、ピントは後ろの改札に合っていて、ハチはボケています。

想像なのですが、もしかしたら、撮影者の山本さんは駅を映したのではなかったのでしょうか。駅にピントが合っているのはそのためではないかと。

当時写真は貴重なぜいたく品で、もしハチ公が目的の被写体なら、ピントはハチ公に合わせていたのではないかと思うからです。駅にカメラを向けたら、たまたまハチが座っていた。いや、毎日ハチは座っていたそうなので、当然映ってしまうことになったのでしょう。

もちろんそれで写真の価値がなくなるわけではありません。それこそ写真の記録性のすばらしさです。

他にもいくつか貴重な写真がありました。

「上野家の書生と子犬のハチ公とジョン」という写真には、まだ6ヶ月くらいの子犬のハチ公と、ジョンという犬が映っています。

上野家で飼っていた犬は、ハチ公だけではありませんでした。代々上野家で飼われていた愛犬は、青山墓地に葬られました。

ハチ公の葬儀は、昭和10年(1935年)3月12日午後2時より青山墓地で行われました。16名の僧侶による読経や動物愛護協会会長など6人の弔辞、焼香と続き、最後にハチ公の霊を上野博士の墓の傍らにある愛犬の祠に移し、午後3時ころ終了しました。

だからこの祠が実質、ハチ公の墓になるという話は、先日書いた通りです。

ところで、上野夫人(坂野八重子さん)は、博士の実家がふたりの婚姻に反対したので、正式な婚姻届を出さずにいたので、博士の死後、追い出されてしまいました。

博士の弟子たちが用意した家で、八重子さんとハチ公も一時いっしょに暮らしましたが、周りの畑を荒らすなど問題を起こしたので、やむなくハチを植木職人の小林菊三郎にあずけました。

その時の写真(大正14年)には、ハチ公と小林家の飼い犬が映っていますが、まるでその犬はニッパーそっくりです。ニッパーというのは、先日アップした、ビクタースタジオにお座りしている犬です。まぁ偶然ですが。

その八重子さんも、関係者の努力があって、2016年にようやく青山墓地に納骨されました。これでハチ公、上野博士、八重子さんの3人の魂が同じところに祀られたということです。

ハチ公の物語は、上野博士との絆の美談として語られますが、この八重子さんも大切な人だったはずです。

というのは、犬を飼った人ならわかると思いますが、しかもハチ公のような大型犬の場合、大学で仕事を持っていた博士ひとりでハチ公の世話をすることは不可能で、八重子さん、書生たち、お手伝いさんの役目も大きかったろうと思います。当時は放し飼いができたとしてもです。

だから八重子さんが生前希望していた通り、博士とハチ公と同じ墓に眠ることができて良かったなと思います。
 
 
 
 
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2017/07/28

【犬狼物語 其の百七十八】 東京都杉並区 吉祥院の御嶽山神社

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京王井の頭線、高井戸駅から環八通りを400mほど南に歩くと、細い通りが象頭山遍照寺 吉祥院への参道になっています。

通称高井戸不動尊。高井戸のお不動さんとして近隣の信仰を集めています。

70mほど進むと山門がありますが、その手前に、御嶽山神社が鎮座します。

鳥居の内側には1対のお犬さまが社を護っています。

お犬さま像は、細身のタイプで、よじった体の背中はあばら骨が浮き出しています。小ぶりながら迫力があります。守護獣としてふさわしいお姿です。
 
 
 
 
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2017/07/27

赤ちゃんパンダの名前を公募、7月28日から募集開始

080510(写真は、中国四川省成都動物園で撮影した大熊猫、パンダです)


上野動物園ですくすくと育っているパンダ赤ちゃんの名前公募が始まります。募集は28日からだそうです。俺も応募するつもりです。

上野動物園公式サイト

歴代のパンダは「カンカン」とか「ランラン」とか、1文字の繰り返しが多い(すべて?)ようですが。

まず、上に掲載したパンダは中国で撮影し、少し薄汚れていますが、パンダの白にこだわってみました。

「バイバイ(白白)」 → 悪くないとは思いましたが、別れのあいさつ「バイバイ」と同じ発音だし、中国語では「むなしい」という意味になってしまいます。

「バイゴン(白宮)」 → これも悪くないとは思いますが、中国語で「ホワイトハウス」になってしまいます。

「メイバイ(美白)」あるいは「バイメイ(白美)} → 「バイメイ」は「売名」に通じてよくないかも。

「バイリー(白麗)」あるいは「リーバイツ(麗白子)」 → 「リーバイツ」はどこかのブランド名のようになってしまいますが、「子」を付けて可愛らしさを表現。

「ヘイバイ(黒白)」あるいは「ベイヘイ(白黒)」→ どことなく「白黒はっきりさせる」とかいったニュアンスを感じてしまうし、音の響きがなんとなく可愛らしさに欠けます。

「チーグバイ(七割白)」あるいは「パーグバイ(八割白)」 → 白い部分が何割かで決めたらどうでしょうか。白い部分は約7、8割と判断して付けた名前です。ただ、呼びづらいかな。

なんとなく、ピンときません。

やっぱり1文字の繰り返しになるかな。ちなみに前回の募集で一番多かったのが「メイメイ」だそうです。たぶん、「美美」だと思います。

また、季節にこだわった名前を考えてみます。

パンダが生まれたのは6月12日。旧暦で皐月十八日、二十四節気は「芒種(ぼうしゅ)」、前後の七十二候は「腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)」と「梅子黄(うめのみきばむ)」などがあるので、このあたりを参考にしてみます。

「インイン(蛍蛍)」

「シァシァ(夏夏)」

あまり意味にこだわると、だめかもしれません。しょせんここは中国ではないし。意味ではなく、あくまでも音。募集は「カタカナで」ということなので。

「ウェィウェィ」

「イェンイェン」

「ピョムピョム」

「ピャムピャム」
 
 
 
 
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2017/07/26

イラン映画 『ボーダレス ぼくの船の国境線』 を観て

170726(イラン ヤズド・マスジェデジャーメ)


第27回東京国際映画祭で、「アジアの未来部門」の作品賞を受賞したイラン映画『ボーダレス ぼくの船の国境線(原題:Borderless)』を観ました。

政治的メッセージが難しいイラン映画では、子供が主人公の映画が多く(そうならざるを得ないところもあり)、これもまた子供目線の映画の一作品ということでしょう。

「イランとイラクの国境付近の川に浮かぶ一隻の古ぼけた船。そこに住む少年と侵入者たちの言葉を越えた交流を描いた感動作。ペルシャ語、アラビア語、英語を話す登場人物たちは、最初から最後まで言葉によるコミュニケーションをとることができない。1980年代のイラン・イラク戦争後、今もなお紛争が続く中東の厳しい現実がリアルに描かれる一方で、時代設定や彼らの国籍、年齢について、映画は多くを語ろうとしない。また、プロの役者でなく地元に住む素人の子供たちを起用することで、彼らの豊かな表情と身振りを見事に描きだしている。」(Lucky Nowの「【ボーダレス ぼくの船の国境線】子供が主人公の名作が多いイラン映画」から引用)

この映画を観て、韓国映画『トンマッコルへようこそ』を思い出しました。

韓国軍兵士、北朝鮮軍兵士、アメリカ軍兵士が、偶然にも、桃源郷の村「トンマッコル」に迷い込み、最後は、村を守るという話です。「殺しあう」「闘う」ことが馬鹿らしくなるほど、村人は素朴で善良です。実際兵士たちは、敵ながらも、お互いを認め合うようになります。

『ボーダレス』でも、国境の廃船で3人が出会いました。主人公の少年はイラン人、赤ちゃんを連れた女の子はイラク人、そして脱走兵らしいアメリカ人。

3人はそれぞれ「敵」でもあるわけです。偶然この廃船で出会い、つかの間、3人の共同生活が始まります。そこが『トンマッコルへようこそ』と似た状況です。

誰のための戦争なんだろう?と考えてしまいます。戦争は国対国でやっているだけ。この3人にとっては迷惑な話でしかないということです。

イラクの少女は、アメリカ兵から村を焼かれたらしく、最初このアメリカ兵に憎悪をむき出しにしますが、このアメリカ兵がやったわけではなさそうです。少女はそれに気が付きます。ひとりの「人」として見えるようになり、「敵」というレッテルは取れました。それからだんだん心を通わせるようになっていきます。

またこの映画では、あまりセリフがありません。まぁ、実際、こんな状況だったら、言葉は無意味です。むしろ表情や身振り手振りが大切です。言葉が通じなくても、心は通い合うということはよく言われますが、俺も外国旅行での体験からそれは感じます。言葉が逆に障害になることもあります。

セリフが少なく静かな中、船の床板や部品の金属音が擦れ合い、ギシギシした音だけが耳障りです。はっきり言って不快でした。

でも、そこに、かえって子どもたちの置かれてる環境(戦争状態も含めて)の過酷さ(痛さ)が表現されているのではないかと思いました。鉄の船の中で裸足で生活するすることを想像するだけで、痛さが伝わってきます。

唯一、アメリカ兵のキャスティングはこれでよかったのかなぁと疑問が残ります。マッチョで少し怖い感じなのです。

じゃなくて、もっと細面の優男であったら、子供たちの恐怖心も薄れたのではないかなと思うし、本人がこの戦争に嫌気がさして脱走することにした事情も、もっと説得力を持った気がするのですが。
 
 
 
 
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2017/07/25

【犬狼物語 其の百七十六~百七十七】 東京都三鷹市 西牟礼御嶽神社&東牟礼御嶽神社

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170725_4(西牟礼御嶽神社)

 

170725_5(解体中の東牟礼御嶽神社)

 

170725_6(解体中の東牟礼御嶽神社)

 

 

京王井の頭線の三鷹台駅から南西に歩いて約20分。

 

西牟礼御嶽神社は、人見街道と連雀通りの分岐点にありました。境内は狭いですが、ちゃんと掃き清められていて、社にはお札と、参道には1対のお犬さまが奉納されています。小さいながらも地元の信仰がきちんと続けられていることを感じさせます。

 

西牟礼御嶽神社の撮影を終えて、東の方向へ2kmほど歩いたとき、道に迷ってしまいました。

 

たまたま道で掃除をしていたおばさんがいたので、東牟礼御嶽神社の場所を尋ねたら、

 

「昨日から壊していますよ」

 

というのです。どういうことですか?と聞き返すと、このおばさんも御嶽講の講員だそうで、

 

「先日、本山の御嶽神社の方から神主さんがみえて、魂(神霊?)を抜く儀式も済ませて、ちょうど昨日から神社を壊し始めたんです。急いで行かれたらいいですよ」

 

お犬さま像はどうですか?と聞くと、

 

「まだあるかもしれません」

 

という。

 

神社を管理している人ならもっと詳しいことが分かるのでは?と教えられ、あとで、訪ねてみることにしました。

 

そこから300mほど行くと、道路の拡張工事のため、社殿の半分ほどが壊されたところでした。ちょうど正午過ぎで昼の休憩時間だったので、工事は中断していました。

 

中を覗いたら、お犬さま像は見当たりません。すでに撤去された後だったようです。1基の石碑がかろうじて残っていました。それは昭和51年、御嶽神社屋根銅板工事の時に寄贈された碑でした。

 

なんということでしょうか。実は1週間前に訪ねる予定だったのです。あの井の頭公園とオオカミ伝説の「犬むすびの松広場」を訪ねた時です。そのまま牟礼御嶽神社も撮影しようと思っていたのですが、猛暑に耐えられず(頭痛もして)、次回、続きをやろうと思ったのが失敗でした。1日差で、神社の写真を撮りのがすとは。貴重な資料を失ってしまいました。

 

神社を管理をしていいたお宅では、突然の訪問にもかかわらず、状況について教えてくれました。

 

前日、地元の神社の神主さんを呼んで、お祓いをしてもらい、解体作業を始めたといいます。

 

ここでは毎年10月14日、15日の祭りに、本山である青梅市の武蔵御嶽神社から神職さん(御師さんのこと?)が来られて、お札を頂戴していたという。去年は不幸があったので祭りはやっていません。だから一昨年が最後になったとのこと。

 
 
 
 
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2017/07/24

【犬狼物語 其の百七十五】 東京都足立区 六町神社のお犬さま像は「闘志型」

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つくばエクスプレス・六町駅の東、約300mほどのところに、玉垣に囲まれた六町地域の氏神様、新しい六町神社が鎮座します。

区画整理事業によって新築された神社だそうです。現在、周りは区画整理真っ最中で、「立ち入り禁止」の看板が立ち、フェンスが張りめぐらされています。「入れない」と思ったのですが、フェンスを回り込んだら、北側からの道が神社境内に通じていました。(駅の方から来るとすぐわかります)

山間の古社の苔むした感じとはまた違った趣があります。清潔感が漂っています。つくばエクスプレスの駅から近いということもあって、未来を感じさせる神社でもあります。

これから風雪雨晴や周辺の人々の喜怒哀楽が、毎日毎日この場に上書き保存されていくはずです。なので、あと数百年経てば、歴史を感じさせる「古社」になっているでしょう。

境内の「六町神社の由緒」の碑文によれば、神社は「三峰様」とも呼ばれ、もともと六月村の出である清水家の屋敷神だったようです。昭和8年(1933年)に近くの3つの神社を合祀して六町神社になりました。

平成21年(2009年)に700mほど離れたところから遷座し、この新らしい社殿が完成しました。地域の人たちにとっては大事な場所なので、移築して縮小しないようにと土地を寄付し合い、174坪の規模の神社になったそうです。

そして立派なお犬さま(狼)像が新社殿を護っています。三峯神社の三ツ鳥居に鎮座するお犬さまと似ている筋肉質のお犬さま像です。

現代ではあまり使われなくなりましたが(とは言え、初対面ではそんなイメージを持ってしまいますが)、クレッチマーが20世紀初頭に唱えた人格類型論があります。体形、気質、性格特徴を関連付けるものです。

たとえば、やわらかで丸い体形の「肥満型」は、陽気で快楽的であり、「細長型」の人は控えめで過敏なところがあり、筋肉の発達している「闘志型」は、自己主張的で精力的という人格類型です。

クレッチマーの類型論で言うと、六町神社のお犬さまは「闘志型」です。

クレッチマーではないですが、お犬さま(狼)像は、あきらかにタイプがあります。それがどのくらいの数に分けられるかわかりませんが、年代、場所などによって、お犬さま(狼)像のタイプ分類は調べたら面白いかもしれません。
 
 
 
 
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2017/07/23

【犬狼物語 其の百七十四】 東京都足立区  上谷中稲荷神社内三峯社のヨガポーズのお犬さま像

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北綾瀬駅を出て、北へ約300mほど歩くと、上谷中稲荷神社があります。社殿前には跳ねたお狐さまが鎮座する稲荷神社の世界です。

境内の右奥へ進むと、平成3年に建立された三峯社があります。台座のプレートには「三峯山氏子中」の奉納者の名前が刻んでありました。秩父・三峯神社から勧請したものではないでしょうか。

そしてヨガのポーズをしているような1対のお犬さま像が鎮座しています。これは稲荷神社の跳ねたお狐さまの影響なのでしょうか。同じようなポーズです。躍動感があり、すばらしい造形です。ただ腰痛持ちの俺には、少し辛いポーズに思えます。

今のところ、実際に拝見したのはここが初めてですが、お犬さま像を調べた中では、他にもヨガのポーズのお犬さまがいらっしゃったような気がします。どこだったか忘れましたが、そのうち巡り会えると思います。
 
 
 
 
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2017/07/22

台湾のヒアリ(紅火蟻)探知犬。ビーグル犬が救世主になるか

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台湾にはすでにヒアリが上陸しています。ヒアリは「紅火蟻(入侵紅火蟻)」と呼ばれているらしい。

その駆除に、ビーグル犬が活躍しています。

ヒアリの巣を嗅覚で見つける探知犬は、ほとんどビーグル犬だそうです。

さすが鼻がいいビーグル。それはヴィーノと暮らしている中で、俺も日々実感しています。視覚ではヴィーノに負けない自信がありますが、嗅覚では無理です。

TVで見ましたが、台湾からこの探知犬のレンタルが可能だそうです。2匹を8日間レンタルすると280万円(作業員4名ふくむ)だそうです。高いのかどうなのか。

子犬の部屋」というHPには、犬の嗅覚について書いてあります。

犬の嗅覚能力は、夏場、4割ほど落ちるといわれているそうです。それは「パンティング」と呼ばれる口呼吸によって絶えず体温を下げ続けていなければ、熱中症にかかってしまうからだそうです。

そういえば、最近のヴィーノはいつも口呼吸していますね。人だけじゃない、この暑さには耐えられません。

またこのHPには、嗅覚を生かした犬の仕事のリストが載っていました。

麻薬探知犬、警察犬、ガン(癌)探知犬、遺体探知犬、放火探知犬、トリュフ探知犬、シロアリ探知犬、ハブ探知犬。このあたりはまぁまぁ想像できる範囲です。

面白いと思ったのは、DVD探知犬? 「主として違法コピーで大量に複製された海賊版DVDを、空港などで探知します。DVDに含まれるポリカーボネイト樹脂の臭いを嗅ぎ取ります。」とあります。

トコジラミ探知犬? 「2010年、ニューヨークでトコジラミが大発生した折は、トコジラミ探知犬という特殊な能力をもつ犬が発見に貢献しました。」だそうです。

考古学犬? 「オーストラリアのドッグトレーニング協会に所属する「ミガルー」という名の雑種犬が、肉片のついていない人骨をかぎ当てることができる、世界初の「考古学犬」として活躍しています。」とのことです。

いろいろありますね。

そして今、「紅火蟻探知犬」が台湾で活躍中ということです。沖縄ではすでにレンタルしたことがあるようです。気候風土が近いので、それだけヒアリに対する危機感が大きいということでしょう。

農家は深刻です。棚田や畑などの耕作地にヒアリが住み始めたらたいへんです。なんとかヒアリの侵入と定着を防がなければ。でも、それが可能なのかどうか。日本の運命はビーグル犬にかかっている?
 
 
 
 
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2017/07/21

【犬狼物語 其の百七十三】 東京都足立区 千住神社内の三峯神社

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北千住の駅から歩いて約25分のところ、静かな住宅街の中に千住神社があります。

ここにも冨士塚がありました。浅間神社を勧請した「千住宮元富士」です。

大正12年に築かれましたが、一度大震災で崩壊し、昭和11年に再び築かれました。

また願掛け恵比寿さんの像があり、台座が回転するようになっています。男は左回り、女は右回りで回した後、願いに応じた願掛け箇所をハンカチで撫でるのだそうです。だから俺は回した後、頭を撫でました。

恵比寿さんの隣に境内社があります。これは恵比寿神社、八幡神社、三峯神社の三社を祀る小社で、向かって右側が三峯神社です。それで両側にお犬さま像が1対鎮座しています。

お犬さま像は、弘化2年(1845年)に奉納されたものです。かなり古いものです。すばらしい曲線ですね。とくに後ろから見るとよくわかります。かなり洗練された造形ではないでしょうか。

残念ながら、右側の像の顔のマズル部分が欠けています。

そう言えば、全国各地のお犬さまでマズル部分が壊れていた像を何度か見ましたが、「阿吽」の「阿」像が多いような気がします。口が開いているので石材が薄くなって、壊れやすいからでしょうか。

ちなみに、本山の三峯神社には、年代が分かっている秩父で最も古い、文化7年(1810年)のお犬さま像が拝殿に上る階段の左右に奉納されていました。

また、大岳山山頂直下の大岳神社(まだ行っていません)のお犬さま像は、宝暦9年(1759年)に奉納されたもので、国内で2番目に古いそうです。
 
 
 
 
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2017/07/19

【犬狼物語 其の百七十二】 東京都墨田区 長命寺「六助塚」

170719_1(桜橋から望む隅田川と東京スカイツリー)

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170719_3(長命水の井戸)

170719_4(芭蕉の句碑)

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墨田区向島に桜餅で有名な長命寺(通称:風流寺)があります。

ここにユニークな犬像があるとわかったので参拝しました。

隅田川にかかる×字形の桜橋を渡ると、左岸には明治4年に建てられた墨堤常夜灯が残されていました。渡し船には灯台代わりになった常夜灯です。

その常夜灯の東側に長命寺があります。

境内には「長命水」の井戸と多くの石碑がありました。遠く空には東京スカイツリーが見えます。

長命水の由来によると、徳川三代将軍家光が御鷹狩りで当地を訪れたとき、急に腹痛をもよおし、井戸水で薬を服用したところ、傷みが止まったので、長命水と命名されたそうです。

境内に点在する30基ほどの石碑の中には、芭蕉の句碑「いささらば雪見にこ路ふ所まで」もあります。その他、歌碑、俳句碑、狂哥碑、筆塚、人物碑、墓石など様々です。

その中に明治21年4月建立された「六助塚」の碑と犬(頭)像がありました。

石碑の高さは152cmの細長いものでした。上部に「鼠取誉犬」とあります。その下には漢文で顕彰文が彫られています。この碑がユニークなのは、碑の根本に六助の頭像が転がっている点ではないでしょうか。

いや、もちろん「転がっている」わけではないのでしょうが。頭は幅20cm、長さ28cmあります。でも、どうして地面に体が埋まったような状態になっているのか、不思議です。

六助とはどういった犬だったのでしょうか。

倉林恵太郎氏の「鼠を取(捕)る飼い犬「六助」」に、碑文が掲載されているのでそこから引用させてもらうと、

「名前は六助,生まれつきの性質は強く,ものごとに屈せず,幼いときより北新川のある酒問屋で飼われていた。飼い主に対して忠実で家を守り,また勤勉であったが,この犬は鼠を取る珍しい技能を持っていた。おおよそ,鼠の類に遭遇した場合,数々の猫より身軽ですばやさが優り,鼠は死をまぬがれることはなかった。これをもって六助は鼠を取り,数年間,人に対して被害を加えなかった。突然,屠犬者によって斃死した。縁故の皆様が悲しみ,その不幸のため資金を集めて碑を建てて,その魂を慰さめた。」

とあります。

ネズミを捕るという珍しい犬でした。猫よりも身軽というのだから小型犬だったのでしょうか。犬像を見ると、柴犬のようにも見えます。

特殊技能の持ち主ですが、慰霊碑まで建ててもらっているのだから、ネズミを捕らなくても愛されていた犬に違いありません。

ところで、首だけ地面にあるのがユニークな犬像なのですが、これを見て、あることを思い出しました。。

【犬狼物語 其の九十二】石原賀茂神社 例幣使一行を助けた救命犬之像」でも紹介したように、切られた犬の首が大蛇に食らいついて、下にいた人間を助けるという話です。(小白丸型伝説)

結局、首を切られてまで人間を助けた犬の忠義を称える話でもありますが、逆に言えば、人間は、吠える犬の首をはねてしまう(犬を信用していなかった)という後悔の話にもなっています。

六助は、野犬狩りに殺されたようです。明治時代になって、無主の犬は、一掃されてしまうわけですが、おそらく六助は酒問屋で飼われてはいても、日ごろは自由に歩き回っていた犬だったのかもしれません。だから野犬と誤解されて殺された。

六助は理不尽な死に方をしたということにもなるでしょう。その思いは、かわいがっていた人たちも同じだったはずです。

それであえて、首だけ(首を落とされた状態)にしたのかもしれません。つまり、六助の怨念を鎮めるためと、殺した人間への恨みも込めて。

Wikiの「犬神」には、犬の頭がどれだけ霊力が強いかという話があります。(愛犬家は卒倒しそうな内容です) 六助の飼い主たちがここまで考えていたかはわかりません。

もしかしたら、頭だけ地面から出ていて、実際は、地中に全身が埋まっているのかもしれませんが、そうなると、話はまた違ってきます。(そのうち寺で聞いてみるつもりです)

ところで、六助が飼われていた酒問屋は「北新川」とありますが、倉林氏は、現在の永代橋西側、中央区新川1丁目付近だろうと推測しています。長命寺からは南へ約6kmのところです。


後日、寺でお聞きしてみました。どうして頭だけ置いてあるのか、もしかしたら地中に胴体が埋まっているのか、といったことです。でも、胴体が埋まっていることはないそうで、では、どうして頭だけなのか、ということなどを含めて、六助塚の資料などは、すべて震災で焼けてしまったそうで、残ってないそうです。
 
 
 
 
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2017/07/18

【犬狼物語 其の百七十一】 旧2円切手のモデル秋田犬「橘号」

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これは旧2円切手の秋田犬。

よくこんな切手を持っていたなぁと思いますが、小学・中学のとき、学校で切手集めが流行って、俺も一時期集めたことがあったのです。でも子供なので、高額な切手は買えず、郵便局で普通に買えるものが中心だったと思います。

秋田犬2円の発行日は、昭和28年(1953年)年8月25日。発行されたとき、初日カバーには、忠犬ハチ公の写真が使われていたようです。なので、この切手の秋田犬もハチ公だと思った人がいたとしても不思議ではありません。紛らわしい初日カバーですね。

実は、モデルはハチ公ではなく、「橘号」だと言われています。 「橘号」は昭和18年3月15日生まれの雌の秋田犬の純血種です。

どうしてこの犬がモデルに採用されたのか、調べてもよくわかりません。どなたか知っていましたら、教えてください。

当時、封書10円、はがき5円だったので、2円切手はそれほど使われなかったのですが、1989年の消費税導入で封書62円になったことでたくさん使われたようです。

1953年から1988年までの初代のデザインと1989年から2002年まで発行された2代目のデザインは違います。2代目には「NIPPON」の文字が入りました。これは初代の2円切手です。
 
 
 
 
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2017/07/17

【犬狼物語 其の百六十九~百七十】 東京都武蔵野市 狼伝説の「犬むすびの松広場」&中町三峰神社

170718_1(犬むすびの松広場)

170718_2(犬むすびの松広場のゴヨウマツ)

170718_3(玉川上水)

170718_4(旧三鷹橋)

170718_5(中町三峰神社)

170718_6(中町三峰神社)

170718_7(中町三峰神社)

170718_8(中町三峰神社)


JR吉祥寺駅を出て南に歩くと、そこは市民憩いの場所、井の頭公園です。江戸時代は3代将軍徳川家光が鷹狩をした森でもありました。ここを御犬が走り回ったのでしょう。

またこのあたりには狼の伝説も残っています。井の頭公園の森林は、昔の武蔵野の原野を少しだけほうふつとさせる場所です。昔は狼もいたんだろうなぁと想像させます。

公園から南に歩き、玉川上水にぶつかったら、それを遡る(三鷹駅方面)と、武蔵野市御殿山2丁目に、小さな公園(広場)があります。平成27年4月に開園した「犬むすびの松広場」です。

公園の解説看板には、

「江戸時代から厄除けの松と知られ、武蔵野市の民話に語り継がれてきた「犬むすびの松」(クロマツ・推定樹齢100年)が、平成元年、マツクイムシなどの被害を受け伐採されました。

伝承によると、近くの旧家の敷地内に当時「山犬」と呼ばれたオオカミの親子が住み着き、田畑を荒らすキツネやタヌキを退治することから、多くの農民から神様・厄除けとして崇められていました。

あるとき、そのオオカミが死んでしまったため玉川上水沿いの松の根元に葬りました。毎年命日の4月15日には握り飯(赤飯)を供え、「厄除けのお犬さまのおむすび」として農民や子供たちに配ったと伝えられています。麦や雑穀を主食にしていた地域の人たちにとって握り飯は大変なごちそうであったそうで、オオカミ信仰としてのこの習慣は昭和15年ごろまで続いたとされています。」

とあります。

「オオカミの親子」とありますが、伝説には「オオカミの夫婦」という別バージョンもあります。また、オオカミが死んだのは、野犬狩りにあったとされる伝説もあるようです。

武蔵野市役所で確認したところ、公園にはゴヨウマツが植えられていますが、看板にもあるように、オオカミが葬られたもともとの「犬松」は、ゴヨウマツではなくクロマツだったそうで、これがマツクイムシにやられてしまって、平成元年に伐採されてしまいました(その3年ほど前から枯れ始めていました)。

このオリジナルの「犬松」があった場所は、公園の150mほど上流、三鷹駅側にあったそうです。玉川上水の左岸です。

玉川上水は、承応2年(1653)年に江戸市中に飲料水を送るために43kmにわたって開削された水路です。

都会の真ん中の用水路というイメージとは違って、水面は木々に隠れて暗く、大きな木も生えています。樹齢100年の松がここに生えていても違和感はありません。

さらに進むと、JR三鷹駅に至り、ここに昭和32年(1957年)6月に架けられた旧三鷹橋の一部が保存されています。

ちなみに、これはオオカミ伝説と関係ないのですが、右岸には「玉鹿石」というものもあります。これは太宰を偲んで、故郷の青森県五所川原市金木町産の玉鹿石を置いたもので、このあたりで、太宰は入水したそうです。

「犬むすびの松広場」から北へ、中央線のガードをくぐってさらに1kmほど行った交差点の近くに中町三峰神社が鎮座します。ビルと駐車場に囲まれ、交通量も多い神社です。

1対のお犬さま像が守っています。

それと、何でしょうか。社にお供えしてあった2つの石は。偶然そこにあったわけではなさそうだし、何か意味がありそうです。長さ10cmほどの石自体、普通の石ではないようにも感じました。

だれか、この石の意味を知っていたら教えてください。
 
 
 
 
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夢日記 「人型の光」

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久しぶりで印象的な夢を見ました。

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同心円状に後光を発している人型をした光が見えた。

男の上半身らしい。

それを見て、俺は「この人は知っている」と思った。

神々しい感じで、胸が苦しくなる。

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この神々しく光る人型を見て、俺は「知っている」と思っています。そこには、何か物語があって、それが救いになっている(知っている)、といった意味ではないかなと、解釈します。

最近は、オオカミ伝説や犬の忠犬物語を探していますが、あまりそれが史実かどうか、ということにはこだわらなくなりました。

ただ、それが語られている、ということが何らかの意味があり、その語る人たちにとっては大切なのです。きっと心の現実を表しているからでしょう。

昔話だけではありません。たとえそれが幻想であっても、ある物語を信じることは、生きる希望を持つためには必要とも言えます。
 
 
 
 
 
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2017/07/16

仁科邦男著 『伊勢屋稲荷に犬の糞 江戸の町は犬だらけ』を読んで

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仁科邦男氏の本には、お世話になっています。

『全国の犬像をめぐる』でも、お伊勢参りや金毘羅大権現へお参りした代参犬「おかげ犬」や「こんぴら狗」の章では、『犬の伊勢参り』、『犬たちの明治維新 ポチの誕生』が大変参考になりました。

そして今回読んだのは 『伊勢屋稲荷に犬の糞 江戸の町は犬だらけ』。

「伊勢屋稲荷に犬の糞」という言い回しが気になって著者は長年調べてきたそうです。

「伊勢屋稲荷に犬の糞」とは、「伊勢屋」という屋号の店や「稲荷神社」など、江戸に多いものを並べたもので、実際、江戸後期は犬だらけで、犬のウンチも多かったようです。

意外なものが最後に来ていることと、伊勢屋の「い」、稲荷の「い」、そして犬の「い」と、韻を踏んだところが面白い。多少の皮肉やからかいの気持ちも入っているようです。

だからこれは江戸の人間が当時言っていたことではなくて、明治になってから、江戸を懐古して言われ始めたようです。

犬のウンチを踏んで最悪な気持ちになるというのは、俺も実体験があるのでよくわかります。

今はどうなのか分かりませんが、30年前、フランス・パリで、日本レストランのギャルソンとして3か月間ほどアルバイトをしていた時は、よく踏んじゃっていました。踏むだけならいいのですが(それだけでも大変ですが)、それが滑るのです。滑って転んだりしたら最悪です。

パリは犬のウンチが多い街だとわかってきましたが、初め、信じられませんでした。まさか、この華の都、おしゃれな街パリが、犬のウンチだらけだったとは。ガイドブックにも書いてなかったし、兼高かおるさんもそんなこと言っていませんでした。

最先端ファッションに身を包んだ女性が、シャンゼリゼ通りで立ち止まって、ハイヒールの裏側に着いた犬のウンチを木の枝で取っているところを目撃し、俺は、見てはいけないものを見た気がしてショックを受けたのでした。

高学歴で優秀で弱い人の味方を標榜していた自民党の豊田真由子衆院議員が、裏では「ハゲ~ッ!」「違うだろ!」「このボケ~ッ!」などと、秘書たちに罵声を浴びせていたことが話題になっていますが、パリの犬のウンチは、それに劣らずですね。

江戸では犬は地域犬として、自由に走り回っていたし、その犬のウンチは、人糞や馬糞と違って肥料にもならず、放置されていたようです。乾燥して風で飛ばされ、雨で流されて、自然になくなっていたので、あえてウンチを取る人もいなかったのでしょう。

ところで、この本の中に、もう一つ、面白いなぁと思ったところがあります。それは「お魚くわえたどら猫、追いかけて~」という歌がありますが、江戸で魚をくわえて逃げるのは犬だったようで…。

「神奈川横浜新開港図」という絵には、魚をくわえた犬が天秤棒を持った魚屋から追われているシーンがあります。これって、今なら犬じゃなくて、猫だよなぁ。

江戸の人たちは、犬の好物が魚だと思っていたらしいのです。実際、犬は、魚の頭などの残飯を食べていたということもあります。タンパク質といえば、当時はほとんど魚だったでしょうし。

綱吉時代、中野に犬屋敷「お囲い」が作られましたが、収容された犬には、白米と生魚までふるまわれていたといいます。贅沢料理と運動不足で、死んでしまう犬がたくさんいたそうです。贅沢が幸せかどうかわからない、という話にもなっています。
 
 
 
 
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2017/07/15

【犬狼物語 其の百六十七~百六十八】 東京都杉並区 荻窪白山神社内の三峯神社&宿町御嶽神社

170715_1(荻窪白山神社の拝殿)

170715_2(荻窪白山神社内の三峯神社)

170715_3(荻窪白山神社内の三峯神社)

170715_4(荻窪白山神社内の三峯神社)

170715_5(荻窪白山神社の和み猫)

170715_6(荻窪白山神社の手水舎の猫像)

170715_7(宿町御嶽神社)

170715_8(宿町御嶽神社)

170715_9(宿町御嶽神社)


荻窪駅ビルを出て、飲食店街を1、2分歩くと、荻窪白山神社の鳥居があります。木陰が嬉しい参道を100mほど進むと、神社の境内に至ります。ここは昔「歯の神様」として知られていたそうです。

社殿の右奥、玉垣で囲われた一角、後ろのビル群を背に末社の三峯神社が鎮座します。

右側に猫像がありました。ぐで~と横たわる猫です。「和(なご)み猫」というらしい。寝てる猫像は境内に2体ありました。この白山神社のマスコット的存在です。

三峯神社には猫像はあってもお犬さま(狼)像はありませんでしたが、左右に立つ柱には、かろうじてお犬さま像のレリーフがありました。

そう言えば、手水舎にももう1体。猫像が掲げ持つ白い玉から勢いよく水が流れ出ています。

何か、猫はいわれがあるのかと思ったら、特別なく、猫が好き、という理由のようです。きっと宮司さんは猫派なんでしょうね。全国的にも、猫像は犬像と比べて少ないので、「和み猫」は貴重な猫像かもしれません。
 
 
 
白山神社から青梅街道に出て西へ1.5kmほど行った消防署の先に宿町がありました。

場所がわからずうろうろし、自宅前を掃除していたおばさんに場所を尋ねたとき、スマホで調べようとしてくれたのですが、突然思い出したようで、

「そう言えば、小さな神社ならこの先にありますね」

といいました。きっとそこに違いないと、お礼を言って去ろうとしたら、

「何があるんですか?」

と聞かれたので、

「狼像があるはずなんです。全国の狼像を探してるんで」

というと、

「私、寝間着じゃなかったら、いっしょに行きたかったんですが」

といいました。これは寝間着だったんだ…

彼女の言うとおり、100mほど進むと宿町御嶽神社はありました、柵に囲われた建物は宿町集会所でもあるようです。宿町は、「上井草村宿」という江戸時代からの地名だそうです。

小さな社前には1対のお犬さま像が控えています。

像は、以前、大泉八坂神社土支田北野神社を参拝した時のお犬さまと同じタイプのようです。

明治45年(1912)に奉納されたものだそうで、かなり傷んでいて、修復された痕も見えます。

細身の体で、顔つきは鋭く、ちょっと怖い。守護像としてはふさわしいお姿です。

大都市の中に忽然と現れる狼像。面白いと思います。
 
 
 
 
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2017/07/14

【犬狼物語 其の百六十六】 東京都渋谷区 ビクタースタジオのニッパー像

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JR千駄ヶ谷を降り、神宮前2丁目のビクタースタジオまで歩きました。

途中、大きな工事現場を通過します。2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて工事が進んでいる新国立競技場(オリンピックスタジアム)です。

大きなクレーンが何基も立ち並び、工事車両が頻繁に出入りしています。

ビクタースタジオは、そんな工事現場の向かい側にあります。そしてニッパー像は、玄関の右側、台座に乗って首をかしげるようにしてお座りしています。

ちなみに「ニッパー」とは、「少年」とか「小僧」とかいう意味らしい。

Wikiによると、

「ニッパー (Nipper) は、絵画『His Master's Voice』のモデルとなったイヌ。蓄音機に耳を傾けるニッパーを描いたその絵画は、日本ビクター(現・JVCケンウッド)やHMV、RCAなどの企業のトレードマークとして知られる。」

「ニッパーの最初の飼い主は、イギリスの風景画家マーク・ヘンリー・バロウドであった。1887年にマークが病死したため、弟の画家フランシス・バロウド(英語版)がニッパーを引き取った。彼は亡き飼い主・マークの声が聴こえる蓄音機を不思議そうに覗き込むニッパーの姿を描いた。」

それが『His Master's Voice』。

主人の声に耳を傾けているところを想像すると、胸がきゅんとしてしまいます。亡くなった主人の声を覚えていて、どうしてここから聴こえてくるんだろう?と不思議に思った仕草かもしれません。

絵やロゴマークでは、ニッパーは、耳だけ黒くて、全身が白い犬ですが、像はブロンズ製なのか黒褐色です。手前に蓄音機もないので(台座には絵が描いてありますが)、今まで見てきた見慣れたニッパー像とは雰囲気が違います。この像だけでは首をかしげているのがどうしてなのかわかりません。

ヴィーノも、口笛なんか吹いたとき、何の音だ?というふうに首をかしげることがあります。犬にとって敏感な音というものがあるのでしょう。聴覚に関しても、人間は犬にはかないません。犬は、人間が聞き取れない高周波数音も聞き取っています。すばらしい能力です。

なので、今ニッパーは、新国立競技場の工事の音を聴いて、首をかしげている、というふうに見えます。

その音は、未来の輝かしい音なのか、それとも何かごたごたして雑音が多すぎる不快な音なのか。

2020年のオリンピックは、新国立競技場のデザインの問題やら、競技場の建設場所や費用の問題やら、そしてエンブレムのパクリ問題やら、雑音が多すぎるような…。

ニッパーも「なんだ? このオリンピックは」と思っているのかも。

ところで、大手レコードショップの「HMV」とは「His Master's Voice」のことだったんですね。
 
 
 
 
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2017/07/13

2018年(平成30年)版「旧暦棚田ごよみ」の準備

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例年より早く、来年(2018年、平成30年)版の「旧暦棚田ごよみ」の準備を始めています。

第23回全国棚田サミットは、2017年9月28日~29日開催で、これに合わせる意味もあります。

今年のサミットは、長崎県波佐見町で、テーマは「棚田は21世紀の社交場」です。

来年の春節(旧正月)は2018年2月16日です。まずは、日付と季節、それから地域的なばらつきを考えながら、暦用の写真を13点選びました。

例によって、毎年、2月、3月とか、11月、12月とかいう月の棚田は、なかなか写真的には「中途半端」で、撮影点数が少ないということがあって、選ぶには苦労する月です。(初夏や秋の写真は多いのですが)

それでも、数年前から旧暦棚田ごよみを作るようになって、どこか地方へ行ったときは、ぜんぜんきれいではなくても棚田写真を撮るようにはしているつもりです。

それと最近は、春に東日本方面、秋に西日本方面に行くことが多く、地域と季節の偏りができてしまっているという事情も少しあります。

そんな中でも、去年秋から今年春までに撮影した新作、撮りおろし写真も含む棚田14点(表紙写真と、あいさつ文のカット写真も含めて)で構成します。

表紙は、福岡県八女市の「鹿里棚田」の、彼岸花祭りのころの秋の写真に決まりました。

「旧暦棚田ごよみ」の詳細が決まりましたら、お知らせします。
 
 
 
 
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2017/07/12

今日は二十四節気「小暑」、次候「蓮始開(はすはじめてひらく)」

150712_1(長野県松本市 松本城のハス)

150712_2(埼玉県加須市 オニバス)


今日から二十四節気「小暑」の次候「蓮始開(はすはじめてひらく)」です。

ハスの花が開き始める季節。上の写真は、長野県松本市松本城の池(堀?)で撮影したハスの花です。

ハスといえば、実が、ベトナムなど東南アジアでは砂糖漬け(甘納豆)や甘いデザートの具として食べられています。大好きです、ハスの実が。

下の写真はオニバスです。ハスはヤマモガシ目ハス科の植物ですが、オニバスというので「ハス科」だと思ったら、オニバスはスイレン目スイレン科に属し、系統が違うようです。蓮始開(はすはじめてひらく)とは関係なかったかな。

ちなみに、オニバスは埼玉県レッドデータブックで「絶滅危惧1A類」に指定されています。
 
 
 
 
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2017/07/11

【犬狼物語 其の百六十五】 東京国立博物館 古墳時代の「埴輪犬」

170709_1(国宝 埴輪 挂甲の武人)

170709_2(古墳時代の埴輪)

170709_3(古墳時代の埴輪犬)

170709_4(古墳時代の埴輪猪[手前]と埴輪犬[奥])


昨日は、縄文時代から弥生時代にかけて日本犬がどのようにできていったか、大まかなところを書いてみました。今日は、その後の古墳時代の話です。

上野の東京国立博物館の平成館考古展示室に行くと、まず、「国宝 埴輪 挂甲の武人」がお出迎えしてくれます。「埴輪」といったらこれ、くらい有名な埴輪ですね。

昔、子供のころ特撮時代劇『大魔神』という映画がありましたが、たしか、こんな埴輪武人がモデルだったような気がします。温和な埴輪の表情から、般若の面のような怖い形相に変身するシーンが忘れられません。

展示室の中に入ると、時代順に、発掘された遺物の展示があります。物によっては撮影禁止もありますが、ほとんど、ストロボや三脚などを使わなければ写真はOKです。

今回訪れた目的は、「埴輪 犬(はにわ いぬ)」です。「古墳時代」のコーナーにありました。ただ、他の埴輪といっしょに展示されていたので、じゃっかん全体が見にくい状態でした。

この「埴輪犬」は、古墳時代(6世紀)、群馬県伊勢崎市境上武士出土で、高さが47.1cmあります。

「首に鈴を付け、飼い主と向き合った家犬の姿であろうか。少し開けた口から舌を出した様子や尻尾をくるりと巻いたしぐさなどは、人間の生活の間近にいる犬の姿を巧みに捉えている。馬・鹿・猿・鶏など、動物を写した埴輪の例は多いが、その中でもとくに優れた作品である。」(東京国立博物館 埴輪犬

そして隣には、「埴輪 猪」が立っています。この埴輪だけではなく、全国的に埴輪犬の場合、たいていは埴輪猪とセットで発掘されることが多いそうで、猟犬であることを表しているようです。犬と猪の組み合わせが狩猟儀礼の場面を構成する定型だったとのこと。

HP「狼神話」によると、朝廷には犬養部(いぬかいべ)という役職がありました。帝の御料用の狩猟犬を飼育していたところです。普通の犬ではなく、熊や猪に立ち向かう犬なので、狼を飼いならすか、もしくは狼と飼犬をかけあわせた犬もいたようです。

ちなみに、犬飼部が害獣駆除もしていたそうで、それが、例えば「しっぺい太郎」や「めっけ犬伝説」などの「猿神退治伝説」の元になっているのではないかということです。これは納得できる話ですね。

だから、この埴輪犬は可愛らしく見えますが、これが猟犬だとすると、実際はもっと獰猛・精悍な姿をした犬、狼に限りなく近い犬だったかもしれません。

じゃ、なんでこんな可愛らしい姿に作ったのか?という疑問は、たぶん、俺たちの価値観・美意識にすぎず、当時の人たちは「可愛らしさ」という観点からはあまり見ていないのではないでしょうか。

埴輪をよく見ると、強調されているのは、足の大きさ・太さですよね。当時犬に求められていた「強さ」はこれでよく表現されているのではないでしょうか。可愛く見えてしまうのは、今の俺たちが「可愛らしさ」を犬に求めているということも関係しているのかもしれません。
 
 
 
 
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2017/07/10

【犬狼物語 其の百六十四】 国立科学博物館 ニホンオオカミとハイイロオオカミ

170710_1(ニホンオオカミ)

170710_2(ハイイロオオカミ)


上野の国立科学博物館の地球館には、ニホンオオカミとハイイロオオカミの剥製が展示されています。

同じ狼でも、大きさも色も雰囲気も違います。ニホンオオカミはハイイロオオカミと比べると、ずっと優しい感じがします。今、山で見かけても、野犬とは区別がつかないかもしれません。それでも、怖れられていた存在には違いありませんが。

ニホンオオカミについて詳しく書かれた最初の本は、『日本動物誌』(Fauna Japonica)だそうです。イヌ科の部分は、1844年に発表されていますが、これはシーボルトが大坂で採取し、テミンクが研究したものです。

そこにはこのような記述があります。

「野生犬の新種族、すなわち、日本人がヤマイヌ Jamainu と言っているものは、形態、習性、毛質など、どの点から見ても、まったく、われわれの国の狼に比すべきである。ただ、肢が短い点が違っていて、ヨーロッパ狼 Canis Lupus と同族とは、とうてい考えられない。」(平岩米吉著『狼 その生態と歴史』)

とあります。ヨーロッパ狼と比べて、小ぶりだったということらしい。

この前も書きましたが、ニホンオオカミは絶滅したと言われています。だから、1905年1月23日、奈良の鷲家口で、アメリカ人のアンダーソンが猟師から8円50銭で買い取ったものが、最後のニホンオオカミと言われています。

ただし、まだ生存説を唱えている人もいます。目撃情報もありますが、確実に「オオカミだ」と言えるような情報は今のところありません。

ところで、犬の祖先はオオカミであることは確実なようですが、2015年、イヌが初めて家畜化されたのは、中央アジアあたりらしいという研究発表がありました。米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に発表された研究論文です。

「1万5000年以上前にユーラシア(Eurasia)大陸のハイイロオオカミから進化したイヌが、群れをなして放浪していた野生から、人間の主人の前でおすわりをする家畜へと歴史的飛躍を遂げた場所とそのプロセスをめぐっては、幾度となく議論が繰り返されてきた。」(イヌ家畜化、発祥の地は中央アジアか

これまでも一部の考古学者の間では、中央アジアがイヌの家畜化の発祥地だろうと考えられていましたが、遺伝学的な研究は今回が初めてらしい。長年の謎の解明に一歩近づいた感じです。

論文によると、遺伝子の分析結果は「イヌが中央アジア、現在のネパールとモンゴルのあたりで家畜化された可能性が高いことを示唆している」というものです。

「ネパールとモンゴル」とあるので、2ヶ所、という意味なのか、それとも、チベット高原とその周辺地域という意味なのか、どちらかはわかりません。

チベット高原で家畜化され、それが同心円状に伝播していくなかで、オオカミではなく、より「イヌらしい性格」になっていったというストーリーはわかりやすいとも言えます。

こちらのHP「日本犬のルーツ」によると、日本犬は、日本人の渡来ルートと関連しているということらしい。

「北海道犬と琉球犬は遺伝的に近い関係にある。」とあって、これは人間の遺伝子と同じ状況です。

日本人の成り立ちは、現在のアイヌ族の人たちと沖縄人との間では遺伝的な特徴が似ていることがわかりました。このふたつの集団は、今は南北に分かれていますが、もともとは日本列島にかなり早い段階、約数万年前にたどり着いていた集団の末裔(縄文人)で、その後、約3000年前に別な集団(弥生人)が九州や近畿に入り、日本に拡散していって、混血を繰り返し、現在の日本人ができました。

二重構造になっています。アイヌ族の人たちと沖縄人のふたつは縄文人的DNAが比較的色濃く残っている集団で、その上に弥生人的DNAが重なっているのが今の日本人。

日本犬も、南からか、北からかはわからなくても、少なくとも、大陸から人間といっしょにやってきたということで、二重構造があることがわかったらしい。縄文人は縄文犬を、弥生人は弥生犬を伴ってきたと考えることができるようです。

ニホンオオカミとの関係でいえば、日本犬は少なくともニホンオオカミから家畜化したわけではないということですね。日本列島に来た時にはすでに「犬」だったのです。

その後、オオカミと犬を掛け合わせて強い狩猟犬を作っていったということがあったようです。それについては、明日掲載予定の「埴輪犬」で。
 
 
 
 
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2017/07/09

「狼伝承と登る七ツ石山展」

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赤坂・ドイツ文化会館での「狼伝承と登る七ツ石山展」へ行ってきました。

これは丹波山村の七ツ石山にまつわる古い伝承(将門伝説)や狼信仰について、ペン画、水彩画、写真、お札・古文書のコピーなどの資料を展示して紹介したものです。

「狼」で検索したネットの情報で伺ったわけですが、とても興味の魅かれる催し物でした。ちょうど今回の写真・企画を担当した写真家の佐治多さんが会場にいて説明をしていただきました。

佐治多さんが撮影した七ツ石神社の写真には見入ってしまいました。社殿が傾き、今にも崩壊寸前で、それを一本の柱が支ええているような姿です。

社殿前の石像も片方は形がわからず、もう片方も崩壊寸前です。この前飛騨高山周辺で見た「はじめタイプ」の狛犬のようで、奉納された年代はかなり古いものだと思われます。

ところで、展示されていた古文書によると、この神社は三峯神社の奥宮だったようなことが書いてあります。本当に奥宮だったのかはわかりませんが、少なくとも、三峯神社とはかかわりがあり、この像もご眷属の狼像であることがわかったそうです。

「なんでこんなところに?」と思ってしまうのは、山の下の里で暮らし、自動車道路が便利だなと思い込んでいる現代人だからであって、考えてみれば、昔は雲取山を中心に、南北を結ぶ道だったわけで、むしろこの道が人と情報を運んだメインの街道と言ってもいいのかもしれません。だからこの神社の存在価値も大きかったはずです。

玉川麻衣さんの描いた狼の絵もすばらしいですね。鬼気迫るものを感じます。玉川さんは狼を生物学的な狼ではなく、むしろ信仰の対象として(つまり「ご眷属」「お犬さま」として)描いているようです。昔の石工が信仰の対象としてお犬さまの石像を造り上げたと同じようなものを絵から感じました。

今、神社の再建の計画もあるそうです。崩壊寸前の姿も迫力がありますが、新しい狼信仰(山岳信仰)・山の安全を見守ってくれる神社として再建されることを期待しています。

そのうち、七ツ石山に登ってみようと思います。
 
 
 
 
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2017/07/08

現代版お犬さま(狼)の物語。「自然」「安産」「絆」のシンボル

牧畜業が盛んでオオカミ被害に悩まされた欧米で、オオカミと犬を混同することはないそうです。欧米とは違い、日本の場合、オオカミはあくまでも益獣でした(馬産地を除いて)。

直良信夫著『日本産狼の研究』には、次のような記述があります。

「昔の人びとが、山犬もしくは山の犬と呼んでいたものは、真正の狼や野生犬を含めての呼び名であったことだろう。が、実際には見かけの上では、そのどちらともつかない雑犬が主体をなしていたのではなかったであろうか。(略)関東地方に遺存しているニホンオオカミの頭骨類を検してみると、狼本来の標徴を有しながらも、なおかついちじるしく家犬化した頭骨類がはなはだ多い。」

犬との雑種がいたようです。もともと、「山犬」とあいまいに呼ばれた動物は生物学的には「ニホンオオカミ」のことですが、山には、オオカミもいたし、オオカミと犬との混血もいたし、山で暮らす野犬もいたし、なかなか区別はつけにくかったのではないでしょうか。

だから「お犬さま」というのは、生物学上の「ニホンオオカミ」だけではなく、こういったいろんな「もの」を含んだ、「お犬さま」という抽象的なイメージが、大口真神、あるいは、山の神の使いとして信仰されてきたということなのでしょう。

ただ、ニホンオオカミは、絶滅したと言われています。(生き残りを信じる人もいます)

少なくとも、害獣を防いでくれる益獣としての役割は終わっています。江戸時代には、どちらかというと、火災や盗難を防いでくれるとか、狐憑きを治すのに効果があるとか、コレラに効くとか、そういった方向に変わってきました。

物語や信仰は時代とともに変化しています。時代に合った生きた信仰であれば、これからも続いていくでしょう。この「お犬さま信仰」という文化を廃れさせてしまうのは、もったいないと思っています。

では、何か、新しい物語はできるのでしょうか。

平岩米吉著『狼 その生態と歴史』には、ニホンオオカミの絶滅原因について書かれていました。要約すると、次の5点があげられるようです。

1: 狼に対する人々の観念の変化がありました。古代から「大口の真神」とたたえられ、田畑を荒らす猪鹿を退治する農耕の守護者としてあがめられてきたニホンオオカミも、狂犬病の流行で、危険極まりない猛獣と化したのです。

2: 危険な猛獣、ニホンオオカミは銃器の対象になってしまいました。

3: 銃の威力は鹿などにも向けられ、結果的に、オオカミの食料を奪うことに繋がりました。

4: 開発で、森林が切り開かれて、縄張りを喪失することになりました。

5: オオカミの美点とされる、夫婦親子などの愛情深い集団生活のために、狂犬病は伝染しやすかったことです。

この「5」の理由ですが、皮肉なことです。家庭を大切にするオオカミが、そのために絶滅を招いてしまったとは。単独行動していたから病気があまり広がらなかった熊とは対照的です。

柳田国男は、群れの解体で絶滅したという説を主張しましたが、平岩は、習性や行動を知らないための無謀な憶測だとバッサリ切り捨てています。事実は逆で、オオカミは「群れの解体ではなく、親密な群れの生活のために滅びたのである」と言っています。

オオカミの家族愛や強い仲間意識、集団行動については、別な本でも読んだことはあるのですが、人間はオオカミからこの集団行動を学んだおかげで、生き残った、みたいな説があったような気がします。犬を飼っていなかったネアンデルタール人は、だから滅んだというのです。

このように、家族・友人など集団生活を営む「絆」の象徴として「お犬さま」の物語を作り直すことができるのかもしれません。現代の物語として、です。

もちろんパワースポットという形の新しい自然崇拝のひとつのシンボルとして、そして、もうひとつは安産・多産のシンボルとして、「お犬さま」が物語られるということは当然です。

 
 
 
 
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2017/07/07

今日は、二十四節気「小暑」、初候「温風至(あつかぜいたる)」。

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今日は、七夕。これは新暦。

旧暦の七夕(七月七日)は、今年は8月28日です。まだ1か月半先です。

そして二十四節気「小暑」、初候「温風至」です。

「暖い風が吹いて来る」などといった意味です。今日も関東地方はその通りの天気になりそうです。

先日は暑い日に撮影していたら、あやうく熱中症で倒れそうになりましたが、こまめな水分補給が必要なことを実感しました。
 
 
 
 
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【犬狼物語 其の百六十三】東京都荒川区 三河島 三峯神社のお犬さま(狼)像

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「都会」と「狼(お犬さま)」という意外性があるからでしょうか、都会の中で狼を探す旅にはまってしまいますね。

そのうち、都会の狼探しの本でも作りたいと思います。

なぜか、この取り合わせに現代性も感じてしまうのです。狼が都会人に何かのメッセージを送っているような…。

今回は、都電「荒川区役所前」駅で降り、区役所を通り過ぎて1分ほどのところ、交通量の多い、明治通り沿いのビルの谷間に鎮座する三河島 三峯神社です。

鳥居がなければ、そのまま通り過ぎてしまうような小さな社ですが、奥へ進むと、マンションを背景とした三峯神社が現れます。ここに2対4体のお犬さま像がいらっしゃいます。

4体とも、色が黒いのが目立ちます。これは米軍の空襲で焼けたのでは?というHPを見て、それはありえるなぁと思いました。そう考えると、複雑な思いがします。

もともと大火の多かった江戸だったので、地元の三河島三峯講が、火難盗難除けに勧請したもの、と言われています。

また、同じ境内には、「袈裟塚耳無不動」も置かれています。

袈裟塚の上に建てられた不動明王は、左耳が無く、耳の病などにご利益があると伝えられ、穴をあけたお椀を奉納する慣わしがあるそうです。
 
 
 
 
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2017/07/06

【犬狼物語 其の百六十二】 東京都東大和市 「藤兵衛さんと狼」のベンチ

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周りには団地が立ち並ぶ東大和市中北台公園に、平成5年に設置された長さ2.2m、黒御影石の「狼のベンチ」があります。

ベンチの片側は、狼の顔がデザインされていて、もう一方には、人の顔(藤兵衛さん?)らしいものがデザインされています。

もともとこのあたりに伝わる狼伝説がもとになっているようです。

東大和市のHP「藤兵衛さんと狼」には、その狼の伝説が掲載されています。

今は多摩湖になってしまった石川の谷に、昔、藤兵衛さんという腕の良い木こりの親方が住んでいました。
ある朝、いつものように仕事場へいこうと笠松坂(狭山丘陵の中にあった)を登っていくと、大きな口をあいて苦しんでいる狼が見えました。口に手を入れて、骨を取ってやると頭をひとつさげ森の中へ行ったそうです。それからというもの、狼は藤兵衛さんを朝晩送り迎えするようになりました。
藤兵衛さんは、狼が御嶽神社のお使いで大口真神(おおぐちまがみ)といわれていたので、自分を守ってくれた狼のためにお宮を造り、朝晩拝んだそうです。 
-東大和のよもやまばなしから-

多摩湖は多摩川水系に属するので、川をさかのぼっていくと、青梅市の武蔵御嶽神社が鎮座しています。

「大正の初期に、石川の谷が東京市の水道用水池となることにきまり、藤兵衛さんの子孫は芋窪の原へ引越すことになりました。狼を祀ったお宮も、一しょに原組の住吉様の境内に移されました。そして天王様のお社の隣に祀られて、今も人びとのお参りをうけています。」(東大和の歴史 藤兵衛さんと狼(よもやま話)

1年ほど前まで、藤兵衛さんが狼を祀ったというお宮が実際に芋窪にあったのですが、市役所で確認したところ、今、道路工事のために移転作業中だそうで(移転先未定)、残念ながら見ることができません。

ところで藤兵衛さんの伝説は、狼の恩返しの物語でもあるでしょうが、日本最初のものは、平岩米吉著『狼 その生態と歴史』によると、『日本書紀欽明天皇紀』の「秦大津父(はたのおおつち)」の話にまでさかのぼるそうです。

要約すると、

商人であった秦大津父は、山道で、二頭の狼が血を出して争っているのを止めました。「汝は、これ貴き神」と呼びかけ、もし猟師に見つかったら捕らえられてしまうからと、咬み合うのを止め、血に濡れた毛を洗いぬぐって、両方とも無事に放してやりました。

その後、天皇が不思議な夢を見て、秦大津父を探し出し、大蔵省(おおくらのつかさ)に任じました。

と、いった話です。

この話を平岩は、「これは、狼に対する信仰の物語であると同時に、いわゆる狼の恩返しの物語の最初のものである。」と書いています。
 
 
 
 
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2017/07/05

【犬狼物語 其の百六十一】 東京都 忠犬ハチ公の剥製と青山霊園の墓

170710_1(国立科学博物館 忠犬ハチ公の剥製

170710_2(国立科学博物館 忠犬ハチ公の剥製

170710_3(青山霊園 「忠犬ハチ公の碑」)

170710_4(青山霊園 忠犬ハチ公の実質的な墓)


東京都の国立科学博物館には、「忠犬ハチ公」の剥製があります。

ハチ公の剥製・・・。

ハチ公は晩年、左耳が折れたはずなのですが、耳はちゃんと立った状態に「修復」されていました。

なんだか複雑な思いを感じます。有名になり過ぎて、普通に埋葬されることはなかったハチ公。この剥製では、皮と爪と指骨だけが、ハチ公自身のものだそうです。そして、ハチ公の骨格や内臓はまた別な運命をたどりました。

飼い主であった上野英三郎博士が亡くなって10年近くが経った1935年(昭和10年)3月8日にハチ公も亡くなりました。

ハチ公の墓は青山霊園にあることはすでに本でも書いていますが、少し補足説明が必要かもしれません。

というのも、青山霊園の案内図には「忠犬ハチ公の碑」とあって、「墓」とは書いていないのです。英語でも、「Hachi, the faithful dog memorial monuments」と記入されています。

どうして「碑」とあるのに、「墓」と言えるのでしょうか。

管理棟前の中央道路を南に進み、東三通りを左折、春なら桜がきれいだろうという並木を進むと、「忠犬ハチ公の碑」があります。

4メートル四方ほどの竹垣で囲った区画の奥には、「東京帝国大学教授 農学博士 上野英三郎墓」と刻まれた墓石が建っていて、右手には小さな祠があります。これが「ハチ公の碑」です。

ハチ公について新聞に投稿し、ハチ公を有名にした斎藤弘吉著『日本の犬と狼』によると、

「上野家は青山の自家の墓地に犬の墓を作って置き、同家で死んだ犬はみなその墓に埋めることになっていたので、内臓の一部分を切り取って墓に葬り、死体は上野の科学博物館に剥製のために送られた。」

「あの剥製は従来の製法と全く違って、骨格を全部取り除き、また軟い綿その他を内部に詰める等の方法を用いないで、厳密な石膏の肉付け、すなわち肉体の彫刻を作って、その上に毛皮を着せたもので、剥製についているのは爪とその指骨だけである。頭骨はじめ全身の骨格は私の研究用に引き取った。」

とあります。

また、林正春編『ハチ公文献集』によると、「昭和10年3月12日、ハチの内蔵の一片は、青山墓地の故上野博士墓前の一遇に埋葬され」と記されています。

皮は剥製になって博物館に置かれ、骨は斎藤の日本犬属研究室に収納されましたが、昭和20年5月25日の大空襲で焼失してしまいました。

バラバラになって可哀そうな気もしますが、ハチ公の霊を埋葬する祭事も行われたとのことなので、ここが実質上の墓になるようです。

博物館の剥製に手を合わせるのもへんだし、渋谷駅のハチ公像でもいいのかもしれませんが、やはり、ハチ公を偲んで手を合わせられる所は、上野博士といっしょに眠る(2016年、上野博士の奥様も合祀されました)ここが一番ふさわしいのではないでしょうか。そういう意味で、ここは「ハチ公の墓」なのです。
 
 
 
 
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2017/07/04

【犬狼物語 其の百五十九~百六十】 東京都台東区 下谷 三峰神社&小野照崎神社のお犬さま(狼)像

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下谷 三峰神社は、大正初期に秩父三峯神社分霊の神社を建立したものだそうで、東京メトロ日比谷線、入谷駅から徒歩3分、JR上野駅からでも徒歩7分という立地にあります。

ビルの谷間に鎮座する都会型神社の典型です。そこだけ、スポッと、現実から抜け出したような異空間が現れます。

そこに1対のお犬さま像が奉納されています。さらっとしたシンプルな姿です。

台座には「豊住講社」とありました。旧町名が「豊住」でした。関東地方一円に広がる三峯神社を本山とするお犬さま信仰の「三峯講」のひとつです。

HPを見ると、毎年5月に三峯神社へ登山参拝を行なっているようです。ここでもお犬さま信仰が生きています。

三峯神社 東京豊住講社
 
 
 
また、小野照崎神社は、下谷 三峰神社から7~800mのところにあります。

社殿は慶応2年(1866年)の建築で、関東大震災や東京大空襲などを免れました。また、境内摂末社としては、富士浅間神社・御嶽神社・三峰神社・織姫神社などがあります。

御嶽・三峯・琴平神社が合祀された社前にはお犬さま像が奉納されています。

また、富士塚は江戸近郊に50余りあったそうです。でも、完全な形で残っているのは、小野照崎神社の富士塚と、高松富士浅間神社の高松富士、浅間神社の江古田富士の3基だけ。いずれも国重要無形民俗文化財に指定されています。

「ここの富士塚は高さ約5m、直径約16m。塚は富士の溶岩でおおわれ、東北側一部が欠損しているものの、原形がよく保存されている。原形保存状態が良好な塚は東京に少ないので、この塚は貴重である。」(台東区教育委員会掲示より)
 
 
 
 
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2017/07/03

【犬狼物語 其の百五十七~五十八】 東京都杉並区 慶安寺の犬像&方南大山神社のお犬さま(狼)像

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170702_2(慶安寺の犬像)

170702_3(慶安寺の犬像)

170702_4(慶安寺 前野良澤の墓)

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170702_7(大山神社のお犬さま・狼像)


地下鉄丸ノ内線の駅、新高円寺を地上に出ます。懐かしい駅前です。今から30年ほど前、この近くのアパートに数年間住んでいました。

今回目的地の慶安寺は、駅から南へ約300mほど行った閑静な住宅街にあります。昔住んでいたところからは約1km離れたところでした。

寺の住職が、門前を掃除していたので「犬像があると聞いて来たんですが」と尋ねましたが、最初わからないようで、何度か尋ねるうち、「あぁ、それなら、このことかな」と言って、木々に囲まれた東屋ふうの一角に案内してくれました。

犬の像はかなり古く見えます。「戦前のものだと思うよ」と住職は言いました。だれか檀家の愛犬だったのかもしれません。記録は残っていないそうです。

像はざらざらした肌に苔が生えているので、うっすらと緑色しています。姿はビーグル犬そっくりです。

ただ、どうしてこういう造りにしたのかわかりませんが、少しうつむき加減で、どことなく寂しさが漂っています。怒られてうなだれるヴィーノのようです。

ところで犬像は、もともとはこの場所にあったわけではないそうです。

慶安寺の本堂は昭和40年ころ改築したもので、平成5年ごろ増築した時に、墓地へ続く通路に並んでいたたくさんの石仏と、この犬像を今のところに移しました。

この墓の下には、住職の愛犬3匹を含む10匹が葬られています。今でも、檀家でペットが亡くなった時は、希望があればここに納骨するようにしているという。

なお、境内には、杉田玄白ら4人とともに、『解体新書』の翻訳にあたった蘭学者、前野良澤の墓があります。墓地の一番奥の壁に接する一角で、前野家の墓地区画内にありました。
 
 
もう一ヵ所は、地下鉄丸ノ内線の方南町駅から、商店街を300mほど下ったところにある大山神社です。

小さな社ですが、1対のお犬さま像は、三峯神社の三ツ鳥居前に鎮座する狼像と似た姿です。小ぶりながら立派なお犬さま(狼)像です。境内には大山、御嶽山、榛名山の合祀記念碑が立ちます。

なお、隣は東運寺で、安寿と厨子王の故事由来の大釜が奉納されていて「釜寺」の通称で親しまれています。
 
 
 
 
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2017/07/02

【犬狼物語 其の百五十六】 埼玉県川口市 「土下座犬」と誤解された東川口駅前の親子犬像

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東川口駅前に、犬像があります。

ネットでも話題になったらしく、検索すると画像はたくさん出てきます。話題になったのは「土下座犬」と呼ばれるようになったかららしいのですが…。

そこで、2冊目の『犬像』の本で取り上げる可能性もあるので、きちんと像のことを知っておきたいと思い、川口市市役所で聞いたところ、2、3年前に「土下座犬」として話題になったようですが、あれは子供を見守る親犬の像です、とのこと。

ただ詳しい資料なども残ってないし、設置当時の関係者ももういないということで、ネット以上の情報はいまのところありません。

子ども犬の方をよく見ると、チョークのような棒を手にして地面に何かを描いています。(左利きのようです) 地面に絵を描く子どもを優しく見守る父親犬というテーマなのだそうですが、ネットでは、これを「土下座犬」と呼んでいて、「資本主義の縮図」とまで言っている人もいます。

たしかに、小さい犬が大きい犬に土下座をして謝っているふうにも見えてきます。

ただ、その土地の文化や人々の無意識があるものを、そう見せるということは明らかで、これを「土下座」と見るのは日本人的だなぁと思いました。なぜなら、土下座がない欧米人がこれを見たら、これを「土下座犬」とは見ないからです。

おそらくこれを最初に「土下座犬」と表現した人は、土下座に対して敏感な人、あるいは実際に、土下座をさせられたり、土下座を見たことがある人なのかもしれないですね。(テレビドラマではよくありますが、現実で見る機会は普通ないでしょう)

せっかくのほのぼのとした像を「土下座犬」に曲解するなんて、と、そう思うかもしれません。

ところがです。

実際、この像を見に行って気が付きました。見守っているはずの父親犬の視線は、子犬には注がれていなかったのです。父親犬の視線は、子犬を通り越して、ずっと遠く、植え込みあたりを見ているのでした。

だから俺には、父子家庭の父親が、子供を見守りながら、別れた奥さんのことをボーッと思い出しているシーンに見えてきました。

これもまた、俺の無意識が、そう見せる、ということなのでしょう。

人によって、これは「親子愛の像だ」とか「ほのぼのとした日常風景を表現した像だ」とか、それこそ「資本主義の縮図の土下座犬だ」とか、アート作品の見方がそれぞれ違うのは当然のことなのでしょう。

アートが人々の生活に潤いを与えることも必要ですが、それと同時に、社会に風を吹かせ、ざわつかせる、もっと言えば、社会を壊すこともアートの役割ではないのでしょうか。

そういう意味で、誤解を生むほど話題になったこの像の作者の意図がどこにあったかわかりませんが、アートの存在意義としては十分大きなものがある像だと言えるのかもしれません。
 
 
 
 
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2017/07/01

【犬狼物語 其の百五十五】 埼玉県志木市 弥生時代の犬像?

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道路拡張の区画整理の時に出てきた「西原大塚遺跡」で、ある土製品が、平成7年度に発見されました。

それは志木市埋蔵文化財保管センターに展示されている「動物形土製品」と呼ばれるものですが、本のあとがきにも書いた通り、今「犬像病」なので、俺の目に、これは「犬」とか「狼」にしか見えません。

管理センターのスタッフによると、以前は「弥生の犬」と呼んでいたそうですが。学問的にまだ「犬」と確定していないので、正確を期すために今は「動物形土製品」と呼んでいるそうです。

もしこれが「犬」だとすると、全国でも土製品としては唯一の資料(弥生時代では?)になるようです。両耳は立っていて、巻尾で、口までちゃんと表現されています。小型犬のようです。

遺跡は弥生時代後期から古墳時代前期のものです。この犬と思われる土製品は、1軒の住居の床から発見されました。

発見場所は特別変わった場所ではなく、何かの副葬品というのでもないようです。だから用途もわかりません。(ちなみに、隣に鳥形の酒器らしい土器が展示されていましたが、これは墓から出土した副葬品だったらしい)

不思議です。てっきり犬像は、いろんな遺跡からたくさん出土しているものとばかり思っていたので。

その勘違いは、埴輪を多く目にしていたところから来ているのかもしれません。6世紀ころの古墳時代に出土した犬埴輪を見ると、立耳巻尾です。

どうして弥生時代に犬の像がないのか。縄文時代に、犬は狩猟に用いられましたが、弥生時代になると、食用にもなっていたそうです。

ただ、少なくともこれは食用になった犬ではなく、動かしたり、置いたりして遊ぶ玩具だったのではないでしょうか。お守り、ということも考えられます。

それともアート作品だったのでしょうか。多種多様なスケール感の面白さを追求するBIG ART、SMALL ARTというのがあります。実物より、大きかったり、小さかったりするだけで、面白さを感じるのです。特に小さいものに対しては、可愛らしさや、「守ってあげたい」的な母性本能をくすぐられます。

現代でも、箱庭療法として、砂場にミニチュアの人形や動物を置いて自己表現することで、精神的な安定や安らぎを得る、ということも行われています。

これはミニチュア玩具、フィギュアのルーツであるかもしれません。
 
 
 
 
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