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2017/07/19

【犬狼物語 其の百七十二】 東京都墨田区 長命寺「六助塚」

170719_1(桜橋から望む隅田川と東京スカイツリー)

170719_2(墨堤常夜灯)

170719_3(長命水の井戸)

170719_4(芭蕉の句碑)

170719_5(六助塚)

170719_8(六助塚)

170719_6(六助塚)

170719_7(六助塚)


墨田区向島に桜餅で有名な長命寺(通称:風流寺)があります。

ここにユニークな犬像があるとわかったので参拝しました。

隅田川にかかる×字形の桜橋を渡ると、左岸には明治4年に建てられた墨堤常夜灯が残されていました。渡し船には灯台代わりになった常夜灯です。

その常夜灯の東側に長命寺があります。

境内には「長命水」の井戸と多くの石碑がありました。遠く空には東京スカイツリーが見えます。

長命水の由来によると、徳川三代将軍家光が御鷹狩りで当地を訪れたとき、急に腹痛をもよおし、井戸水で薬を服用したところ、傷みが止まったので、長命水と命名されたそうです。

境内に点在する30基ほどの石碑の中には、芭蕉の句碑「いささらば雪見にこ路ふ所まで」もあります。その他、歌碑、俳句碑、狂哥碑、筆塚、人物碑、墓石など様々です。

その中に明治21年4月建立された「六助塚」の碑と犬(頭)像がありました。

石碑の高さは152cmの細長いものでした。上部に「鼠取誉犬」とあります。その下には漢文で顕彰文が彫られています。この碑がユニークなのは、碑の根本に六助の頭像が転がっている点ではないでしょうか。

いや、もちろん「転がっている」わけではないのでしょうが。頭は幅20cm、長さ28cmあります。でも、どうして地面に体が埋まったような状態になっているのか、不思議です。

六助とはどういった犬だったのでしょうか。

倉林恵太郎氏の「鼠を取(捕)る飼い犬「六助」」に、碑文が掲載されているのでそこから引用させてもらうと、

「名前は六助,生まれつきの性質は強く,ものごとに屈せず,幼いときより北新川のある酒問屋で飼われていた。飼い主に対して忠実で家を守り,また勤勉であったが,この犬は鼠を取る珍しい技能を持っていた。おおよそ,鼠の類に遭遇した場合,数々の猫より身軽ですばやさが優り,鼠は死をまぬがれることはなかった。これをもって六助は鼠を取り,数年間,人に対して被害を加えなかった。突然,屠犬者によって斃死した。縁故の皆様が悲しみ,その不幸のため資金を集めて碑を建てて,その魂を慰さめた。」

とあります。

ネズミを捕るという珍しい犬でした。猫よりも身軽というのだから小型犬だったのでしょうか。犬像を見ると、柴犬のようにも見えます。

特殊技能の持ち主ですが、慰霊碑まで建ててもらっているのだから、ネズミを捕らなくても愛されていた犬に違いありません。

ところで、首だけ地面にあるのがユニークな犬像なのですが、これを見て、あることを思い出しました。。

【犬狼物語 其の九十二】石原賀茂神社 例幣使一行を助けた救命犬之像」でも紹介したように、切られた犬の首が大蛇に食らいついて、下にいた人間を助けるという話です。(小白丸型伝説)

結局、首を切られてまで人間を助けた犬の忠義を称える話でもありますが、逆に言えば、人間は、吠える犬の首をはねてしまう(犬を信用していなかった)という後悔の話にもなっています。

六助は、野犬狩りに殺されたようです。明治時代になって、無主の犬は、一掃されてしまうわけですが、おそらく六助は酒問屋で飼われてはいても、日ごろは自由に歩き回っていた犬だったのかもしれません。だから野犬と誤解されて殺された。

六助は理不尽な死に方をしたということにもなるでしょう。その思いは、かわいがっていた人たちも同じだったはずです。

それであえて、首だけ(首を落とされた状態)にしたのかもしれません。つまり、六助の怨念を鎮めるためと、殺した人間への恨みも込めて。

Wikiの「犬神」には、犬の頭がどれだけ霊力が強いかという話があります。(愛犬家は卒倒しそうな内容です) 六助の飼い主たちがここまで考えていたかはわかりません。

もしかしたら、頭だけ地面から出ていて、実際は、地中に全身が埋まっているのかもしれませんが、そうなると、話はまた違ってきます。(そのうち寺で聞いてみるつもりです)

ところで、六助が飼われていた酒問屋は「北新川」とありますが、倉林氏は、現在の永代橋西側、中央区新川1丁目付近だろうと推測しています。長命寺からは南へ約6kmのところです。


後日、寺でお聞きしてみました。どうして頭だけ置いてあるのか、もしかしたら地中に胴体が埋まっているのか、といったことです。でも、胴体が埋まっていることはないそうで、では、どうして頭だけなのか、ということなどを含めて、六助塚の資料などは、すべて震災で焼けてしまったそうで、残ってないそうです。
 
 
 
 
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