【犬狼物語 其の百五十六】 埼玉県川口市 「土下座犬」と誤解された東川口駅前の親子犬像
東川口駅前に、犬像があります。
ネットでも話題になったらしく、検索すると画像はたくさん出てきます。話題になったのは「土下座犬」と呼ばれるようになったかららしいのですが…。
そこで、2冊目の『犬像』の本で取り上げる可能性もあるので、きちんと像のことを知っておきたいと思い、川口市市役所で聞いたところ、2、3年前に「土下座犬」として話題になったようですが、あれは子供を見守る親犬の像です、とのこと。
ただ詳しい資料なども残ってないし、設置当時の関係者ももういないということで、ネット以上の情報はいまのところありません。
子ども犬の方をよく見ると、チョークのような棒を手にして地面に何かを描いています。(左利きのようです) 地面に絵を描く子どもを優しく見守る父親犬というテーマなのだそうですが、ネットでは、これを「土下座犬」と呼んでいて、「資本主義の縮図」とまで言っている人もいます。
たしかに、小さい犬が大きい犬に土下座をして謝っているふうにも見えてきます。
ただ、その土地の文化や人々の無意識があるものを、そう見せるということは明らかで、これを「土下座」と見るのは日本人的だなぁと思いました。なぜなら、土下座がない欧米人がこれを見たら、これを「土下座犬」とは見ないからです。
おそらくこれを最初に「土下座犬」と表現した人は、土下座に対して敏感な人、あるいは実際に、土下座をさせられたり、土下座を見たことがある人なのかもしれないですね。(テレビドラマではよくありますが、現実で見る機会は普通ないでしょう)
せっかくのほのぼのとした像を「土下座犬」に曲解するなんて、と、そう思うかもしれません。
ところがです。
実際、この像を見に行って気が付きました。見守っているはずの父親犬の視線は、子犬には注がれていなかったのです。父親犬の視線は、子犬を通り越して、ずっと遠く、植え込みあたりを見ているのでした。
だから俺には、父子家庭の父親が、子供を見守りながら、別れた奥さんのことをボーッと思い出しているシーンに見えてきました。
これもまた、俺の無意識が、そう見せる、ということなのでしょう。
人によって、これは「親子愛の像だ」とか「ほのぼのとした日常風景を表現した像だ」とか、それこそ「資本主義の縮図の土下座犬だ」とか、アート作品の見方がそれぞれ違うのは当然のことなのでしょう。
アートが人々の生活に潤いを与えることも必要ですが、それと同時に、社会に風を吹かせ、ざわつかせる、もっと言えば、社会を壊すこともアートの役割ではないのでしょうか。
そういう意味で、誤解を生むほど話題になったこの像の作者の意図がどこにあったかわかりませんが、アートの存在意義としては十分大きなものがある像だと言えるのかもしれません。
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