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2017/07/29

【犬狼物語 其の百七十九】 東京都渋谷区 忠犬ハチ公&渋谷区郷土博物館・文学館

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渋谷駅でハチ公の撮影をしようと、駅ビルの2階から、像が見える場所を探したら、ありました。ガラス窓がかなり汚れていて見づらいし、しかも、今、像の周りが工事中になったようで、青いフェンスが張り巡らされて、美しくありません。

そんな中でも、とくに、外国人観光客は、順番待ちで、ハチ公の前で思い思いのポーズで写真を撮っています。ハチ公にもたれかかり、悲しそうな表情の女性の撮影意図はよくわかりませんが、何か、ハチ公との物語を想像させます。まるで昭和の匂いがする映画のワンシーンのようです。

たとえば、ハチ公像は 昭和19年(1944年)に戦時中の金属類回収令によって鋳つぶされてしまいますが、その悲しい命令を聞いて、ハチ公にすがって泣いた女性だったり…

「ハチさん行かないで!」

「泣くのはおよし。体は融かされても、心はきみといっしょだよ」
 
 
そのあと、駅から30分ほど歩いて、渋谷区郷土博物館・文学館を訪ねました。

入り口を入ると、純白のハチ公像がお出迎えです。

これは駅前の像と似てはいますが、完全コピーというわけではなく、ディスプレイ会社に依頼して制作されたもので、だれか有名な作家の物ではないそうです。

『全国の犬像をめぐる』で使用したのは、駅前のハチ公像を後ろから撮影した写真です。ハチ公の尻尾は、後ろに伸びています。でも、この像は、手前に巻いています。

今、ここで、2015年に発見されたハチ公の写真が初公開されています。

写真には、

「渋谷駅前のハチ公」 寄贈:安藤士

とタイトルが付いています。

渋谷区猿楽町に住んでいた山本勇さんという方が撮影したものです。山本氏の遺族が見つけ、戦後の2代目ハチ公を作った安藤士氏に贈りました。そして安藤氏が貴重な写真を後世に残したいと、この博物館に寄贈したということです。

セピア色の写真です。左の方にうつぶせに座るハチ公と、駅の改札が映っています。改札手前にいるのは新聞の売り子さんでしょうか。

いろんな検証作業から、この写真は、昭和7年10月から昭和8年11月23日の間に撮影されたとのこと。

ただ、ピントは後ろの改札に合っていて、ハチはボケています。

想像なのですが、もしかしたら、撮影者の山本さんは駅を映したのではなかったのでしょうか。駅にピントが合っているのはそのためではないかと。

当時写真は貴重なぜいたく品で、もしハチ公が目的の被写体なら、ピントはハチ公に合わせていたのではないかと思うからです。駅にカメラを向けたら、たまたまハチが座っていた。いや、毎日ハチは座っていたそうなので、当然映ってしまうことになったのでしょう。

もちろんそれで写真の価値がなくなるわけではありません。それこそ写真の記録性のすばらしさです。

他にもいくつか貴重な写真がありました。

「上野家の書生と子犬のハチ公とジョン」という写真には、まだ6ヶ月くらいの子犬のハチ公と、ジョンという犬が映っています。

上野家で飼っていた犬は、ハチ公だけではありませんでした。代々上野家で飼われていた愛犬は、青山墓地に葬られました。

ハチ公の葬儀は、昭和10年(1935年)3月12日午後2時より青山墓地で行われました。16名の僧侶による読経や動物愛護協会会長など6人の弔辞、焼香と続き、最後にハチ公の霊を上野博士の墓の傍らにある愛犬の祠に移し、午後3時ころ終了しました。

だからこの祠が実質、ハチ公の墓になるという話は、先日書いた通りです。

ところで、上野夫人(坂野八重子さん)は、博士の実家がふたりの婚姻に反対したので、正式な婚姻届を出さずにいたので、博士の死後、追い出されてしまいました。

博士の弟子たちが用意した家で、八重子さんとハチ公も一時いっしょに暮らしましたが、周りの畑を荒らすなど問題を起こしたので、やむなくハチを植木職人の小林菊三郎にあずけました。

その時の写真(大正14年)には、ハチ公と小林家の飼い犬が映っていますが、まるでその犬はニッパーそっくりです。ニッパーというのは、先日アップした、ビクタースタジオにお座りしている犬です。まぁ偶然ですが。

その八重子さんも、関係者の努力があって、2016年にようやく青山墓地に納骨されました。これでハチ公、上野博士、八重子さんの3人の魂が同じところに祀られたということです。

ハチ公の物語は、上野博士との絆の美談として語られますが、この八重子さんも大切な人だったはずです。

というのは、犬を飼った人ならわかると思いますが、しかもハチ公のような大型犬の場合、大学で仕事を持っていた博士ひとりでハチ公の世話をすることは不可能で、八重子さん、書生たち、お手伝いさんの役目も大きかったろうと思います。当時は放し飼いができたとしてもです。

だから八重子さんが生前希望していた通り、博士とハチ公と同じ墓に眠ることができて良かったなと思います。
 
 
 
 
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